
日本のインテリジェンス戦略。弱点はスパイとサイバー
国家の命運を握る「情報」改革:日本が抱える80年の宿題を解く鍵とは?
国家の安全保障を考える上で、インテリジェンス、すなわち「情報」は必要不可欠な要素である。しかし、日本の情報力は世界水準と比較して著しく劣るとの厳しい評価がある。特に人的情報収集(ヒューミント)とサイバー能力は「ゼロ」に等しいとも指摘される。なぜ日本は情報の分野でこれほどまでに遅れてしまったのか。そして、喫緊の課題として浮上したこの「80年の宿題」をいかに解決すべきか。本記事では、この問いに対し、政府の検討する改革案とその実現に向けた課題を探る。

Q. 日本のインテリジェンス能力の現状はどう評価できるか?
日本のインテリジェンス能力は「ダメ」「赤ちゃんレベル」と酷評される。かつて米国の外交官から「インテリジェンスは外交官の酸素だ。よく酸素なしでやっている」と揶揄されたほど、他国と比べるまでもなくその差は歴然としているのだ。
情報収集において、外交官は“新聞記者”のように公の情報を集める。これに対しインテリジェンス機関は、“週刊誌記者”のように隠れた情報、つまり「裏」を取る役割を担う。しかし、日本にはこの「裏取り」の手段が決定的に欠けている。相手国が真実を全て語るとは限らない国際情勢において、裏が取れないまま交渉に臨めば、常に不利な状況に置かれることになる。現代においては、この「裏取り」の主役は、もはやスパイ(ヒューミント)だけでなく、サイバー技術を駆使した情報収集へと大きく移行している。

だが日本は、スパイによるヒューミントが皆無な上に、サイバーにおいても世界に30年近く遅れを取り、ホワイトハッカー集団がようやく立ち上がる段階だ。これまでのサイバー情報は事実上「ゼロ」であり、この分野でも国際水準から大きく乖離していると認識されている。
Q. なぜ日本のインテリジェンスは80年間も遅れてしまったのか?
日本のインテリジェンス能力が停滞した歴史的背景は深い。まず、第二次世界大戦後のGHQによる統治下で、日本の軍事および情報機関は徹底的に解体された。その後、冷戦期に入ると、当時の社会党や共産党がソ連などの東側陣営の立場を取り、軍事力や情報力の強化に対して強く反対し続けたのだ。
欧米主要国の左派政党が自国の西側陣営についたのとは異なり、日本の左派政党が東側についたのは極めて異例であった。この特異な国内政治の「ゼロサムゲーム」構造が、ソ連崩壊後も慣性的に情報機関の再建と強化を阻んできた。その結果、日本は80年もの間「酸素なし外交」を強いられてきたのである。
インテリジェンス機関は、テロや戦争だけでなく、自然災害や経済危機といった国民に危害を及ぼすすべての脅威から命を守るための国家の根幹機能である。この必須能力を疎かにしてきたことは、国民に対する責任を怠ってきたに等しいと言えよう。
Q. 現在検討されているインテリジェンス改革の具体的な内容は何か?
高市政権は、国家の国力を図る指標である「外交(D)、情報(I)、軍事(M)、経済(E)」からなる“DIME”の中で、日本がこれまで軽視してきた「情報(I)」と「軍事(M)」の分野を強化する方針を打ち出した。これは「戦後80年の宿題」と位置付けられている。

具体的には、情報コミュニティの司令塔である内閣情報調査室(内調)を「国家情報局」へと格上げする。そして、法的根拠を持たない現行の内閣情報会議を、総理を議長とする閣僚級の「国家情報会議」に再編し、国家としての情報要求権や総合調整権といった強い権限を付与することが検討されている。
また、長期的なビジョンとして、英国のMI6や米国のCIAに相当する「対外情報庁」の創設も議論の俎上に載っている。これは与党間の合意事項として、令和9年度末までの実現が目標とされており、そのための情報活動基本法やスパイ防止法といった法整備も同時に進められる計画である。
Q. 改革案を真に機能させるには何が必要か?
組織を単に「格上げ」するだけでは、それは「給料が上がるだけ」で意味をなさない。改革に「魂を込める」ためには、運用面が極めて重要となる。例えば、国家情報局長が毎日総理に直接情報をブリーフィングし、指示を受けるという体制が不可欠である。これによって総理は情報機関の活動への関心を示し、強い権威を情報局に与え、組織が活性化する。総理から「光」が当たらなければ、各省庁は重要情報を進んで提供せず、司令塔は機能不全に陥るのだ。
現状の内調は、国内治安が主で警察出身者がトップを務めており、外交や軍事に関する分析能力は弱い。真の司令塔とするためには、内調自体の外交・軍事分析能力を抜本的に高める必要がある。将来的には、外務省、防衛省、警察庁といったインテリジェンス関連省庁が持ち回りでトップを輩出するような人事制度を確立することも、省庁間の壁を越える上で検討すべき課題と言える。
さらに、情報部門と政策部門の分離も重要だ。政策決定者が自分に都合の良い情報だけを求める「インテリジェンスの政治化」を防ぎ、客観的な情報が総理に届けられる仕組みが求められる。
Q. 国際水準のインテリジェンス体制構築に向けた今後の課題と見通しはどうか?
インテリジェンスの世界には「友好国の情報機関はあっても、友好的な情報機関はない」という鉄則が存在する。各国は自国の国益のみを追求し、命がけで得た情報源を漏らさないため、たとえ同盟国であっても生情報は決して共有しない。「信頼すれど検証せよ(Trust but verify)」という言葉の通り、日本は同盟国からの情報を鵜呑みにせず、自前で検証する能力を身につけなければ、国家の自立は果たせない。

対外情報庁の創設に加えて、スパイ活動を保障する包括的な法整備も必須となる。例えば、任務のために複数の偽の身分(パスポート、戸籍など)を合法的に用意できる法律。また、命の危険に晒された協力者を秘密裏に救出し、整形や新しい戸籍の付与、そして生涯にわたる生活保障までを確約する制度の確立が必要不可欠である。
現状、日本の法体系にはこれらの仕組みがほとんど存在しない。国際水準に到達するには、こうした人材の育成・確保、法整備を合わせて、最低でも10年はかかると見られている。
Q. 優秀な人材確保と情報機関の信頼性向上のためには何が重要か?
インテリジェンス分野に優秀な人材を集めるには、総理との距離によってもたらされる強い権限が鍵となる。情報トップが総理に日々報告し、指示を受けるポストであれば、おのずと霞が関のエリートが志望するようになる。しかし、それを阻むのが国会の「悪しき習慣」だ。日本の総理は年間200時間もの国会審議に拘束され、週刊誌レベルの質問に答えるため、他国首脳が毎日情報機関の報告を受ける時間を確保できない。この現状を改めなければ、総理の時間は奪われ続け、情報機関への「光」は当たらず、優秀な人材は集まらないままだ。
「情報軽視」は戦前から続く日本の「悪しき伝統」、DNAレベルの問題である。政治家を含め国民全体の意識改革が求められる。命がけで集めた情報が軽んじられたり、不用意に漏洩したりすることは、情報源を危険に晒す死活問題だ。情報漏洩に対しては厳罰化し、機密情報を扱う議員にもセキュリティクリアランスの適用を検討すべきだろう。
インテリジェンス活動は「悪いこと」ではなく、国民の安全を守る国家の崇高な使命であることを法律で明確に位置づける必要がある。自衛官と同様に、裏から国を支える情報要員の仕事に誇り(矜持)を持たせ、彼らが国民全体に尊敬され、支えられる社会を築かなければ、この危険で責任の重い任務に身を投じる若い世代は育たないだろう。