
イギリス財政の行方
英バーナム政権の初予算案が浮き彫りにした財政危機の現在地と先送りの本質
英国で新たに発足したバーナム政権が、初となる予算案を発表した。
10年債利回りが5%台へ急騰し、国の利払い負担が年140億ポンドも膨張する極めて厳しい局面での船出である。
有権者からの手厚い生活支援への期待と、財政拡張を警戒する金融市場の厳しい視線という板挟みの中で、新政権はどのような選択を下したのか。
一見すると市場の動揺を抑え込んだように見える今回の予算案だが、その内実を精査すると、国家の命運を左右する重い構造課題を将来へ棚上げした現実的な妥協策が浮かび上がる。
財政規律と弱者救済の均衡を図る英国の苦闘は、財政拡張と成長の両立に悩む日本にとっても決して対岸の火事ではない。

Q. バーナム政権にとって初となる予算案はどのような方針で編成されたのか?
今回の予算案は一言で言えば、目先の生活支援と市場の信認獲得を最優先し、本格的な国家改革を将来へ先送りした内容である。
2024年7月に発足した労働党主導のバーナム政権には、生活苦にあえぐ国民から手厚い所得分配を求める強い期待が寄せられていた。
しかし同時に、過去の失政から財政拡張に対して極めて神経質になっている金融市場の警戒感も払拭しなければならなかった。
この相反する要請を満たすため、政権は冬場の負担軽減を中心とする限定的な家計支援と財政ルールの厳格な遵守を打ち出した。
その代償として、首相自身が真に目指していた大規模な国家の構造改革は、予算案の中に十分盛り込むことができず、今後の検討課題として持ち越される形となった。
つまり、現実の財政的制約の前に理想を一旦棚上げし、まずは市場の動揺を回避することを最優先した極めてプラグマティックな予算編成となったのである。

Q. 政権の中枢を担うバーナム首相とヒーリー財務相はどのような人物像と役割分担を持つのか?
新政権の舵取りを担うバーナム首相とヒーリー財務相は、際立って対照的な個性とキャリアを持つコンビである。
バーナム首相は前職のマンチェスター市長時代から住民補償を求めて中央政府と激しく渡り合うなど、徹底した庶民派として知られる。
理詰めで政策の合理性を説いた前任のスターマー前首相とは異なり、人々の不安や不満に深く共感し、感情に訴えかけて希望を示す政治スタイルが特徴である。

対するヒーリー財務相は、極めて冷静沈着で穏健な実務派でありながら、自らの信念を曲げない強固な意志を秘めている。
前政権で国防相を務めていた際には、国防予算の不足を理由に自ら辞任を選んだ経歴を持ち、財政の現実を冷徹に見極める手腕に定評がある。
バーナム首相が国民の心に寄り添って分配の理想を掲げる一方、ヒーリー財務相は厳しい財政規律を守る防波堤の役割を果たす。
この二人の絶妙な緊張感と役割分担こそが、過大な大衆迎合を防ぎ、政権への信頼を担保する要となっている。
Q. なぜ英国の10年債利回りは財政危機が叫ばれるフランスをも上回る水準にあるのか?
現在、英国の10年債利回りは5%を超えており、深刻な財政危機に直面しているフランスをも上回る水準で推移している。
単純な金利比較だけで両国の財政状況を一概に断じることはできない。
英国とフランスでは物価上昇率の推移が異なる上、イングランド銀行と欧州中央銀行の政策金利水準やインフレ期待にも大きな隔たりが存在するからである。
しかし、金利の上昇傾向そのものを注視すると、英国の財政に対する市場の根深い不信感が浮き彫りになる。
英国はブレグジット以降、潜在成長率が明確に低下したところへ、コロナ禍での大規模出動やエネルギー危機対策の支出が重なった。
政府債務残高は対GDP比で約100%に達し、債務比率約120%のフランスよりは低いものの、金利上昇に伴う利払い費の増大が著しい。
何もしなくても利払い負担だけで年間140億ポンドも財政が悪化していく構造的ジレンマに直面しており、市場はこの悪循環を強く警戒しているのである。

Q. 新予算案における家計支援と増税措置の具体的な内実と市場の反応はどのようなものだったのか?
今回の予算案では、冬場の暖房需要増加による生活苦を緩和するため、手厚い家計支援策が講じられた。
イングランドの約2000万世帯を対象に100ポンドの一時給付金を支給するほか、預金にかかる付加価値税の時限的なゼロ化や燃料税の減税などを実施した。
これらを合算すると、世帯あたり約200ポンド相当の公的支援が提供される計算となる。
問題はその財源確保だが、政権は選挙公約を守り、所得税、付加価値税、国民保険料という基幹三大税の引き上げには一切手をつけなかった。
代わりに財源として標的となったのが、銀行と資産所得である。
銀行に対する上乗せ法人税率を3%から6%へと引き上げたほか、不動産所得や預金利息への課税強化を断行した。
市場はこの増税に対して極めて冷静であり、発表後にはむしろ銀行株が買われる展開となった。
2022年のトラス・ショックの反省を踏まえ、政府は事前に増税観測を小出しにリークして市場に対策を織り込ませていた。
さらに銀行増税が過去の最大値である8%を下回る6%にとどまり、期間も15カ月限定の時限措置とされたため、不透明感の払拭から買い安心感が広がったのである。

Q. 予算案の中で先送りされた防衛費増額と年金制度改革という二大本丸にはどのような問題があるのか?
今回の予算案が市場に波乱を起こさなかった最大の要因は、財政支出の最大要因である防衛費と年金という二大本丸の改革を先送りした点にある。
第一の防衛費について、英国は安全保障環境の激変を背景に、対GDP比で2030年までに3%、2035年までに3.5%へ引き上げる目標を公約に掲げている。
医療や教育など社会保障への支出も維持したい政権にとって防衛費の捻出は頭痛の種であり、巨額の財源手当は来年以降の歳出見直し作業へ先送りされた。
第二の年金問題では、英国特有の手厚いトリプルロック制度が財政を圧迫し続けている。
これは物価上昇率、賃金上昇率、2.5%の固定値の三者の中で最も高い数値に合わせて給付を引き上げる仕組みである。
インフレ局面で給付費が激増するため、政府は将来的に賃金連動型スライドへの移行を目指している。
しかし、高齢者層の反発を恐れて制度変更の実施時期を次回総選挙後となる2030年以降に設定した。
このように政治的痛みを伴う本質的な課題の解決は、ことごとく後回しにされたのが実情である。
Q. 金融引き締めリスクやEU再加盟をめぐる動向、そして英国の事例から日本が汲み取るべき教訓とは何か?
英国経済の先行きには依然として不透明な要素が山積している。
イングランド銀行は本来なら利下げによって景気を下支えしたい局面にあるが、根強い物価高止まりと中東情勢を受けたエネルギー価格再上昇により、景気冷却を覚悟した追加利上げを余儀なくされている。
また、国民の間でブレグジットを後悔する声が高まり、政権もEUとの関係改善を成長戦略の柱に据えようとしているものの、かつてのポンド維持や予算減免といった特権の回復は不可能であり、再加盟への道は10年単位の難題である。
こうした英国の苦境から日本が学ぶべき最大の教訓は、市場および国民との対話手法にある。
英国はトラス・ショックの痛烈な教訓を経て、歳出拡大や減税を行う際には必ず裏付けとなる財源をセットで提示し、市場の疑心暗鬼を封じるコミュニケーションを徹底した。
減税先行で財源論を曖昧にしがちな日本の財政議論において、この規律ある市場対話は大いに参考となる。
同時に、フランスのように国民の反発を招いて政治混乱に陥るのを避け、痛みを伴う改革を進めるためには、まず国民感情に寄り添い信頼を築く姿勢が欠かせない。