
現代人はなぜ不安や退屈をスマホで紛らわすのか
スマホ時代の哲学者が語る「孤独の効用」 なぜ現代人は退屈を恐れるのか
私たちはスマホがなければ不安になる時代に生きている。刺激を求め、常に「何か」とつながり続ける現代人。そんな私たちの生き方について、「スマホ時代の哲学」(累計7万部)の著者であり哲学者の谷川嘉浩氏に聞いた。なぜ私たちは「一人でいること」が苦手になったのか。そして、どうすれば「孤独」と向き合えるのか。

Q. スマホ時代とは、具体的にどのような時代を指すのでしょうか?
スマホ時代には主に2つの特徴があります。1つは持ち歩けるデバイスを常に持っているということ。

歩きながら、信号待ちでも、トイレでも使えるデバイスを持ち、複数台所有している可能性もあります。家の中ではパソコン、テレビ、タブレット、プライベート用と仕事用のスマホなど、複数のデバイスを持っている人も多いでしょう。いつでもどこでも、ネットやコミュニケーション、娯楽や刺激につながることができる時代です。
もう1つの重要な特徴は、スマホ1台の中で複数のことを同時に行っていることです。アプリをダウンロードしながらSNSを見たり、メールを書こうとしている時に通知が来てアプリを切り替えたり。このように複数のタスクを同時に行う「マルチタスキング」状態が常態化しています。
Q. 谷川さんもスマホに依存していると感じることはありますか?
もちろんあります。文章を書く時でさえ、デスクトップに向かいながらスマホを横に置いて、YouTubeなどを流してしまうことがあります。本当にマルチタスク状態になっています。
興味深いのは、私たちの感覚がテクノロジーによって徐々に変化していることです。2008年頃、スマホが出始めた頃は、対面で話している時に電話に出たりスマホを触ったりするのは「失礼なこと」とされていました。しかし今ではそうした感覚自体を忘れてしまっているのです。
人間の感覚は急に変わるものではなく、なだらかに変化していくものです。就職を例に考えると分かりやすいでしょう。学生時代に「お前、働けるの?」と冗談を言い合っていた人たちが、いつの間にか満員電車に乗ってバリバリ働いています。これは突然変わったのではなく、時間をかけて「会社に勤める体」が作られ、「会社に勤めるとはこういうことだ」という想像が形成されていったのです。
スマホも同様で、最初は「何だこれ?」と思いながらも、徐々に使い始め、少しずつ変化していきます。振り返ってみると、大きく変わった自分がいるのです。
Q. スマホ依存と「孤独」「孤立」の関係について教えてください
現代社会では、私たちの注意は様々な方向に分散しています。「テンションエコノミー」という言葉がありますが、画面の向こう側にいる個人や企業、組織が狙っているのは、私たちの注意をできるだけ奪うことです。しかも細切れでもいいから、とにかく奪いたい。こうして私たちの注意は非常に落ち着きがなく、ちりぢりになっています。
これが問題なのは、集中力の低下だけではありません。時間をかけて考えるべきこと、じっくり咀嚼すべきこと、例えば自分や他者の複雑な感情を理解するような場面では、時間をかける必要があります。そのときに大事になるのが「孤独」や「孤立」なのです。

通常、孤独や孤立は否定的な意味で使われることが多いですが、スマホ時代という文脈で考えると、ポジティブな側面もあります。注意を他に奪われずに何かに集中できる状態が「孤立」と定義できますし、哲学者ハンナ・アーレントの言葉を借りれば、「孤独とは自分自身と一緒にいること」です。スマホを使って常に他者や刺激と共にいる状態から切り離され、自分自身と向き合う時間を持つことが、孤独の良い側面なのです。
Q. 葬式でもスマホを触りたくなるほど依存している人が多いようですが、どうすれば孤独の時間を作れますか?
実際、葬式という本来は故人への悲しみとじっくり向き合う場所でさえ、スマホを触りたくなる自分に驚いたことがあります。それほどスマホの引力は強いのです。
そんな中で孤立や孤独の時間をどう作っていくかは難しい問題ですが、ハードルを上げて考える必要はないと思います。例えば、シンプルなエクササイズとして、とっさにスマホを出さない訓練をしてみてはどうでしょう。人と話している時に振動があっても、すぐに確認する必要はないかもしれません。
人間がパッと何かに惹かれる瞬間は気分が高揚しますが、おそらく30秒ほど我慢すれば、その衝動は収まるのではないでしょうか。
Q. スマホが私たちの感情や思考に与える影響について教えてください
スマホの中でのマルチタスキング状態は、私たちの感情処理にも影響しています。哲学者マーク・フィッシャーの言葉を借りると、「快楽的なだるさ」や「柔らかい昏睡状態」に陥りやすくなります。
例えばショート動画を見ている時、次々と流れてくる映像に対して「好きだからもう一回見よう」「いいや」と思ってスワイプするなど、半ば無意識的に行動しています。しかし、3時間もの間必死に見続けた後、スマホを置いた瞬間に「さっきまで何を見ていたのか」覚えていないという状態になります。これが「快楽的なだるさ」です。気持ちいいけれど、同時にだるさも感じるのです。
ドイツの社会学者が面白い考え方を紹介しています。「主観時間」と「想起時間」を区別するというものです。主観時間とは体験している時に感じる時間の長さで、想起時間とは後から思い返した時に感じる時間の長さです。
楽しい時間は主観的にはあっという間ですが、想起すると充実していたので想起時間は長くなります。退屈な時間は逆で、主観的には長く感じるけれど、想起できることは少ないので想起時間は短いです。
スマホ使用時は独特で、主観的には楽しいのであっという間ですが、想起時間は短いのです。通常、私たちが楽しいとか退屈と感じる感情パターンとは逆転しているため、余計に虚無感を抱くのではないでしょうか。
Q. スマホ依存から抜け出す方法はありますか?
心理学の実験で、「Facebookをやめましょう」キャンペーンがありました。実験に参加してFacebookのアカウントを削除した人たちは、「健康になった」「メンタルヘルスが向上した」「自己否定的な感情がなくなった」と良い効果を報告しました。しかし、100日以内にほとんどの人がアカウントを復活させていたのです。これを見て「人類はSNSをやめられないんだな」と絶望しました。
だからこそ、自分の問題に一気に向き合おうとするのではなく、小さなステップから始めるべきだと思います。例えば、スマホから距離を置く時間をほんの1時間でも作ってみる。そうした小さな積み重ねが、まず「退屈に慣れる」ことにつながるのではないでしょうか。

私たちは「気合い」だけで問題を解決できるなら、そもそも困っていないはずです。正論は大事ですが、正論だけではうまくいかない自分に気づくべきです。
Q. 「孤独」に慣れるためにできることはありますか?
「孤独になろう」と意気込むのはあまり効果的ではないと思います。むしろ、何かをしている結果として孤独になったり、退屈さと共にいられるようになる形が理想的でしょう。
そこで提案したいのが「趣味」です。特に「何かを作る」「何かを育てる」ことがおすすめです。何かを作ったり育てたりしている時は、うまくいかないことが多いものです。例えば植物を育てるなら、思った大きさにならなかったり、大きくなっても甘くなかったり、割れてしまったりするかもしれません。
そうした試行錯誤の過程で、自然と一人の時間が生まれます。例えば草むしりをしているとき、様々なことを考えるでしょう。そういう時間が、重たくない形で退屈と共にいることを可能にします。
大切なのは「時間を味わう」ことです。スマホを触っている時は時間を「埋める」発想で過ごしていますし、動画を倍速で見るなど「コンテンツを処理する」「消化する」感覚があります。そこにはプロセスを楽しむ要素がなく、結果だけを求めています。
孤独にとって大切なのはプロセスです。時間を味わうこと、その過程で生まれる退屈さやうまくいかない体験も含めて大事にするのです。
Q. 最後に、スマホ時代を生きる私たちへのメッセージをお願いします
あまりいい言葉に聞こえないかもしれませんが、「ダラダラする時間」は実は孤独な時間です。ぼーっとしている時間が大切なのです。みなさんにはもっと「ダラダラ」することをお勧めします。
集中力を失ったせいで待っているのは、自分のことも他人のことも分からなくなるという事態です。それはただ落ち着きがないというだけではなく、本当に怖いことです。
哲学するうえで大切なのは「確信を持たない」ことです。自分の考えに確信を持っていると、そもそも哲学は必要ありません。今の自分の頭だけで考えるのではなく、新しい見方ができるようになっていけば、世界の捉え方が変わります。自分のペースで世界の見方をちょっとずつ広げていくこと。それが結局、幸せになるためには必要なのではないでしょうか。
