
「体育会系」の不祥事はなぜ多いのか?先輩・後輩関係の研究
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2026年2月10日
日本では数百万人いるとも言われる「体育会系」。その起源はどこにあるのか?体育会系の功罪はどこにあるのか?自身も体育会出身であり、『体育会系』の著者である小野雄大・順天堂大学准教授に聞いた。 【中央公論新社コラボ企画:新刊新書5冊プレゼントの詳細はこちら】 申込締切:2月18日(水)迄 ※応募にはP...
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体育会系の真価:不祥事の変遷と「知的な体育会系」への進化
「体育会系」という言葉は、その出自から現在に至るまで、光と影の両面を併せ持つ。社会においてプラスの評価を受ける一方、しばしば不祥事の背景にある負の側面も指摘されてきた。
本稿では、その誕生の経緯から、時代と共に変容する不祥事のパターン、人間関係の複雑な実態、そして現代における課題と未来への可能性まで、多角的に「体育会系」を分析する。

Q. 「体育会系」という言葉が誕生した背景とその意味は何か?
「体育会系」という言葉が世間に広く認知され始めたのは、1960年代から1970年代の大学紛争(大学闘争)の時代だ。当時、学生運動を展開する一般学生に対して、大学当局側に立ち、時には実力行使を伴って衝突した運動部学生が存在した。
メディアは、彼らを「何々系」という当時の流行にならい、「体育会系の学生たち」と分類したという。この言葉には当初から、体制派で肉体派といったニュアンスや、やや揶揄的な含みが伴っていたとされる。起源から、この言葉には暴力的な側面と結びつくイメージが存在したといえる。
Q. 体育会系にまつわる不祥事は時代とともにどう変遷したか?
体育会系にまつわる不祥事は、時代と共にその形を変えてきた。1960年代から1990年代初頭にかけては、暴力事件が目立った。集団暴行や、死者が出るような悲惨な事件も少なくなかった。
次に顕著になったのが、スポーツ推薦入試が公式化された1980年代以降の入試不正だ。1990年代には、替え玉受験や試験問題の漏洩といった、部活動関係者が関わる組織的な不正が複数件発覚し、社会問題となった。これは、優秀な学生を獲得するための大学間の競争激化が一因とも考えられる。
1990年代後半からは、性犯罪が増加傾向を見せた。「スーパーフリー事件」をはじめとする集団での性犯罪が、名門大学の学生によって引き起こされたことは世間に大きな衝撃を与えた。飲酒が絡む事件も多発し、法改正による厳罰化後も同様の事案は後を絶たなかった。
そして近年、急増しているのが違法薬物問題だ。SNSの普及により、学生が売人などと容易に繋がりを持つようになったことが背景にある。寮など閉鎖的な環境下での栽培や使用が発覚するケースもあり、多くの大学が薬物問題に対し強い危機意識を持つ。気軽な気持ちで始めたことが、組織的な犯罪へとエスカレートする可能性をはらむ。

Q. 体育会系に特有とされる先輩後輩関係は、どのような多面性を持っているか?
体育会系に不可欠とされる先輩後輩関係は、単純な「支配・服従」では語れない多面的な構造を持つ。心理学的な調査研究から、その構成要素として主に4つの因子が導き出された。
**支配服従**:明確な上下関係が存在し、命令とそれに従う行動が見られる。
**フェローシップ**:私生活を共にし、友情に近い親密な関係を築く。
**リーダーシップ・フォロワーシップ**:先輩を手本や憧れとして目標とし、その後についていく関係。
**パートナーシップ**:共通の目標達成に向け、互いに尊敬し、強い絆で結ばれる関係。
支配服従の関係は、行き過ぎればハラスメントや不祥事に繋がる危険性を孕む。しかし、フェローシップやリーダーシップ・フォロワーシップ、パートナーシップといった他の関係性は、チームの結束や個人の成長に不可欠な要素として機能することが示唆された。特にフェローシップやパートナーシップは、団体競技で強まる傾向が見られる。
これらの関係性のバランスは非常に重要であり、良好な関係も一歩間違えれば負の影響を生む可能性がある。例えば、フェローシップが強すぎると馴れ合いが生じ、競技における緊張感が失われ、結果としてパフォーマンスの低下に繋がる恐れがある。指導者には、これらの複雑な関係性を理解し、バランスを考慮したチーム作りが求められる。
また、部の文化や創部時期も関係性のあり方に影響を与える。創部が古い伝統校ほど、支配服従の関係が根強く残る傾向が見られるのは、その設立当初の慣習や価値観が引き継がれているためだ。こうした状況は、変革を阻害する要因にもなりうる。
Q. スポーツ界で繰り返されるパワハラ問題の根底にある原因とは何か?
スポーツ界におけるパワハラ問題の背景には、指導者と選手間の深刻なジェネレーションギャップが存在する。30年から40年もの世代間の隔たりから生じる価値観のずれは大きい。指導者は自身の成功体験に基づき、それが「当たり前」であると若手選手に押し付ける傾向がある。
しかし、現代の選手たちの価値観や文化は変化しており、指導者の「常識」との乖離は無視できない。例えば、今日の学生には先輩へのタメ口も珍しくないが、これを頭ごなしに否定するだけでは相互理解は深まらない。
さらに、多くの運動部は外部の目が届きにくい「閉鎖的な組織」になりがちだ。この構造は、指導者を絶対的な権力者にし、ガバナンスが機能しなくなる温床となる。日大アメリカンフットボール部の悪質タックル事件が良い例であり、部内における絶対的な力関係が外部からの検証を困難にする。

近年、サッカー界でパワハラの告発が相次ぐのは、Jリーグが指導者ライセンス制度の研修や通報窓口の設置を進め、選手が声を上げやすい環境を整備したためだ。これは他の競技でも同様の問題が起きている可能性を示唆し、むしろサッカー界は先行して可視化と問題解決に取り組んでいる事例と言えるだろう。
Q. 令和の時代に求められる「知的な体育会系」とは何か、その強みと課題をどう捉えるべきか?
令和の時代に体育会系が生き残るためには、「知的な体育会系」への進化が不可欠だ。その最大の強みは、心がえぐられるような「負けの経験」を何度も乗り越えてきたことによる、圧倒的な精神的回復力(レジリエンス)である。
この経験は、他のいかなる経験とも異なるユニークで貴重なものであり、社会で困難に直面した際に立ち向かう強力な武器となる。「スポーツしかやってこなかった」と卑下するのではなく、この独自の強みを自覚し、言葉にして伝えることが重要である。
しかし、同時に自分たちの部活動という「村の常識が、社会の非常識である可能性」を認識する「メタ認知」も必要だ。意識的にアルバイトを経験したり、他分野の学習に取り組んだりするなど、部活動以外の世界に触れることで、客観的な視点を養い、社会で通用する力を身につける努力が求められる。
知的な体育会系とは、スポーツで培った継続力、体力、回復力といった強みを土台に、常に学び、自らをアップデートし続ける姿勢を持つ人材を指す。肉体だけでなく知性も磨くことで、スポーツの経験が社会で真価を発揮する鍵となるだろう。

Q. 体育会系は今後、社会でどのような役割を担い、どう変化すべきか?
体育会系は、その負の側面を改善しつつ、独自の強みを認識し社会に還元することで、今後も重要な役割を担い得る。現在指摘される批判的な眼差しは、個々の体育会系学生や関係者が、自分たちの行動が社会にどう影響するかを自覚し、変化することで変えられ得るものだ。
指導者も、経験に頼りきるだけでなく、時代の変化に対応し、常に知識やスキルをアップデートする必要がある。部活動内のガバナンス強化や、外部からのチェック機構の導入は、健全な組織運営のために不可欠となる。
また、学生自身も「自分はこれしかできない」という自己限定をせず、多様な経験を通じて視野を広げるべきだ。体力や継続力といった伝統的な強みに加え、現代社会で求められるコミュニケーション能力や問題解決能力を磨くことが、未来の体育会系に課せられた使命だ。これからの体育会系のあり方が、その言葉の評価と未来を決定づけるだろう。
