
【フルバージョン】辻田真佐憲氏インタビュー
現代日本における「保守」とは何か?エドマンド・バークの思想と歴史の視点から紐解く
現代日本において「保守」という言葉は、しばしば浅薄な二項対立の中で消費されがちである。しかし、本来の保守思想が指し示すものは、歴史の連続性の中で培われた智慧を重んじ、時代に合わせて柔軟に変革する「したたかさ」にこそある。本稿では、政治思想の古典エドマンド・バークの教えに立ち返り、戦後日本の歩みを再考しながら、分断を超えた新たな国家の物語を紡ぐための糸口を探る。

Q. バークが説く真の保守とは何か?SNS時代の「ビジネス保守」とどう異なるか?
エドマンド・バークの保守主義の原点は、フランス革命に見られるような、抽象的な理想を掲げた急進的な改革が社会に与える破壊を警戒する思想にある。歴史の中で時間をかけて築かれた伝統や制度、そして共同体こそが「祖先の叡智の結晶」であるとバークは捉えていた。これを性急に否定すれば、フランス革命後の「最高存在の祭典」のような、より劣化した秩序が生まれると彼は警鐘を鳴らしたのである。これは、人間が理性的であるという啓蒙主義への根源的な疑念とも密接に結びついている視点だ。
現代の日本で散見される「保守」の言説は、多くの場合、特定の論点に対する賛否表明を通じて、自己の立場を規定する傾向が強い。例えば、国旗・国歌のあり方や特定の歴史認識といったイシューが「旗上げゲーム」のように扱われる。「日の丸・君が代をどうする」といった分かりやすい二項対立を演出し、仲間から支持を得ることで「仕事」として成立させる「ビジネス保守」が増加している状況は、SNS時代が助長した弊害の一つだ。しかし、バークの思想に照らし合わせるならば、これらは本来の保守が持つべき深遠な思想的「構え」を欠いた、極めて浅薄な議論に過ぎない。過去を単にコピーすることではなく、その「何を守り、何を変えるか」という、より深い問いへの思考が決定的に不足していると言えよう。
Q. 戦後自民党の「保守本流」と「保守傍流」は、それぞれ何を志向し、なぜその勢力図は変化したのか?
戦後日本の自民党内には、「保守本流」と「保守傍流」という二つの大きな思想潮流が存在した。「保守本流」は、吉田茂を起点とし、安全保障をアメリカに委ねることで、軍事費を抑制し、その分を経済成長に振り向ける「軽武装・経済重視」のドクトリンを推進した。これは、国民全体への利益分配を通じて広く国民を包摂する、ある意味で寛容な保守政治であった。本流に位置する政治家たちは、憲法改正などを本心では望みつつも、「まずは経済復興」というリアリズムに基づく優先順位付けをしていたと言える。

これに対し、鳩山一郎や岸信介に代表される「保守傍流」は、憲法改正や自主防衛、そして日本の独立国家としての主体的なあり方をより強く主張した。しかし、高度経済成長期においては、国民に経済的な豊かさという「共通の価値」を直接提供できた本流が優位にあった。この力関係が大きく変化するのは、「失われた30年」と称される経済の停滞期である。国民全体に富を分配することが困難になった結果、経済重視の本流路線は求心力を失う。代わって、憲法や安全保障といったイデオロギー的なテーマを前面に押し出し、敵と味方を明確に分ける傍流の政治手法が主流となっていったのだ。この背景には、SNS時代の到来も加わり、単純な二項対立の構図が個人や政治家にとっての「仕事」として機能しやすくなったことがある。ナショナリズム自体は政治的左右を問わず現れる現象であり、その理解にはより複眼的な視点が必要だ。
Q. 高度経済成長という「戦後」はなぜ終わりを告げたのか?日本はどのような「第三のフェーズ」を迎えているのか?
戦後の日本を象徴する高度経済成長は、決して当たり前のことではなく、複数の特殊な条件が奇跡的に重なり合って実現したものだ。まず、吉田ドクトリンによる軍事費の抑制と経済への資源集中があり、これにより日本の優秀な人材を経済発展に最大限投入できた。次に、農村部の過剰な人口が都市部の新たな労働力となり、ヨーロッパが直面したような移民問題に頼らずに済んだ点。また、安価な石油エネルギーの安定供給、そして野口悠紀雄の提唱する「1940年体制」に見られる、戦時中に整備された官僚主導の経済統制システムも、効率的な復興と成長を強力に後押しした。さらに、1995年の阪神・淡路大震災まで、日本が比較的大きな自然災害に見舞われなかった幸運も忘れてはならない。

しかし、現在、これらの高度成長を支えた条件はほとんど失われている。グローバルな資源制約、急速な人口減少と高齢化、緊迫する地政学リスク、経済システムの硬直化など、高度成長期の前提はもはや存在しないのだ。この現実を直視すれば、歴史的視点から見て、日本が経験してきた「戦後」という時代は実質的に終わりを告げたと言える。日本は現在、明治維新、敗戦に次ぐ、歴史における「第三のフェーズ」に入りつつある。この転換期にあっては、過去の成功体験に固執することなく、改めて「国として何を守り、どのように生き残るか」という根源的な問いに向き合い、新たな国家像を構想する必要があるのだ。
Q. 現代の「保守」が表面的な言説に終始しないために、歴史の「したたかさ」から何を学ぶべきか?
現代の政治家や論客が「保守」を語る際、戦前の「国体論」や「教育勅語」といった象徴を、その歴史的文脈や構造を深く理解しないまま利用する事例が散見される。例えば、天皇と臣民の厳格な峻別という国体論の根幹を無視して、現代語訳された教育勅語で「私たち」と一括りにするような解釈は、本来の文脈からすれば不敬な歪曲である。また、参政党のポスターが聖徳太子(皇族)と西郷隆盛(朝敵とされた人物)を同列に描くなど、歴史的価値観を深く理解せず、表面的な記号だけを「つまみ食い」する傾向が見られる。
しかし、真の保守は、過去の単純な踏襲やコピーを意味しない。明治維新の先人たちは、欧米列強による植民地化の危機を前に、国の独立を守るため、「神武創業に戻る」という伝統回帰の物語を掲げつつも、実態としては西洋文明を積極的に導入するという「したたかさ」を発揮した。また、敗戦後の占領期には、GHQによる「押し付け」を逆手にとって、日本の官僚たちが長らく望んでいた社会改革を進めるという「日米合作」の知恵が発揮されたのである。
こうした日本の歴史が示すのは、「古きを固守するのではなく、その精神を受け継ぎながら、時代に合わせて変革する」というダイナミックな保守の姿である。ちょんまげを結わない現代人が、過去の特定の形式だけを絶対視するのは自己矛盾に陥る。変えるべきものを恐れずに変え、守るべき本質を現代の視点から再定義すること。これこそが、歴史に学び、新たな時代に対応する「したたかな保守」の姿勢なのである。
Q. 分断を乗り越え、危機を乗り切るための「新しい物語」を構築するヒントはどこにあるのか?
来るべき危機に備え、保守とリベラルの分断を超えて国民的統合を促す「新しい物語」の構築が喫緊の課題だ。そのヒントは、明治維新から現代に至る日本の近現代史に深く根差している。一つは、国の独立を守るため、欧米列強と肩を並べる「脱亜入欧」と、アジアの一員としての連帯を模索する「アジア主義」の間で、試行錯誤を繰り返してきた多角的な外交感覚である。

特に、1919年のパリ講和会議において、日本が国際社会に先駆けて「人種差別撤廃」を提案した事実は、極めて重要だ。過去の植民地支配という負の側面への反省を前提としつつ、この普遍的価値を掲げた事実を継承し、現代の外交カードとして活用すべきである。国内外で率先して人種差別やヘイトスピーチの撤廃を推進する姿勢は、保守とリベラルの対立を超え、多くの人々が共感しうる新しい日本の物語の核になりうるだろう。
また、「日本語」という視点も、新しい物語を構築する上で深い示唆を与える。漢字・ひらがな・カタカナ、そしてアルファベットをも柔軟に吸収しつつ、語順などの核心部分は変えずに生き延びてきた日本語の「しなやかで、したたかな生存戦略」は、異文化を取り入れつつも自己のアイデンティティを保ってきた日本の国民性と重なる。これは、長期的な視点から見て、日本が何を守り、どのように変化していくべきかを考える上での、比類ないヒントなのである。評論家や文学者が保守的になりがちなのも、この国語の奥深さを扱っているからかもしれない。




