
国民国家はなぜ戦争をやめられないのか
国民国家はなぜ戦争をやめられないのか?「暴力性」と「愛国心」の根源
多くの人々が学校で学ぶ明治維新は、1870年代に近代化政策が進められ、新しい国家制度が整ったところで一段落する。しかし、この見方には現代に通じる重大な見落としがあることを指摘する歴史家も存在する。真の「明治維新」は、その時期には終わっていなかったばかりか、その後に続く対外的な挑戦と国家変容の過程全体を含んでいるというのだ。
本稿では、歴史の第一線で活躍する専門家が紐解く「明治維新」の新たな定義、そしてその変容の過程で露呈した「国民国家」に内在する暴力のメカニズム、さらにはそれが現代の国際社会にどのような示唆を与えているのかを探求する。

Q. 一般的な歴史認識と異なる、「明治維新」の終わりの定義は何か?
従来の歴史書では、廃藩置県や徴兵制の導入など、近代国家の制度が1870年代に完成した時点で明治維新は終焉を迎えたと語られがちである。だが、真の「国民国家」とは、制度を整えるだけでなく、その理念や実体を完全に機能させてこそ完成すると考えられる。当時の明治政府の要人たちが思い描いたゴールは、そう単純なものではなかった。
彼らが意図した国家像が現実との齟齬をきたし、特に朝鮮半島問題に直面したことで、当初のゴールは次第に遠ざかった。国家が自らの課題を解決しようともがく中で、日清・日露戦争が勃発し、結果として朝鮮半島を植民地として併合するまで続く。この朝鮮併合をもって初めて、日本の「国民国家」としての体制が完成したと言えるだろう。つまり、明治維新は1870年代に終わるのではなく、当初の目標が意図せず変容し、国家の領域と性格が決定付けられた朝鮮併合までの一連の流れとして捉える必要があるのだ。
Q. 明治政府が当初想定していた「国民国家」の完成像とは、具体的にどのようなものだったのか?
明治政府の最も楽観的な国家像は、国民国家としての「国境確定」と、隣国との「対等な外交関係樹立」であった。具体的には、琉球王国を日本に編入し、八重山諸島までを日本の領域として確定させることである。そして、朝鮮や清国(中国)とは、欧米列強諸国と同様に近代的な国家として、平等な外交関係を築き、共存共栄する道を夢見ていた。つまり「みんなハッピー」な、国際秩序に適合した国民国家を目指していたのである。

この計画は、琉球問題を巡る認識のずれや、肝心要の朝鮮との国交樹立が不調に終わったことで、大きく狂い始めた。日本側の希望的観測は、国際情勢や隣国の現実によって打ち砕かれ、当初の理想像とは全く異なる結末へと国家を導くことになる。
Q. 日本はなぜ当初の意図と異なり、対外戦争へと踏み出し、領土を拡大することになったのか?
日本の領土拡大は、最初から他国を侵略する意図があったわけではない。明治政府は「自国を作る」ことに必死であり、そのために多くのエネルギーを費やしていた。しかし、その内向きな努力が、国際関係において意図しない波紋を広げたのである。日本は西洋諸国の近代国家像を模範とし、これを比較的容易に受け入れることができた。
だが、当時の清国や朝鮮は「中華思想」という全く異なる世界観を有していた。中国からすれば、日本も自身の影響圏に位置する「冊封体制」の一員であったため、西洋流の近代国家を標榜し、清国や朝鮮に対し「国と国の関係」を迫る日本の姿勢は理解しがたかった。「なぜ、長年の秩序を乱すようなことをするのか」というのが、彼らの率直な感想だった。日本側は、欧州的な価値観を彼らも共有すると過信し、「話せばわかる」と考えたため、価値観の根本的なズレを認識できなかった。
特に、琉球処分の問題はその典型例である。日本は、薩摩藩の実質支配下にありながら、清国にも朝貢していた琉球王国に対し、国家の一員となるよう強く迫った。日本からすれば、薩摩藩が支配していた建前上の独立状態を解消し、現実(実効支配)に合わせる合理的措置であった。しかし、清国から見れば朝貢国を奪われる行為であり、琉球の人々からすれば長年平和だった二重支配の状況を破壊される出来事だった。このように、一方の国内的な論理が他国では受け入れられず、結果として国際問題化し、対外戦争へ進む道を歩んでいったのだ。
Q. 「国民国家」に内在する「暴力のDNA」とはどのようなものであり、現代の国際情勢とどう結びつくのか?
国民国家の理念は「国民は一体である」というものだが、その一体感は外部からの脅威や圧力によって強く醸成されがちである。フランス革命やアメリカ独立戦争の歴史が示すように、多くの国民国家はその成立過程において、流血を伴う戦争を経験してきた。これは「暴力のDNA」と呼ぶべきもので、国民国家の根源に深く刻まれている。自国と他国の境界線を明確にし、「我々」と「彼ら」を区別するために、戦争が利用される側面がある。

今日のウクライナ紛争や台湾有事などは、一部で19世紀への「逆行」と評されるが、それは本質を捉えていない。むしろ、国民国家がその成立以来抱え続けてきた「暴力のDNA」が現代にも存在し、表出している現象と捉えるべきだろう。国民という概念や民族は、多分にフィクションの要素を含む。その曖牲的な結束を維持するため、時に外部との対立や戦争が「イベント」として機能し、国民に一体感を再認識させる働きを持つことがあるのだ。
日本の明治維新もまた「革命」と呼ぶべき激変であり、成功体験を積んだが故に、他国にも自らの経験を伝えたいという「革命の輸出」的衝動も発生し得る。国民国家の本質的な暴力性は、その起源に深く根ざし、決して消えることのない要素なのだ。
Q. ウクライナや台湾に見る国民意識の可変性と、その現代的な意義は何か?
国民国家の枠組みは固定的なものではなく、実際には柔軟な「可変性」を持っている。国家は状況によって結束することもあれば、分裂することもある。ソビエト連邦が崩壊し、ロシアとウクライナが別々の国民国家として歩み始めたのはその典型的な例である。もともとは「ソ連」として一括りにされていた国民意識が、現実の状況、特に戦争を経験することで「我々はロシア人ではないウクライナ人だ」という明確なアイデンティティを確立したのである。一度こうした国民意識が強固に形成されると、その再統合は極めて困難になる。戦争は「国民」の境界線を決定づけ、その違いを強化する最も強力な装置となる。
台湾の問題も同様だ。歴史的に中国大陸と文化的・言語的に共通点が多くとも、日本による植民地支配など、独自の歴史的経験を歩んだ結果、「我々は大陸の中国人とは違う」という台湾人としての意識が形成されていった。このように、「我々は違う」という意識が強くなれば、それがその地の現実となる。国民の定義は変幻自在であり、一度分離された意識を再結合するには、極めて長い時間と根気のいる努力が必要であり、もはや現実的ではないだろう。
Q. 国難に際して現れる「愛国心」などの“カンフル剤”が、なぜ危険であると考えるのか?
国が疲弊したり、経済的な困難や社会問題が噴出したりすると、必ずと言ってよいほど「愛国心」や「日本人らしさ」といった言葉が安易に持ち出されることがある。これは、あたかも特効薬のような“カンフル剤”として利用される危険性があるのだ。幕末の攘夷論の盛り上がりや、バブル崩壊後の日本でやたらと「日本人」が強調された時期が、その典型的な例だ。国が好調な時は不要だが、不調に陥るとこうした精神論が結束力を高める手段として乱用される。

しかし、このような安易なナショナリズムの喚起は、表面的な一体感を生むかもしれないが、根本的な問題解決にはつながらない。むしろ、現実から目を背け、思考を停止させる危険性がある。真の問題から目をそらさせ、本質的な改革を遅らせる副作用をもたらす可能性も否定できない。歴史は、都合の良い成功体験の繰り返しではないことを認識すべきである。
Q. 現代社会が抱える問題の本質を理解するために、私たちはどのような歴史認識を持つべきなのか?
現代社会が直面する課題を深く理解するためには、まず自国である日本の成り立ち、すなわち「国民国家」としてのルーツを探ることが不可欠だ。その始まりはまさに明治維新にある。それ以前の古代や中世の歴史が、現代日本の政治経済システムや国民意識と直接的に連続しているわけではない。
ゆえに、現代の問題を紐解くには、国民国家として日本が誕生した明治維新から、その後どう発展し、戦争による破綻を経て現在に至るまでの時間軸を深く考察する必要がある。私たちはこの歴史の全体像を捉え、その中で現在の自分の立ち位置を把握することで、どこに根本的な問題があり、どのように向き合うべきかを理解できる。過去の成功体験に安易に回帰するような「即効性のある解決策」は存在しない。むしろ、歴史は多くの失敗から学びを得るための教訓に満ちている。だからこそ、歴史から学び、「自分たちの家」がどのような構造をしているのかを丁寧に理解することこそが、現代の問題に対処する唯一の道筋と言えよう。
