
前編:成田悠輔と考えるデータ活用
「年間130兆円」社会保障費を最適化せよ: 日本再興の鍵はデータ駆動型社会の実現にある
データ活用は現代ビジネスの現場で当たり前の概念だ。しかし、国家の政策決定や複雑な社会課題の解決となると、その導入と効果の実証は途上にあった。
少子高齢化が進む日本は、年間130兆円にも及ぶ社会保障費という喫緊の課題に直面している。この持続不可能な状況を打開する鍵として、データ駆動型社会の実現が期待されている。
本稿では、マクロな政策決定におけるデータ活用の現状と課題、そして日本再興に向けた実践的なアプローチについて、有識者の見解を交えながら解説する。
Q. マクロな政策決定にデータ活用が難しいのはなぜか?
データ活用は医薬品の効果測定やウェブサービスのUI改善といったミクロな問題では効果が実証され、活用法も確立している。
しかし、国全体の政策や法律といったマクロな問題への応用では、依然として明確な成功事例や「キラーアプリ」が見当たらない。この課題は世界共通の認識だ。
大規模な政策にデータ活用が進まない背景には、効果が現れるまでの時間軸の長さや社会情勢の変化といった技術的要因に加え、複雑に絡み合う利害関係や客観的な判断を阻害する政治的側面がある。
例えば、ゆとり教育政策の是非をデータで測ろうとすれば、数十年単位の追跡が必要となり、その間に社会環境は大きく変化してしまうだろう。
Q. なぜ日本の社会保障費は持続不可能だと言われるのか?その根本原因は?
日本の社会保障費は年間130兆円を超え、防衛費の約20年分に相当する額がわずか1年で使われている。
この額は過去30年間で3倍にも膨れ上がり、現在も経済成長をはるかに上回るペースで増え続けている。原因は高齢化と医療の高度化であり、このままでは将来世代への莫大な負担増は避けられないだろう。
根本的な問題は、費用支出の大部分が「事後対応型」に偏っている点にある。社会保障費の99%以上が病気になった後や介護が必要になった後に使われており、健康診断のような「予防」領域への投資は1%にも満たない。
長期的に見れば、個人のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)向上と国家財政の持続可能性の両面において、「予防」への戦略的な投資への転換が喫緊の課題となっている。
Q. 「予防医療」にお金が回らないのは、データ活用のどのような問題が関係しているのか?
「予防」の重要性は認識されているにもかかわらず、そこへ資金が投じられない最大の理由は、効果検証のプロトコルが未確立である点に尽きる。
医薬品開発には、厳格な臨床試験と明確なプロトコルが存在し、効果が科学的に実証されて初めて承認される。
しかし、ウォーキングや食事指導といった予防策の効果は、数十年といった長期間にわたって検証する必要がある。この長いタイムスパンが、効果測定を困難にしている。
また、喫煙の弊害に関する知見のように、一見有益な介入が、代替行動(例えば禁煙による甘味摂取増と糖尿病リスク増)という形で予期せぬ波及効果を生む可能性もある。これらの複雑な要素を統合的に測定する手法は、まだ十分に確立されていないのだ。
Q. 企業経営のようにデータに基づいた政策評価を行うためには何が必要か?
企業経営においては、新たな施策を打つ前に効果検証方法と目標指標を明確に定め、期間後にはデータに基づき評価するのが常識だ。しかし、公共政策ではこれが不足している。
例えば、長野県は平均寿命と健康寿命で日本トップクラスだが、その要因とされる野菜摂取量の多さや高齢者の社会参加率を、他県と比較する統一された「ものさし」がないため、何が真の成功要因かを断定できない。これにより、具体的な政策提言やイノベーションへの応用が阻害されている。
特定健康診査(メタボ健診)の効果を巡る「効果あり」と「効果なし」という研究者間の対立は、分析手法の標準化が欠如している典型例である。
学術界では、研究の恣意性を排除するため、データ取得前に分析計画を事前登録する「プレレジストレーション」が広がりつつある。この厳格なアプローチを社会政策の評価にも導入し、共通の比較分析メソッドを確立することが不可欠だ。
Q. 海外の成功事例から学べる「データ活用の本質」とは何か?
貧困国の就学率向上という課題に対し、ノーベル経済学賞研究が導き出した答えは、「子供への駆虫薬の配布」だった。
教員増、インセンティブ付与といった一般的なアプローチを退け、最もコスト対効果が高いのは、想像もしなかった医療介入であったのだ。
この成果は、データに基づき多様な選択肢を横断的に比較し、正しい「問い」を設定することで、常識を覆す解が導かれる可能性を示唆している。
J-PAL(貧困アクション研究所)の成功の核心は、個々の研究成果だけでなく、世界中の研究者が同じ尺度で大規模な社会実験を設計・実行できる「プラットフォーム」を構築した点にある。
研究設計ノウハウの提供、資金調達支援、人材育成までを一体的に行い、世代を超えて知見が蓄積されるエコシステムが、社会を変える研究を持続的に生み出す源泉となったのである。
Q. 日本でデータ駆動型社会を実現するための具体的な一歩は何か?
日本においても、J-PALモデルに学び、経済同友会を中心にアカデミアと企業が連携し、データ検証のプラットフォーム「一般社団法人 Well-being for Planet Earth」が始動した。
まずは、企業内で完結しやすく、比較的データ活用の抵抗が少ないテーマから「クイックウィン」(短期的な成功)を目指す戦略を採る。具体的には、男性育休取得の最適化、介護離職の予防策、新入社員の最適配属といった企業データに基づく課題解決である。
中長期的には「認知症と歩行速度の関係」のように、解明されれば社会保障費の削減と人々のQOL向上に直結するような「ドリームプロジェクト」を立ち上げ、「社会保障のゴールドスタンダード」を確立することを目指している。
短期的成果と長期的インパクトのあるテーマを両輪で推進することが、日本版J-PAL成功の鍵となるだろう。
Q. プライバシー規制とデータ活用のバランスをどう取るべきか?
データ活用推進の大きな障壁の一つが、個人情報保護を巡る懸念である。近年、法規制以上に「炎上リスク」を恐れた企業の自主規制により、データ共有が以前より困難になる逆説的な状況が発生している。
解決策の一つとして、「データ活用特区」の発想がある。特定の老人ホームやスマートシティで限定的な実証実験を行い、住民がその便益を理解した上で自らデータ提供に同意(オプトイン)する形だ。
例えば、前橋市が進める「前橋ID」構想では、協力者がIDの下でデータを提供し、行政や企業がサービス開発に活用する。センサーによる介護予防など、具体的な便益が示されれば、人々はプライバシーに対する感度を変え、自発的にデータ提供に協力する可能性がある。
抽象的な規制論議に終始するのではなく、まずは小さな成功事例を積み重ね、具体的な利便性を示すことで、プライバシー規制の「落としどころ」を実践的に見つけるアプローチが求められる。
