
財務分析:電通、低迷の本質
電通3期連続赤字の深層とは?世界大手代理店との比較から見えるM&Aの教訓
電通の「3期連続赤字」というニュースは多くのビジネスパーソンに衝撃を与えた。しかし、この報道の背後には、海外M&Aの壮大な物語と、世界の広告業界全体が直面する構造的な課題が隠されている。
日本広告界のガリバーが経験した激動のグローバル化の道程を、その財務データと主要な競合他社の戦略比較から解き明かす。そこには、日本企業がグローバル市場で成功するための重要な教訓が見出されるであろう。

Q. 電通の「3期連続赤字」は、一体どのような実態を示しているか?
電通は2023年、2024年、そして2025年と、3期連続の営業赤字が報じられている。
この数字だけを見ると経営状況は深刻に見えるが、実際には国内事業の売上は年率8%近くで伸び、成熟産業の中では極めて高い水準を誇る。では、なぜ赤字が続いているのか。その主因は、国際会計基準(IFRS)で計上される「減損損失」という会計上の処理にある。過去の海外大型買収で計上した「のれん」の価値が当初の期待通りに機能せず、巨額の評価損として一括計上されているのだ。

例えば2024年には、減損だけで2350億円が計上された。
IFRSでは、このような一時的な損失が営業利益を直接押し下げるため、表面上は赤字となる。しかし、この減損損失を除いた「調整後営業利益」を見れば、電通はコンスタントに利益を出している。
つまり、本業の稼ぐ力は堅調でありながら、過去の投資の失敗処理に追われているのが電通の真の実態だ。
Q. 電通はなぜ大規模な海外M&Aに傾倒し、そこでの「減損損失」が膨らんだのか?
電通のM&A戦略は2010年以降、デジタル化対応とグローバル展開加速のため、大きく方向転換した。2013年には英国のイージスグループを約4000億円で買収し、さらに2016年には米国のマークルを約1000億円で買収するなど、デジタル・データテクノロジー領域へ積極的に投資した。
特にイージス買収後、その傘下で5年間で100件を超える小規模M&Aを乱発した実態がある。
これほど多角的な買収を短期間に実行することは、電通本体が培ってきたM&A経験をはるかに超えるものだったと言える。その結果、買収後の統合(PMI:Post Merger Integration)が不徹底となり、複雑な組織構造と非効率な運営体制が生まれた。
本来顧客はワンストップのサービスを求めるにもかかわらず、買収により増えた縦割り組織ではそれが困難になる事態も発生した。これは、顧客企業のプロモーションは得意な電通が、自社の経営、特にM&A実行管理においては課題を抱えていた可能性が高いことを示唆している。
Q. なぜ電通のM&Aは、世界の大手広告代理店と比較して苦戦したのか?
電通のM&A戦略が苦戦した背景には、他の大手広告代理店に比べて「約10年の遅れ」があった点が指摘される。
オムニコムやWPP、パブリシスといった競合他社は2000年代初頭からグローバルなM&Aを本格化させ、デジタル化の波にも早期に対応した。一方、電通の「のれん残高」が急増し始めるのは2010年代に入ってからであり、彼らの後塵を拝する形だった。
この10年の遅れを取り戻そうとする焦りこそが、「Fear of Missing Out(FOMO)」として電通を拙速な大型M&Aへと駆り立てた可能性が高い。

日本の明治維新における「富国強兵」的なキャッチアップ戦略と似たような状況と言えるだろう。
本来であれば、買収には緻密な戦略と時間をかけた統合プロセスが不可欠だが、焦りの中で強引に規模拡大を進めた結果、PMIが機能せず、巨額の減損損失という副作用に苦しむこととなったのである。
Q. グローバルな広告代理店業界では現在、どのような勢力図になっているか?
現在、世界の大手広告代理店は明確な「明暗」を分けている。
仏パブリシスは、デジタル化対応に最も成功し、欧米アジアの各地域で満遍なく成長している「勝ち組」の一角を占める。一方、米オムニコムは派手さこそないが、過去10年間で減損損失がゼロという驚異的な堅実経営を続けている。小さい買収を繰り返しながらも、極めて厳格な投資判断と統合管理を行うことで、高収益と高いROE(株主資本利益率38%)を維持し、「M&A巧者」としての地位を確立した。
対照的に、電通と英国のWPPは海外事業で苦戦が続き、成長が停滞している。
電通の利益構造は日本とアメリカに8割以上が集中し、特にAPAC(アジア太平洋地域)では利益貢献がほとんどない状況だ。WPPも売上が伸び悩み、パンデミック前の水準にも戻っていない。
世界の広告代理店が「ワン電通」「Power of One(パブリシス)」「Unified Entity(オムニコム)」など、一斉に「統合」や「一体化」をスローガンに掲げていることは、M&Aで膨張した組織をいかに機能させるかが、業界全体の共通かつ喫緊の課題であることを物語っている。
Q. 広告代理店業界が株式市場で「成熟産業」とみなされる理由は何があるか?
広告代理店業界は株式市場から「魅力のない成熟産業」とみなされている。
勝ち組とされるパブリシスでさえ、PER(株価収益率)は12倍程度と一般的な平均値を下回る水準だ。この評価の背景には、広告市場の真の支配者が、Google(アルファベット)やFacebook(メタ)といったテックジャイアントにあるという事実が横たわっている。
これらのテック企業は、売上の大半を広告収入から得ており、その規模、収益性、市場評価は伝統的な広告代理店とは桁違いだ。
例えば、世界の主要広告代理店4社の売上高を全て合計しても約9.4兆円に過ぎないのに対し、メタ1社の営業利益だけで約10.4兆円にも達する。アルファベットに至っては営業利益でそれをはるかに上回る。
テック企業の一人当たり営業利益は1億円を超え、まさに広告業界のヒエラルキーの頂点に君臨しているのだ。この圧倒的な格差こそが、伝統的な広告代理店業界が成長性の限界を指摘され、「成熟産業」として低く評価される根本的な理由である。

日本の広告市場を見ても、全体ではインターネット広告費がテレビ広告を上回った。
しかし電通単体の国内収益構造を見ると、未だにテレビメディアへの依存度が高い。この状況は、既存のビジネスモデルからの転換が遅れている可能性を示唆し、外部環境の変化への適応力に疑問符を投げかけている。
Q. 電通の事例は、これからの日本企業にどのような教訓を与えているか?
電通の事例は、日本企業がグローバル市場で戦う上での貴重な教訓を与えている。まず、電通が上場に踏み切ったのは、グローバルなM&A競争に不可欠な資金調達のためだった。当時のクリエイティブな「やんちゃ」さが失われることを懸念しつつも、世界の潮流には抗えなかった現実がある。
そしてM&Aの成功には、経営トップの「本気度」と「コミットメント」が何よりも重要であることを示唆している。
ソフトバンクグループの孫正義やニデックの永守重信のようなカリスマ経営者は、買収した事業に尋常ならざる熱意と労力を注ぎ込み、自らが先頭に立ってPMIを推進することで成功を収めてきた。
彼らの成功例は、買収して終わりではなく、買収後にいかに統合し、価値を創造するかに成功の鍵があることを浮き彫りにする。
電通が新たな3カ年計画で「M&A偏重からの脱却」と「日米への選択と集中」を打ち出したのは、この教訓を踏まえたものと言える。複雑化した組織をスリム化し、収益性の高い中核事業に資源を集中させることで、再び持続的な成長軌道に乗ろうとしているのだ。
電通の歩みは、グローバル市場での日本企業の奮闘、M&A戦略の難しさ、そして絶えず変化するデジタル化の波との闘いを象徴している。国内で圧倒的な強さを誇る電通ですら、世界という舞台では予期せぬ困難に直面し、M&Aという劇薬の副作用に苦しんだ。しかし、この経験から導き出される教訓は、日本の未来の企業にとって極めて価値がある。M&Aの安易な実行ではなく、真の企業価値向上を目的とした戦略的思考と、買収後統合への弛まぬコミットメントが、グローバル競争を勝ち抜くための不可欠な要素だ。
