
やなせたかしに学ぶ「キャリア戦略」
やなせたかしに学ぶキャリア戦略 —— マルチクリエイターの秘訣
「頼まれたら全部やった方がいい」——やなせたかしが実践した汎用的なスキルの磨き方
やなせたかしといえば「アンパンマン」の生みの親として知られるが、彼のキャリアはマンガ家としての功績だけにとどまらない。編集者、デザイナー、イラストレーター、脚本家など多彩な顔を持つマルチクリエイターだった。現代のビジネスパーソンやクリエイターが学ぶべき点は多い。東京科学大学教授の柳瀬博一氏に、やなせたかしのキャリア戦略について聞いた。

Q. やなせたかしの生い立ちはどのような環境だったのでしょうか?
やなせたかしは1919年に高知県で生まれました。高知は「水の国」と呼ばれるほど水が豊かな場所で、美しい自然に囲まれていました。彼の実家はかなり裕福な家庭で、父親は朝日新聞の記者兼編集者、母親も地元の名士の家の出身でした。
特筆すべきは、田舎でありながら文化的な環境に恵まれていたことです。家には本や雑誌が並び、SP時代のレコードもあり、さらに弟(竹内豊)は開業医でサイドカー付きバイクで往診するというモダンな人物でした。実家は地元の文化人たちが集まる場所となっており、やなせは自然に囲まれながらも、東京にいる普通の人以上に文化資本に恵まれていました。

この「自然と芸術の組み合わせ」がやなせの原風景となり、後のアンパンマンの世界観にも反映されています。アンパンマンの風景は、高知の美しい自然とモダンな洋風の建物が融合した世界になっているのです。
Q. 教育面での特徴はありましたか?
やなせは千葉大学工学部の前身である東京高等工芸学校でデザインを学びました。この学校は元々東京工業大学の一学科だったもので、日本の工業教育においてデザインの重要性が早くから認識されていた証です。
学校では「街へ出なさい」と教わり、お金がなくても銀座に行ってウィンドウショッピングをしたり、カフェでお茶をしたりしながら、リアルなデザインを学びました。この経験が、後のクリエイティブな仕事に大きく活かされることになります。
Q. やなせたかしのキャリアはどのように始まったのでしょうか?
やなせは高知新聞社に入社し、「月刊高知」という雑誌で編集者として働きました。ここで彼は、記事の執筆だけでなく、表紙デザイン、イラスト、漫画、レイアウトまで一人でこなしていました。当時のスタッフは編集長を含めてわずか4人しかおらず、何でもやらざるを得ない環境だったのです。

その後、三越の宣伝部に入社。ここでもデザイナーとしての力を発揮し、有名な「花ひらく」というロゴも手がけました。この頃から彼は「週末兼業」を始めており、本業の傍ら漫画の仕事も続けていました。
重要なのは、彼が独立する際のリスク管理です。自分のサラリーマンとしての年収の3倍を副業で稼げたら独立すると決め、実際に5倍稼いだ時点で独立しました。ドラマではやや苦労する描写がありますが、実際は独立後も仕事は引っ張りだこだったそうです。
Q. やなせたかしの「マルチタレント」としての特徴はどこにありましたか?
やなせの最大の特徴は、経験がなくても新しい分野に挑戦する勇気でした。彼はラジオの台本、テレビの台本、舞台の衣装と美術、映画の仕事など、経験がないにもかかわらず次々と引き受けました。
例えば、A氏(舞台関係者)が突然家に訪ねてきて、「見上げてご覧夜空の星を」という舞台の美術を依頼。舞台美術の経験がなくても引き受け、それが泉谷たくぞうなど多くの人脈につながりました。後にアンパンマンが舞台化された際、この人脈が重要な役割を果たし、そこでバイキンマンというキャラクターが生まれました。
映画監督の羽仁進からも科学教育番組の台本を依頼され、映画評論も手がけていました。手塚治虫からは「千夜一夜物語」の映画化プロジェクトに誘われ、キャラクターデザインを担当しました。
やなせは「頼まれたら全部やった方がいい」と考えていました。「自分から頼んだわけじゃないから、失敗しても自分のせいじゃない」という発想で、新しいことにどんどん挑戦したのです。
Q. 現代において、やなせたかしから学べることは何でしょうか?
まず、「顧客のニーズに応える力」です。やなせはデザイナーとしての教育を受けており、クライアントのために最善を尽くす姿勢が身についていました。これは現代のビジネスでも重要なスキルです。
次に「リスク管理」です。いきなり全てを投げ打って挑戦するのではなく、副業で力をつけてから独立するという堅実な方法をとりました。
また「一人雑誌編集部スタイル」も現代に通じるものがあります。経済が発達すると分業化が進みますが、現代のデジタル時代では再び一人で多くのことをこなす能力が求められています。YouTuberや個人出版を行うクリエイターが増えているのも、この流れと言えるでしょう。
さらに「専門に縛られない柔軟性」も重要です。ジョブ型雇用が注目される現代ですが、一つの専門性だけに依存すると、その仕事がAIなどに取って代わられた時に立ち行かなくなります。やなせのように複数の分野でスキルを持つことが、将来の保険になるのです。
Q. 自然と芸術を一体化した教育は現代でも可能でしょうか?
現代では、やなせが育った環境に近い教育を意図的に作り出そうとする動きがあります。例えば、軽井沢のアイザック、広島の神原美希子さんのボーディングスクール、柏の葉キャンパスに三井不動産が誘致したラグビー校などがあります。
これらは都心ではなく、自然に接する場所で子供たちを育てるというコンセプトです。東京の子どもたちがこうした学校に通うのは、やなせたかしのような環境を現代に再現しようとする試みと言えるでしょう。
Q. 新しい分野に挑戦する際のアドバイスはありますか?
やなせから学べるのは「経験ゼロでも始める勇気」です。自分がその分野に詳しくないからといって断らず、チャンスとして捉えることが大切です。

また、大企業で働く場合でも、新事業部門やベンチャー部門など、人数が少なく様々な仕事を担当せざるを得ない部署に配属されることを前向きに捉えるべきです。そこでは営業、PR、企画など様々な経験ができ、それが将来の資産になります。
どの仕事がAIに取って代わられるかは予測不可能です。むしろ「何をやったら自分が楽しいか」を追求し、その周辺の仕事にも関わることで、どんな環境変化にも対応できる柔軟性を身につけることが重要です。
やなせたかしのキャリアは、一見すると偶発的に見えますが、実は全てがうまく繋がっていました。彼の姿勢から学び、現代のキャリア戦略に活かしていきたいものです。
