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職場の対話疲れ。なぜスレ違う?一番の相談相手は「生成AI」
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2026年4月7日

職場で広がる対話ブームへの疲れが広がっている。なぜ対話に疲れているのか?どう対処すればいいのか?パーソル総合研究所の小林祐児・主席研究員に聞いた。 <ゲスト> 小林祐児|パーソル総合研究所 主席研究員 上智大学大学院修了後、NHK放送文化研究所、マーケティング会社を経て15年パーソル総合研究所入社...
職場の対話はなぜすれ違う? コミュ力だけでは乗り越えられない本質的課題
現代の職場で、対話への疲弊が深刻化している。ワンオンワンミーティングや目標設定面談など、丁寧なコミュニケーションを求める機会は増える一方、部下が生成AIを一番の相談相手にするという現象も発生しているのだ。このような状況下で、多くの人が「対話疲れ」を感じ、本来促進されるべきコミュニケーションが逆に滞っているのが現状である。
この課題に対し、パーソル総合研究所の小林祐児主席研究員が自身の著書「職場の対話はなぜすれ違うのか」を元に、対話の本質と現代の職場のギャップを語る。本記事では、この講演をQ&A形式で深く掘り下げ、対話がすれ違う構造的な理由と、その克服に向けた考察を提供する。

Q. 職場の対話はなぜすれ違い、疲弊しているのか?
人材マネジメントのトレンドとして「対話」が重視され、企業ではワンオンワンミーティングをはじめ、腰を据えて話し合う機会が大幅に増加した。しかし、多忙なマネージャーにとってこれらの面談は大きな時間的コストとなり、「対話疲れ」という新たな疲弊を生み出している。本来、協調的な組織運営を目指すはずの対話が、皮肉にも現場の負担増大につながっているのである。
コミュニケーションの現場では、テキストやチャットが主流となり、リアルな対話の機会は減少。その中で、多くの従業員が生成AIを「一番の相談相手」としている実態も明らかになっている。仕事の悩みから個人的な相談までAIに頼る風潮は、コミュニケーションの非人間化が急速に進んでいることを示唆しており、企業が推進する「対話」の流れとは逆行する動きだと言える。
Q. なぜ今、これほど「対話」が求められているのか?
現代の職場では、多様な個性が混在し、年齢、性別、国籍などが異なる人々が共に働くのが当たり前となっている。これにより、従来のトップダウンによる一律の指示命令では組織を動かすことが難しくなった。多様な人材の個性を尊重し、それぞれの意見や状況に寄り添うためには、きめ細やかな対話が不可欠という認識が高まっているのだ。

企業は「対話」に多くの効果を期待している。例えば、心理的安全性を高めてアイデアを出しやすい環境を作り、イノベーションを促進すること。ダイバーシティを推進し、多様な人材が活躍できる場を創出すること。さらには、組織不祥事の芽を早期に摘み取るなど、危機管理の面でも対話が重視される。
対話はこれらの多岐にわたる課題に対する「万能薬」のような処方箋として期待されている。しかし、この期待の裏返しとして、現場では対話にかかる時間や精神的なコストが無視できないほど増大しており、理想と現実の間に大きな乖離が生じているのが現状である。
Q. データから見る職場のコミュニケーションの現状は?
実際に行われた調査では、職場で「本音で話せる相手が一人もいない」と回答する人が半数以上に達している。このデータは、表面的な対話が推奨される一方で、従業員が深いレベルでの心の繋がりや信頼関係を築けていない現実を浮き彫りにする。
さらに、職場の人間関係に対して「なんでも相談できる関係性よりも、形式的な付き合いで十分」と考える傾向が、この30~40年で顕著に増加している。職場はあくまで仕事をする場であり、個人的な深い関係は求めないという考え方が広がっているのだ。これは、会社の推進する「対話」の方向性と個人の意識との間に大きな溝があることを示している。

対話の相手は職場内に限らない。家族や友人との間でも本音をさらけ出すコミュニケーションが難しいと感じる若年層も存在する。SNSでのつながりは簡単に断ち切れるため、「良い人でい続けなければならない」というプレッシャーが常に伴う。これにより、職場のみならずプライベートにおいてもコミュニケーション疲れが生じている状況が見て取れる。
Q. コミュニケーション不全は個人の「コミュ力」不足が原因なのか?
近年、「雑談力」や「聞く力」といった個人のコミュニケーションスキル(コミュ力)が過度に重視され、多くのビジネス書でもベストセラーになっている。しかし、この風潮は「私はコミュ障だから」と、自らコミュニケーションに壁を作る人を増やしている。コミュニケーションが苦手なこと自体がネガティブに捉えられ、個人の問題として帰結される傾向が強まっているのだ。
対話とは本来、一方的なスキルではなく、相互作用によって成立するものである。ボーリングのように個人の技量だけで結果が決まる「個人競技」とは異なり、卓球のラリーのように、相手と協調することで初めて持続する「団体競技」に近い性質を持つ。にもかかわらず、コミュニケーションの失敗を個人のスキル不足に求める「コミュニケーションの個人競技化」が進んでいる現状がある。
この個人責任論は、職場の対話疲れをさらに加速させる原因となる。対話は得意な人もいれば苦手な人もいるため、全員に高い「コミュ力」を要求し、うまくいかない場合に個人の努力不足として批判することは、かえって対話への意欲を削ぎ、組織全体のコミュニケーション不全を深める可能性があるのだ。
Q. 円滑な対話に不可欠な「コモンセンス」とは何か?
コミュニケーションの原理を考えるために、日常的な「挨拶」を例に挙げることができる。廊下ですれ違った時に「おはようございます」と言えるのは、相手がそれに応じてくれるだろうという「予期」があるからだ。この予期はさらに、相手も自分に挨拶を返せば自分が喜ぶことを「予期しているだろう」という相互の予期の上に成り立っている。
実際には、相手の心を完全に理解することは不可能である。私たちは、「理解したことにする」ことでコミュニケーションをスムーズに継続させているに過ぎない。この「思考を止める」プロセスが、円滑な対話の基盤を築いていると言える。
より深く見ると、対話に本当に必要なのは、単に「お互いが同じ知識を持っていること(相互知識)」ではない。重要なのは「お互いが知っていることを知っている状態」であり、これを社会学では「コモンセンス」と呼ぶ。共通の土台の上で、相手が何をどの程度理解しているかについて相互認識があることこそが、話さなくても通じる「阿吽の呼吸」を生み出す鍵となるのだ。
Q. 現代において「コモンセンス」はなぜ失われつつあるのか?
かつての日本では、テレビや新聞などのマスメディアが「コモンセンス発生装置」として機能していた。例えば、全国放送のバラエティ番組を見た翌日には、クラスメイトや同僚と番組の話題で盛り上がれた。これは、誰もが同じ情報を得ており、その情報を他者も知っているだろうという相互の「コモンセンス」が働いていたからである。

しかし、現代は情報のパーソナライズ化が進み、人々は各自の興味関心に基づいた情報のみを摂取するようになった。SNSの普及もこの傾向を加速させている。結果として、かつて存在した共通の話題や前提が失われ、他者が何を知っていて何を共有しているのか見通しにくくなった。
この「コモンセンス」の劣化こそが、職場の対話がすれ違う根本的な理由だ。相手がどのような前提知識を持っているか分からない中で、「対話せよ」と要求されることは、ルール不明な「無理ゲー」を課されているようなものだ。対話不全は、個人の能力や「コミュ力」のせいではなく、コモンセンスが失われた社会構造そのものに原因がある。
過去、日本では社縁がコモンセンスを育む土壌となっていた。会社に長く勤め、苦楽を共にすることで自然と阿吽の呼吸が生まれていた。しかし、転職が当たり前になり、働き方が多様化した現代では、この社縁も弱まっている。かつて当たり前だった前提が失われ、その中で「対話しろ」と個人に押し付けることは、その人物が所属する環境の複雑性を無視していることになるのだ。
Q. 対話疲れを乗り越えるためには何が必要なのか?
対話疲れを乗り越え、円滑なコミュニケーションを再構築するには、失われた「コモンセンス」を意図的に作り出す工夫が必要である。具体的には、誰がどこまで情報を共有しているかが可視化されやすいメディアや仕組みを選択することが有効となる。
また、「対話」そのものを目的にするのではなく、何か別の主題を設けて、その「副産物」として対話が生まれるように設計することも効果的だ。例えば、共通のプロジェクトや目標を通して自然な対話が生まれるような環境を整備することが考えられる。
個人レベルでは、対話が苦手だと感じる人がまず取り組むべきは、「アンカリング」である。これは、自分自身の知識や関心事を積極的に表現し、相手に自己開示すること。相手が自分に対してどの程度の知識や関心を持っているかを理解することで、コモンセンスを築く第一歩となる。自ら心を開かなければ、相手も心を開くことはないため、まずはこちらから積極的に情報を提示していくことが重要だ。