
選択肢を狭めないキャリア戦略
東大、外資コンサル、ルイ・ヴィトンを経て起業へ――モデラート市原明日香が語る「選んだ道を正解にする」キャリア戦略
東京大学を卒業後、外資系コンサルティングファームのアクセンチュア、外資系ラグジュアリーブランドのルイ・ヴィトン ジャパン、そして創業期ベンチャーの1人目社員を経て起業に至った市原明日香氏。
一見すると華々しいエリート街道を歩んできたように見えるが、そのキャリアの裏側には、常に自らの選択肢を広げ続け、直面した壁を泥臭く乗り越えてきた確固たる戦略と試行錯誤が存在する。
現在はD2Cアパレルブランド「SOÉJU(ソージュ)」を展開するモデラート株式会社の代表として、顧客に寄り添うものづくりを牽引している。
本稿では、若手時代に叩き込まれた圧倒的な付加価値意識や、現場を動かすコミュニケーションの要諦、育児との両立に葛藤しながら切り拓いた独自のキャリア哲学について掘り下げる。

Q. 東大から官僚ではなく外資系コンサルティングファームへ進路を変更した理由は何か?
学生時代は性別に関わりなく世界を舞台に活躍できる仕事として外交官を志望し、東京大学へ進学した。
しかし、中学・高校・大学とストイックに受験勉強を重ねてきた反動から、大学入学後に強い燃え尽き感を経験することになる。
国家公務員試験を目指す勉強から距離を置く中で参加したのが、当時広まりつつあった外資系企業のスプリングジョブであった。
そこで目にしたのは、年功序列や性別の壁に縛られず、若手のうちから裁量と責任を与えられて働く実力主義の環境である。
金融機関などの選択肢も検討したが、将来的に自らの意思で意思決定を行う経営者像をぼんやりと思い描いていたため、特定業界に特化するのではなく経営を抽象度高く学べるコンサルティング業界を選択した。
将来の選択肢を狭めない生き方を貫くための戦略的な転換であった。
Q. アクセンチュア時代に叩き込まれたプロフェッショナルとしての仕事の流儀とは何か?

アクセンチュアに入社して真っ先に叩き込まれたのは、自身の時間単価と行動の付加価値に対する徹底的なこだわりであった。
文献調査のために国会図書館へ向かう際、電車を利用すると「プロとして時間単価が高いのだからタクシーを使い、移動時間を有効活用しろ」と厳しく指導されたという。
自らのあらゆる行動に対してどれだけの価値が生み出せているのかを常に自問自答する姿勢が形成された。
さらに、与えられた調査タスクを単なる作業で終わらせないための仕事術も体得した。
プロジェクトの提案骨子を設計する初期段階から、マネージャーの壁打ち相手として自発的に参加を直訴したのである。
全体のストーリーラインを把握した上で個別のリサーチに向き合うことで、自らのタスクが全体の課題解決の中でどのような意義を持つのかを俯瞰して捉えられるようになった。
Q. ルイ・ヴィトンへの転職直後に直面したプレゼンの失敗とそこから得た教訓とは何か?
コンサルタントとして3年間経験を積んだ後、顧客データベースのグローバル統合を統括するCRMリーダーとしてルイ・ヴィトン ジャパンへ移籍した。
しかし、全国の店長が集まる重要な会議でプロジェクトの全貌を発表した際、手痛い失敗を経験する。
コンサル流の難解な専門用語や事業者目線の正論ばかりを並べ立てた結果、会場の反応は冷ややかなものになってしまったのである。
現場の店長やスタッフが真に求めていたのは、経営上の大義名分ではなく「この変革が各店舗や顧客にどんな変化をもたらし、明日から自分たちが何をすべきか」という現場目線の具体策であった。
上司からのフィードバックを受け、正論を掲げるだけでは人は動かないという厳然たる事実に直面した。
現場に足を運び、泥臭い対話と信頼関係の構築を重ねることで初めて組織全体を動かせるという教訓を得た。
Q. 感覚的と思われがちなファッションやセンスを論理的に言語化する手法とはどのようなものか?

コンサル時代はダークスーツ一択だったが、ラグジュアリーブランドでは印象管理そのものがビジネスの重要な評価基準となるカルチャーショックを受けた。
当初は場の雰囲気に馴染めず苦慮していたが、ファッションに精通した先輩社員との買い物同行が大きな転換点となった。
その先輩は服を選ぶ際、「きちんとした印象を崩さないためにまず襟付きを選ぶ」「無難に見えすぎないようミリタリー要素を加える」といった形で、選択の根拠をすべて言語化して提示してくれたのである。
直感や曖昧なセンスに依存しているように見える装いも、目的や立場に応じた明確なロジックによって構築できると気付かされた瞬間であった。
この原体験は、後に起業した際、誰もが納得感を持って自分らしい衣服を選べるような「装うことの課題解決」という事業コンセプトへと結実することになる。
Q. 明確な組織図が存在しない外資系組織でプロジェクトを推進する極意とは何か?
当時の社内には明文化された組織図が存在せず、誰にどのような順序で働きかければ目的が達成できるのかという公式な道筋がなかった。
合理的な仕組み以上に社内の人間関係が意思決定を大きく左右する環境であり、特に日本法人が独自施策を通すためにはフランス本社への根回しが不可欠であった。
その見えない力学を紐解くため、現地本社へ積極的に出張し、現地のオフィス環境を自らの目で観察した。
誰と誰が隣り合って座り、どのような空気感でコミュニケーションを交わしているのかをつぶさに把握することで、組織の実質的な力関係や影響力の所在を解読していったのである。
公式な肩書きにとらわれず、現場のキーマンと直接関係性を結ぶ地道なコミュニケーションこそが、不透明な組織を動かす最大の鍵となった。
Q. 出産を機に1人目社員として参画したバイオベンチャーでの経験は後の起業にどう活きたのか?

長男の出産後、突発的な育児と頻繁な海外出張や厳密な納期を伴うCRM業務との両立に限界を感じ、キャリアの転換を余儀なくされた。
配偶者が順調にキャリアを積む中で生じた葛藤を打開するため、就業規則を自ら策定できる創業期のバイオベンチャーへ1人目社員として飛び込む決断を下す。
そこでは人事、労務、経理といったバックオフィス全般から事業開発まで、あらゆる実務を担う「何でも屋」となった。
当時は専門性を失っていく日々に強い不安を感じていたが、会社の立ち上げに必要な全体像を網羅的に経験したことが、後の自らの起業において絶大なアドバンテージとなった。
会社設立時に直面する困難を事前に予見できたため、混乱なく事業を軌道に乗せることができたのである。
「選んだ道を自らの行動で正解にする」という覚悟を持ち、粘り強くやり抜く姿勢がキャリアの最大の武器となっている。