
あの若手はなぜ辞めないのか?
会社が伸びる人材戦略:「辞めない理由」に着目する時代が到来した
現在のビジネス環境において、企業は従業員の離職問題や「静かな退職」現象に頭を悩ませている。多くの組織が退職する社員の理由分析に追われ、どうすれば人材が流出しないかを模索してきた。しかし、このアプローチには見過ごされている「宝の山」が存在する。

それは、組織に残り続ける若手や中堅社員が「なぜこの会社を辞めないのか」という本音だ。従来の視点とは真逆の発想で、なぜ会社に留まっているのか、その「残留理由」を深掘りすることで、企業の競争力と社員エンゲージメントを劇的に高める新たな人材戦略が見えてくるだろう。
Q. なぜ企業は社員の「辞めない理由」に注目すべきか?
企業は離職率を抑制しようと、退職理由の調査に多くの時間とコストを割くことが多い。実際に、退職者に「なぜ辞めるのか」を尋ねる企業は8割近くに上るとされる。

一方で、現在勤務している社員に「なぜこの会社に留まっているのか」を尋ねる企業はわずか2割未満にすぎないというデータがある。このアンバランスな視点こそ、現代の人材戦略における最大の盲点だ。
専門家は「離職に不思議の離職あり、定着に不思議の定着なし」という言葉でこの状況を説明する。離職には家庭の事情や個人的な突発的な理由など、企業側で防ぎようのない「天災」のような要素が数多く存在する。
さらに、退職時に伝えられる理由は建前であることが多く、本音の把握は極めて難しい。それに対して、定着は「プロセス」である。企業が意図的に構築した制度や文化、人間関係が積み重なり、社員が能動的に会社に残り続ける理由を見出している結果だ。ここにこそ、経営資源を集中投下すべき本当の価値が存在すると提言する。
Q. 転職が当たり前の時代に、若手社員の心理はどのように変化しているか?
現代は、大手企業ですら中途採用の比率が爆発的に増大している時代だ。かつて終身雇用が当然だった時代には、「一度入社すれば残るのが当たり前」という認識が強く、優秀な人材ほど会社に残り続けた。

しかし今は、「より良い待遇の会社へ移るのが容易な時代」へと変貌している。特に優秀な若手社員ほど、外部からのキャリア機会が豊富に存在するのが現実だ。
このような状況で、若手社員の思考は大きく変化した。従来の「この会社を辞めてもいいのだろうか?」という問いは、「自分はこの会社に残っていて本当に大丈夫なのか?」、あるいは「この会社を辞めなくても大丈夫なのか?」という、より根源的な不安へと変化している。常に自身のキャリア選択が正しかったのかを問い続ける中で、企業には残留し続ける明確な理由を求める傾向が強まっていると言えるだろう。
Q. 会社が「無色透明」になってしまうとはどういうことか?
働き方改革の推進により、ハラスメント対策、労働時間の是正、転勤制度の見直しなど、労働環境を改善する施策に多くの企業が注力してきた。
これらの問題点を潰していくことはもちろん重要だが、退職理由となり得る要素を排除することだけを追求すると、他の多くの企業と同じような特徴を持つ組織になってしまう危険性がある。企業としての「尖り」が失われ、良くも悪くも特徴のない「無色透明」な組織になるリスクを抱えるという見方だ。
このような状況は、採用活動においても顕著に表れる。例えば、合同説明会ではどの企業も「育児休暇の取得しやすさ」「有給休暇の取得率の高さ」といった似たようなアピールポイントを繰り返す。
学生からは「私たち、舐められていますよね?」といった声が上がることもあり、企業側の一様なアピールが、かえって求職者の興をそいでいる現実が指摘される。最低限の労働条件を満たした次のフェーズとして、企業独自の明確な個性と魅力を追求することが不可欠となっている。
Q. 「静かな退職」ではなく「静かな定着」層に注目する意義とは?
従業員を「ワークエンゲージメントの高さ」と「残留理由の共有度」という二つの軸で分類すると、組織内の様々な人材像が見えてくる。

まず、エンゲージメントは低いものの会社に留まる「静かな退職」(クワイエットクイッティング)と呼ばれる層が、日本企業では全体の半数近くを占めているのが実態だ。これら従業員はライスワークとして最低限の仕事をする傾向があり、多くの企業で問題視されている。
辞めない理由を明言し、エンゲージメントも高い「見える定着」(12%)
辞めない理由を共有しないが、エンゲージメントは高い「静かな定着」(35%)
辞めない理由を明言し、エンゲージメントは低い「見える退職」(7%)
辞めない理由を共有せず、エンゲージメントも低い「静かな退職」(46%)
しかし、本当に企業が解決すべき組織課題は「静かな退職」ではないという提言がなされている。これ以上に、愛着や納得感を持っているにもかかわらず、その理由を言葉にして組織と共有していない「静かな定着」(クワイエットコミッティング)と呼ばれる層が全体の35%も存在し、その存在は日本企業の人的資本を長年支えてきた実態でもある。
彼らは表立って声を上げないため企業から見えづらい存在だが、潜在的に高いモチベーションを秘めている。この「静かな定着」層に光を当て、彼らの納得感を言語化させることが、組織全体のエンゲージメント向上に繋がる最もコストパフォーマンスの高い投資だと言えるだろう。
Q. 若手社員が会社に留まる具体的な理由には何があるか?
若手社員が会社に留まる理由は一つではなく、複数の要因が複雑に絡み合っている。大きく分けて、「積極的理由」と「消極的理由」の二つのタイプがある。
積極的理由としては、仕事内容がフィットしていること、自身の成長機会があると感じること、尊敬できる先輩や良好な人間関係が存在すること、そして報酬や福利厚生、評価制度などの処遇面が挙げられる。特に、30歳前後の若手にとっては成長機会が重要なモチベーション源になるケースが多い。
一方で、消極的理由も現実的な要素として非常に大きい。「転職活動が面倒くさい」「職務経歴書を作成して自己分析をするのが辛い」といった転職コスト回避は、多くの人が共感する理由だ。また、住宅ローンや奨学金返済の縛り、家賃補助など、福利厚生によって生じる「拘束と制約」も辞められない要因となり得る。
さらに、「市場に有利な転職先が見つからなかった」という市場の不利や、現状維持を望む気持ちも含まれる。人はこれらの理由を複合的に「重ね着」した上で残留という決断をしており、重ね着が多いほど、その社員の仕事に対する満足度や組織への定着率が高いことが示されている。
Q. 自社の「辞めない理由」をどのように特定し、組織戦略に活かすべきか?
自社の「辞めない理由」を明確にするためには、社員の本音を引き出す仕掛けが必要だ。有効な手段の一つとして、匿名ワークショップやアンケートが挙げられる。この際、「あなたがこの会社を辞めない理由は何ですか?」と直接問うのではなく、「この会社の若手社員は、どんな理由で辞めないと思いますか?」といった三人称による投影質問を用いることが効果的である。

これにより、直接的ではない形で自分の思いを語りやすくなり、これまでの対話では表面化しなかった潜在的な魅力や強みが可視化される。
こうした活動で特定された自社の強みは、単なる組織改善だけでなく、採用マーケティングにおける重要な武器となる。例えば、処遇面が突出しているなら、それを堂々とアピールする。
人間関係の良さや、個性を尊重する文化が強みなら、それを前面に出すといった「選択と集中」の戦略が重要だ。全ての企業が同じような働きやすさをアピールするのではなく、自社ならではの「尖った魅力」に特化することで、求める人材層への響き方も大きく変わる。これはまさしく組織戦略としてのマーケティングであり、競合他社との差別化を図る上で不可欠な視点と言えるだろう。
Q. 上司は若手社員とどのように対話すべきか?
「最近の若手はすぐに辞める」といった意見は、実は50年前から繰り返し聞かれてきた現象であり、世代を超えた普遍的なテーマだ。この問題にアプローチする際、上司が留意すべきは「終身雇用前提」の対話スタイルからの脱却である。
若手社員が3年後に転職することも視野に入れている、という前提で対話を開始することが重要だ。「3年後に転職するとしても、今この会社でどう成長し、何を得たいか」という問いかけにより、彼らの本音を引き出し、彼らが「今、この会社で頑張る理由」を主体的に見出す手助けができる。
このフラットで率直なコミュニケーションこそが、皮肉にも社員の会社へのエンゲージメントを高め、結果として長期的な定着につながる最も効果的なアプローチであると認識する。