
明治維新とは何だったのか?
明治維新とは何だったのか?キーワードは「国民国家」
坂本龍馬や西郷隆盛といった英雄が活躍するドラマチックなイメージが強い明治維新だが、歴史学者・加藤聖文氏によると、その本質は世界的な「国民国家」形成の潮流の中にあった。
特定の偉人による偶発的な出来事ではなく、近代世界の構造的変化がもたらした必然のプロセスとして明治維新は位置付けられる。現代の国際紛争の根源ともつながるこの国民国家の姿を、明治維新から読み解く。

Q. 明治維新とは、具体的にどのような現象であったか?
明治維新は単なる内政改革に留まらない。世界の「国民国家」形成という大きな潮流の中での日本の変化である。この変化は、領土、国民、主権の三要素を持つ「国民国家」が完全に成立するまでのプロセス全体として捉えることが可能だ。
坂本龍馬ら特定の偉人の登場は、この構造的流れの中で起きた現象の一つに過ぎない。彼らの思想が国家の骨格を直接作ったわけではないと言える。もし彼らがいなかったとしても、国民国家への移行は避けられないグローバルな流れであっただろう。

かつて世界は多数の「個別の世界」に分かれていたが、19世紀以降、一つの統合された「世界システム」へ収斂していく。日本もその渦に巻き込まれ、適応を迫られたことが明治維新の本質である。
Q. 「国民国家」の概念はどのように誕生し、世界に影響を与えたか?
近代以前の国家は明確な国境線を持たず、「人の支配」が価値の基準であった。税を納め、労働力を提供する「人」が重要視され、無人の土地や海にはさほど価値が見出されなかった。
「国民国家」の概念はフランス革命で明確な形を取り始めた。フランスは王を処刑し、「自由」や「平等」といった普遍的な理念で国民を束ねた。この理念のために自ら戦う国民軍は、職務として戦う傭兵よりも圧倒的に強かった。
このフランスモデルに対抗するため、後発のドイツは異なる道を選んだ。「理念」ではなく、「ドイツ民族」という概念を創出して国民を統合したのだ。この民族概念は多分にフィクションであり、後のナチスの時代に見られるように深刻な問題を引き起こす土台となった。しかし、これによって国境線を確定し、そこに住む人々を国民と定義し、排他的な主権を持つテリトリーという発想が、世界全体を覆うグローバルスタンダードとなったのである。
Q. 日本の開国と国民国家化は、いかなる世界史的背景から始まったか?
ヨーロッパで国民国家の成立とともに産業革命が進展し、経済活動は空前の活況を呈した。これにより国内の障壁がなくなり、人材や資本の移動が自由化され、経済成長はさらに加速した。
拡大した国内市場だけでは飽き足らなくなった欧米諸国は、新たな海外市場、特にアジアやアフリカへ次々と進出した。この動きが植民地化と結びつき、世界全体が欧米主導のシステムに巻き込まれていった。
ペリー来航は、アメリカが巨大な中国市場へ進出するための戦略の一環であった。太平洋を挟んだ航路の中継地として、日本が最適と見なされたためである。
当時のアジアには、中国皇帝を頂点とする「中華思想」に基づく独自の国際秩序が存在した。皇帝の「徳」によって周囲の国々が自ずと従うという、緩やかで階層的な世界観であった。欧米の国民国家という、全く異なる論理がこのアジア世界に衝突したことで、日本はかつてない大きな衝撃を受けることとなったのだ。
Q. 徳川幕府の制度疲労と、天皇の「再発見」が、いかにして国民国家形成に繋がったか?
250年にわたる徳川幕府は「制度疲労」を抱えていた。財政問題、社会階層の矛盾、対外的な閉鎖性が内政を揺るがし始めていた時期に、ペリー来航という強烈な外圧が襲いかかった。

幕府内での改革論が沸き起こる中、歴史の中に埋もれていた「天皇」の存在が新たな政治的求心力として再発見された。水戸藩が提唱した「尊王思想」は、当初幕府と天皇家の協調(公武合体)を目指したものだった。
しかし、外圧への対応と幕府改革が進まない中で、「尊王思想」は本来の提唱者の意図を超え、徳川幕府の排除、すなわち「尊王攘夷」という急進的な倒幕思想へと過激化していった。
この急進的な思想を組織的に掲げたのが長州藩である。幕府に攻め込まれ窮地に陥った長州は、武士だけでなく農民や商人にまで武器を持たせ、郷土防衛への強烈なモチベーションで団結した「国民軍(奇兵隊など)」を結成した。
フランス革命の市民軍がプロの傭兵軍に勝ったように、彼らは幕府の職業軍人を打ち破り、革命を加速させた。
Q. 明治政府はいかにして多様な人々を「国民」へと統合したか?
国民意識は自然に発生するものではない。明治政府は欧米の国民国家をモデルに、日本を統一的な国民国家へと作り上げるための「上からの政策」を次々と打ち出した。
廃藩置県による地方分権の廃止、中央集権化の徹底、身分制度の解体、全国一律の学制導入による義務教育の普及など、言葉や方言、文化が異なる多様な人々を「日本人」としての一体的な意識を持つ共同体へと変えていったのだ。
国民統合の象徴として、「天皇」が積極的に活用された。これは、ゼロから民族概念を創出せざるを得なかったドイツとは異なり、日本が古くから持つ権威を効率的に利用できた点で大きな強みとなった。天皇を国の中心に据えることで、急速な近代化の中で求心力を維持し、国家形成を加速させた。
同時に領土の確定も急務であった。北のロシアとは、戦争を避けた平和的な交渉によって樺太を放棄する代わりに千島列島の一部を得ることで国境線を画定した。
Q. 明治維新の国民国家形成は、成功であったと言えるか?
明治維新における国家建設は、結果的に欧米列強の干渉を受けず、国家として自立を果たす「成功」であったと言えるだろう。地理的な優位性と、天皇という強力な統合の象徴を巧みに利用したことがその要因である。

しかし、同時に将来的な「失敗」の火種も抱え込んだ。国境を画定していく過程で、琉球処分など、隣国である中国との対立を生む問題を抱えることとなった。これは、当初から外戦を意識したわけではなく、国民国家という枠組みの拡大が必然的に招いた帰結であった。
国民国家の歴史を振り返ると、必ずしも理想的な理念だけで成立するわけではない側面が浮かび上がる。国家間の紛争が国民意識を強固にし、戦争なしには国民を束ねにくいという「国民国家の暴力性」は、現代にも通じる根深いテーマであると言えよう。
