
日本観光の最大の弱点
「教科書通り」の経営哲学で未来を切り拓く:星野リゾートの挑戦
星野リゾート代表の星野佳路氏の経営哲学は、変化の激しい現代において多くのビジネスパーソンにとって示唆に富む内容だ。特に「教科書」に忠実であることと、予測不能な未来への大胆な挑戦を両立させる姿勢は注目に値する。
本記事では、人口減少やAI時代の到来といった社会の変化、観光業における国内市場の重要性、そして海外展開における独特の戦略に至るまで、星野氏の考え方をQ&A形式で深く掘り下げる。彼がどのような信念のもと、持続的な成長を追求しているのかを詳細に解説する。

Q. 観光業はコロナ禍や人口減少といった危機にどのように対応してきたのか?
新型コロナウイルス感染症のパンデミックや東日本大震災といった社会情勢の変化は、観光産業に甚大な影響を与えた。これらの時期に、星野リゾートは経営判断の精度がより厳しく求められると認識していた。国内移動が制限される状況下では「マイクロツーリズム」を提唱し、近場での旅行需要を喚起することで危機を乗り越える活路を見出している。
また、長期的な課題である日本の人口減少に対しては、企業間競争が激化すると捉え、経営理論に基づいた「教科書」を重要視する姿勢を明確にしている。経験や直感だけでなく、確固たる理論に沿った戦略実行が、これからの時代における企業の生き残り戦略の要であるとしている。

Q. AI時代において「ブランド」は今後も有効な戦略となるのか?
AI時代の到来は、従来のブランド戦略のあり方を大きく変える可能性があると星野氏は指摘する。これまでブランドは顧客の購買意欲を促す重要な要素であったが、AIは先入観を持たず、客観的な事実に基づき最適な選択肢を提示するからだ。顧客が特定のブランド名を検索するのではなく、「こういう旅をしたい」といった要望をAIに問いかけ、AIが最適な施設を推奨する時代が来ると予測している。
そのため、星野リゾートは「AIに選ばれる」存在になることを重視する。これはブランドイメージに頼らず、施設の持つ本質的な品質と顧客体験の価値で勝負することを意味する。構想に7年を費やし、予約人数や宿泊日程、部屋タイプ、食事内容などをオンラインで自由に調整できる次世代予約システムの開発に投資しているのは、AI時代を見据えた戦略的な動きである。これにより、顧客の利便性を最大化し、サービスの本質的価値を高めることを目指す。
Q. 日本の観光業が今後成長を続けるために最も重要な要素は何か?
日本の観光消費において、外国人観光客によるインバウンド消費が注目されがちだが、実はその約8割が日本人による国内旅行であることを星野氏は強調する。つまり、日本の観光業の基盤は、圧倒的に国内需要が担っているのだ。そのため、国内旅行の持続的な活性化が不可欠となる。
この課題に対しては「休日の分散化」が重要な施策だという。大型連休に集中しがちな旅行需要を年間を通じて平準化できれば、供給過多や価格高騰を避け、誰もが旅行しやすくなり、観光業全体の安定した成長に繋がると提言している。
また、日本の地方には豊かな自然があるにもかかわらず、観光資源としての活用が不十分であると指摘する。大都市に集中しがちなインバウンドを地方に誘導し、日本の経済効果を全国に波及させるには、「文化観光」だけでなく「自然観光」の強化が必要である。
具体的には、全国に35カ所ある国立公園の活用を推進するべきだとしている。現状の「保護一辺倒」な規制を見直し、自然の保護と活用の両立を目指す「エコツーリズム」の考え方を導入することで、観光収益を自然保護に還元する好循環を生み出すことができる。この規制改革は日本の観光庁や環境省でも動き出しているが、星野氏はさらなるスピードアップを要望している。
実際、星野リゾートは尾瀬の山小屋を快適性重視にリノベーションすることで、従来の山小屋のファン層とは異なる新たな客層を開拓し、予約開始後すぐに埋まるほどの人気を博している。これは、プライバシーや清潔感、利便性(Wi-Fiなど)といった新しいニーズに応えることで、未開拓だった市場を取り込めることを示している。

Q. なぜ星野リゾートはアメリカでの温泉旅館事業という「勝ち筋が見えない」挑戦をするのか?
星野リゾートは2028年にアメリカ・ニューヨーク州で温泉旅館の開業を予定している。この海外進出について、星野氏は「勝ち筋が見えているからではない」と断言する。これは成功が保証されていない挑戦であり、あくまで「試してみないと分からない」という考えに基づくものだ。
その背景には、かつてのアメリカでの寿司の事例がある。1980年代、留学中に誰も生魚を食べなかった寿司が、今では日常食として広く受け入れられているように、日本の温泉旅館文化も時間をかければアメリカ市場に浸透する可能性があると見ているのだ。
この挑戦の最も重要な目的は、「ダメならダメということを見つける」ことにあるという。結果的に失敗に終わったとしても、その事実を自ら確認し、学ぶことが重要だとしている。他社に先を越されることなく、自社が最初にリスクをとり挑戦すること自体が、企業の歴史にとって不可欠な使命であると考えているのだ。そのため、現地のニーズに合わせて温泉旅館を変えることはせず、「コテコテの日本の温泉旅館」で勝負する方針だ。

Q. 多くの経営者が直感に頼る中、星野代表が「教科書」に基づいた経営を重視する理由とは?
星野氏は、自身の経営の拠り所を「教科書」すなわち経営理論に置いている。これは、多くの経営者が語るような「直感」や「カリスマ性」とは対極的なアプローチと言えるだろう。経営がうまくいかない時に、直感に頼ると方針がぶれてしまう危険がある。しかし、確立された経営理論に基づいていれば、一時的に結果が出なくとも、「教科書通りに進めているのだから、きっといつか効果が出る」と信じて戦略を粘り強く継続できるとしている。
これは、薬を処方された患者が、すぐに効かなくても医者の指示通りに飲み続けることに似ている。教科書は、成功に至るまでの継続を可能にする信頼と確信を与えてくれるのだ。この揺るがない指針が、激動の時代において星野リゾートが安定した成長を遂げるための強みとなっている。
また、星野リゾートは「ファミリービジネス」として短期的な利益に囚われず、使命感を持った長期的な挑戦を続けることができる強みを持つ。ファミリーの役割は必ずしも優秀な経営者を輩出することではなく、フラットな組織文化を守り続けることにあるという。星野氏は「尊敬する経営者はいないが、教科書を執筆した教授たちを心から尊敬している」と語り、個人の資質ではなく、再現性のある理論と原則こそが経営の羅針盤であるという信念を示している。

