
【東野幸治vsヒルズ族の兄貴】負債800億からの大逆転劇
U-NEXT社長 宇野康秀:壮絶な父との戦いから生まれた成功哲学
国内動画配信サービスで快進撃を続けるU-NEXTホールディングスの代表取締役社長、宇野康秀氏の半生は、まさに波瀾万丈のドラマだ。U-NEXTをAmazonプライムの先頭をゆく存在へと押し上げ、Netflixにも肉薄する彼の経営手腕は、どこから来るのか。その源泉を探ると、実業家として型破りだった父との確執、自身の会社を成長させる中での突然の家業承継、そして想像を絶する負債との孤独な戦いが見えてくる。この「地獄」のような体験から生まれた、彼の強靭な経営哲学と未来を切り拓くビジョンに迫る。

Q. U-NEXTホールディングスを率いる宇野康秀氏とはどのような人物か?
宇野康秀氏は1963年大阪府生まれ。明治学院大学卒業後、リクルートコスモスを経て、1989年に人材サービス会社インテリジェンス(現パーソルキャリア)を創業し、急成長させた。

しかし、彼のキャリアはこれだけにとどまらない。1998年、父の急逝により、かつて日本中の店舗に音楽を配信していた大阪有線放送社(後のUSEN)の社長に就任。同社をブロードバンド事業へと転換させた。
さらに2017年にはU-NEXTとUSENを統合し、現在のU-NEXTホールディングスを設立。彼の指揮の下、U-NEXTは2022年にAmazonプライムを追い抜き、2025年11月には有料会員数500万人を突破するなど、日本の動画配信市場を牽引する存在となった。一人の創業者として、また困難な事業再生を成し遂げた経営者として、稀有なキャリアを歩む人物だ。
Q. 父・宇野元忠氏のUSEN創業期はどれほど破天荒だったのか?
宇野氏の父・元忠氏は、戦後の混乱期に大阪で有線放送事業を立ち上げ、一代で全国規模のネットワークを築いた実業家である。
彼の事業の拡大は、現代の常識からすれば驚くべき手法によって行われた。USENの事業拡大の陰には、当時NTTの前身である電電公社や電力会社の電柱を、許可を得ずに利用してケーブルを張り巡らせるという破天荒な行為があった。この無許可ケーブルは日本列島の北端から南端まで、その総延長は地球3周分にも及んだという。当初は「電柱に看板を勝手にかける」程度の感覚だったものの、その後も正式な許諾は得られず、長年違法な状態が続いていた。
さらに当時の有線放送業界は、「夜中にライバル会社のケーブルを切断して顧客を奪い合う」という、まるで西部劇のような荒々しい営業戦術が横行していた。そのような競争の激しい時代を生き抜き、全国的なインフラを築き上げた父の姿は、まさしく「気性が荒くなければできない仕事」であったことを物語っている。
Q. リクルート時代に宇野氏が学んだ経営哲学とは?
幼少期から「たまに来るおじさん」と認識していたほど家に不在がちだったワンマンな父の背中を見て、宇野氏は家業を継ぐつもりは一切なかった。学生時代から起業家を目指しており、自身の目指す事業家像を明確に抱いていた彼は、起業の勉強のためリクルートに入社する。
入社した年は、リクルートコスモス株の不正譲渡事件(リクルート事件)が発覚し、株主総会が大荒れとなるという刺激的な船出であった。
しかし宇野氏が特に感銘を受けたのは、リクルートの創業者・江副浩正氏の経営スタイルだった。父のような高圧的で軍隊式のワンマン経営とは対照的に、江副氏は社員のやる気を巧みに引き出すボトムアップ型マネジメントを実践していた。

カリスマ的なオーラがあるわけではない江副氏が、社員一人ひとりの力を引き出し、組織を成長させる手法は、宇野氏にとって新鮮な「新しいマネジメントスタイル」に映った。この学びが、後に彼が創業したインテリジェンス、そしてUSEN再建において、チームをまとめ上げる基盤となるのだ。
Q. 事業承継を決断した背景に何があったのか?
リクルートで1年半経験を積んだ宇野氏は、「リクルートでの会社生活があまりにも楽しく、このままだと起業の決意が揺らいでしまう」と危機感を覚え、24歳で退社しインテリジェンスを創業した。若年層人口の減少を見据え、人材サービスに大きな可能性を見出したのだ。創業メンバーと共に事業を急成長させ、会社は株式上場を目前に控える順風満帆な時期を迎えていた。
その最中、癌で余命3ヶ月を宣告された父から突然、「会社を継げ」という依頼が舞い込む。父とは起業の際に猛反対され、再び絶縁状態が続いていたため、その場で宇野氏は依頼を固辞する。
しかし、実家に戻ると、父を亡くす悲しみと「父が愛した会社を残して死んでいくのに、なぜ断れるのか」と涙する母の姿があった。さらに、自身が創業したインテリジェンスの仲間たちからは、「宇野さんがやるべきだ。こちらは心配いらない」と力強い後押しを受ける。論理だけでなく、人の想いと家族や恩義といった感情が宇野氏の心を動かし、巨大な負債を抱えるUSENの事業承継を決断させることになった。
Q. 負債1300億円、絶望的なUSEN再建をどのように成し遂げたのか?
宇野氏がUSENの社長に就任した際、彼を待ち受けていたのは「個人連帯保証を含む800億円の会社負債」と、「無許可使用電柱の正常化に要する500億円の費用」、合計1300億円という想像を絶する規模の負債であった。普通であれば立ち尽くすような状況の中、宇野氏に大きな影響を与えた言葉がある。それは「人間が死ぬほど働いても返せるのは8億まで。それを超えたら同じだ」という助言だった。
この言葉によって宇野氏は、「どうせ返せないなら、額が大きくなっても精神的には同じ」と割り切り、この途方もない借金を背負う覚悟を決めたという。まず取り組んだのは、長年の懸案だった700万本の無許可電柱の正常化である。役所には「悪名高き会社」と相手にされず、「100年後に来てください」と門前払いを食らった。
しかし宇野氏は諦めなかった。連日役所に足を運び、会社の立て直しにかける本気度を訴え続けた結果、やがて担当者の信頼を勝ち取る。ついには「歴史が変わるかもしれない」と言葉を引き出し、政治的圧力回避のアドバイスも受けることができた。困難な作業に「もう無理だ」と音を上げる幹部社員に対しても、「皆の努力を無駄にするのか」と熱く説得し、組織を奮い立たせた。結果、不可能と思われた700万本もの電柱の正常化を、わずか1年半という驚異的な短期間で成し遂げるのである。
Q. 突如訪れた経営危機をいかに乗り越え、ブロードバンド事業を成功させたのか?
電柱問題の正常化に成功した宇野氏が次に見据えたのは、インターネット時代への対応であった。1999年頃の日本のインターネット環境はまだ脆弱だったが、USENが全国に張り巡らせたケーブル網を光ファイバーに置き換えることで、高速インターネットインフラ(ブロードバンド)として活用できるという画期的なビジョンを打ち出す。
この構想にソフトバンクの孫正義氏も強い関心を示し、一時は大規模な提携話が進展する。しかし、土壇場で提携は破談となり、会社は大規模な資金調達の目処を失う。決算期末が迫る中、債務超過による倒産という絶体絶命の危機に陥った。

そこで宇野氏が放ったのが、前代未聞の奇策である。銀行に対し、「個人として70億円を借り入れ、それを会社に直接出資することで債務超過を回避する」と直談判したのだ。最初は呆れられたこの提案も、彼の覚悟と事業ビジョン、そして当時の銀行支店長の後押しによって、異例中の異例で実行されることになる。70億円の個人融資が決まった日、彼は新規口座開設の記念にもらったミッフィーの貯金箱を手に、ラーメン屋で一人、その重みを噛み締めたという。この経験が、宇野氏の経営者としての胆力を一層強固なものにしたことは想像に難くない。
Q. U-NEXTが目指す日本の動画配信市場と世界戦略とは?
宇野氏がU-NEXTを構想したのは、大学生時代に抱いた「レンタルビデオ店の置き換え」というアイデアが原点にある。そのためU-NEXTの強みは、特定のキラーコンテンツに頼るのではなく、アニメ、ドラマ、映画などあらゆるジャンルを網羅する「圧倒的な品揃え」にある。顧客の多様なニーズに応えることで、サービスの本質的価値を高めようとしている。
今後の野望として、宇野氏はU-NEXTを日本のコンテンツを世界に発信するプラットフォームと位置付けている。海外のプラットフォームによるコンテンツ独占が進む中、日本の優れた映像作品を世界に届けるための「グローバルネットワーク」を自らの手で構築し、日本の文化産業全体の発展に貢献することを目指しているのだ。
