
社会を主語に人を動かす広報術
取材1万件超の「伝説の広報」が明かす、社会を主語にして売上56億円を生み出すPR戦略
JR名古屋タカシマヤを舞台に、年間最大1000件超、累計1万件以上のメディア取材対応を成し遂げた人物がいる。
元広報の犬飼奈津子氏は、卓越した行動力とメディア視点の企画力で「伝説の広報」と称された。
今や売上56億円規模へと成長したバレンタイン催事「アムール・デュ・ショコラ」の成功を牽引した立役者でもある。
しかし、彼女のキャリアは順風満帆なエリートコースではなく、うつ病による休職や挫折を乗り越えた末に切り拓かれたものだった。
自社都合の宣伝から脱却し「社会を主語にする」ことで絶大な反響を生み出す独自の広報哲学と、逆境から天職を築き上げた軌跡に迫る。

Q. 年間1000件超の露出を記録し「伝説の広報」と呼ばれるようになった背景には何があるのか?
犬飼氏が「伝説の広報」と評される最大の理由は、群を抜く圧倒的な取材対応の実績にある。
在籍中、テレビ取材は年間最大で約500件、新聞は約400件に達し、Webメディアを含めると年間1000件を超える露出を獲得した。
累計の取材対応件数は実に1万件以上を数え、地元東海地方のメディア関係者からは「押しが強すぎる広報」と評されるほどだった。
この圧倒的な数字は、偶然やメディアの気まぐれによってもたらされたものではない。
着任当時、犬飼氏は「自館を日本一露出する百貨店にする」という目標を自ら掲げた。
他店を圧倒する露出を実現するため、プレスリリースを徹底的に書き上げ、番組や新聞の各コーナーに合わせた企画書を精力的に提案し続けた。
誰にも負けない取材対応の経験量と、露出に対する並外れた執念こそが、彼女を唯一無二の広報担当者へと押し上げた原点である。
Q. 経済的自立を目指した学生時代にどのような決断を下したのか?

犬飼氏の行動力の源泉は、幼少期の家庭環境に根ざした「女性でも経済的に自立しなければならない」という強い覚悟にある。
誰かに依存せず生きていく基盤を作るため、自ら入学金を貯めて短期大学に進学した。
しかし、短大の授業で直面したのは、社会に横たわる一般職と総合職の厳格な待遇格差という冷徹な現実だった。
任される業務内容だけでなく、給与や将来のキャリアパスまでもが初任時から大きく隔てられている事実を知ったのである。
格差の存在を前にして、彼女は現状に甘んじる道を選ばなかった。
総合職として自立したキャリアを歩むため、再びアルバイトで資金を工面し、4年制大学への3年次編入を果たした。
自らの力で未来を切り拓くこの強い主体性と突破力こそが、後のビジネス人生を支える強固な土台となった。
Q. 内定先への「飛び込み取材」を経てJR名古屋タカシマヤを選んだ理由とは何か?
2000年に開業したJR名古屋タカシマヤは、百貨店業界において後発の新しい店舗だった。
就職説明会で人事担当者が放つ熱気と「日本一の百貨店を目指す」というベンチャー精神に、犬飼氏は強く惹きつけられた。
厳しい就職氷河期にあって、彼女は早い段階で高島屋と憧れの海外高級ブランドの2社から内定を獲得する。
どちらに進むべきか真剣に葛藤した際、彼女は極めて異例な調査行動に出た。
人事担当者の用意した美辞麗句を信じるのではなく、現場の生の声を知るため、アポなしで双方の店舗へ直接赴いたのである。
それぞれの売り場で働く社員3名ずつに突撃取材を試み、職場のリアルな労働実態を徹底的にヒアリングした。
高級ブランドでは人間関係やキャリアの厳しさを吐露された一方、高島屋の若手社員たちは一様に目を輝かせていた。
「毎日が本当に楽しい、一緒に日本一を目指そう」と仕事に熱狂する社員たちの姿を目の当たりにし、高島屋への入社を決意した。
Q. 販売現場での挫折やうつ病休職から、どのようにして広報への配属が決まったのか?

入社後、ランジェリー売り場に配属された犬飼氏は、当時大流行した「ヌーブラ」の担当を任された。
地域独占販売だったことからテレビの取材依頼が殺到し、新入社員でありながら堂々とカメラの前で商品説明を務め上げた。
その物怖じしない姿勢は、後に大きな転機を呼ぶ布石となる。
しかし入社3年目、熱心な仕事ぶりが評価されて大型催事の統括に抜擢されたことで暗雲が立ち込める。
「期待には120点で応えなければならない」と自らを追い込み続けた結果、過重な重圧によりうつ病を発症し、3カ月の休職を余儀なくされた。
復職後は重責を避け、顧客と直接向き合える売り場への配置を希望していた。
そんな彼女に「広報をやってみないか」と救いの手を差し伸べたのが当時の人事部長だった。
新人時代の堂々たるメディア対応力を覚えていた人事部長の直感的な抜擢が、5年目からの広報人生を拓く契機となった。
Q. メディアを動かす「社会を主語にする」広報戦略とはどのような手法か?
着任当初、全館を挙げた大型秋ファッション祭のリリースを自信満々で配信したものの、取材は1件も入らなかった。
その日のニュースで大きく報じられていたのは、地元の動物園で誕生したサルの赤ちゃんだった。
自社にとっての大事件であっても、世間の人々にとって関心のない情報はメディアに選ばれないという痛烈な教訓を得た瞬間だった。
失敗を糧に、地域の全情報番組を録画してコーナーの特徴や採用基準を徹底的に分析する作業を開始した。
導き出した結論が、企業都合ではなく「社会を主語にする」という発想法への転換である。
単なる服の案内ではなく「梅雨を快適に過ごすレイングッズ」や「猛暑対策」といった世間の関心事に切り口を再定義した。
自身の子どもの学校便りをヒントに「ノーランドセル登校」のトレンドを察知した際は、教科書が入るリュック売り場をバイヤーに逆提案した。
社会のニーズに合わせた売り場を共創し、そこにメディアを誘致して集客につなげるという強力な好循環を築き上げた。
Q. 売上56億円を誇る「アムール・デュ・ショコラ」を日本一の催事へと育て上げた仕掛けとは何か?

バレンタイン催事「アムール・デュ・ショコラ」は、今やチョコレートだけで売上56億円を叩き出す怪物イベントである。
しかし初期は「若い女性の告白文化は主婦層の視聴率が取れない」とテレビ局に門前払いを食らっていた。
転換点となったのは、担当バイヤー同期が語った「花火大会のような非日常の熱狂空間にしたい」という情熱への共鳴だった。
犬飼氏は会場の価値を劇的に高めるため、世界的有名パティシエを名古屋に呼び寄せる戦略に打って出た。
地方への来訪を渋るシェフたちに対し「テレビ取材の場を用意する」という条件を提示して誘致に成功した。
会場ではシェフが商品にサインを行い、来場客と交流するアイドル的な熱狂空間を演出し、唯一無二の付加価値を創出した。
さらに「平均予算3万円以上」といった客観的な意識調査データを公開し、購買意欲を後押しする緻密な世論形成を展開した。
前日プレビューに100媒体以上を招待し、早朝から夕方まで生中継のはしご対応をやり抜くことで、社会現象としての地位を不動のものにした。
