
フィジカルAI解体新書【大坂隼矢×篠田尚子】
現実を動かす次世代AI:フィジカルAIがもたらす産業と社会の大変革
近年、急速に進化を遂げるAI技術は、私たちの生活やビジネスに多大な影響を与えている。
その中でも、デジタル空間だけでなく、現実世界に働きかける「フィジカルAI」への注目度が高まっている。
本稿では、政府の成長戦略においても重要視されるフィジカルAIの正体に迫り、生成AIとの違い、関連する日本企業の強み、そして将来社会への影響と投資戦略について、Q&A形式で深掘りする。


Q. フィジカルAIとは具体的にどのような技術なのか?
フィジカルAIは、デジタル情報空間で完結する従来の生成AIとは一線を画する技術である。
その本質は、現実世界からセンサーで情報を取得し、それをAIが分析・判断し、最終的にロボティクス技術を用いて現実世界で物理的な行動を行うという一連のプロセスにある。
例えば、自動運転はまさにフィジカルAIの代表例と言える。道路状況や歩行者の動きをセンサーで感知し(センシング)、その膨大なデータをAIが瞬時に分析して最適な走行経路や速度を判断し(AI分析)、ハンドルやブレーキを物理的に操作する(ロボティクス)ことで、車は自律的に現実世界を走行するのだ。
従来の産業用ロボットがプログラミングされた定型作業をこなすに過ぎなかったのに対し、フィジカルAIは環境の変化から自律的に学習し、行動の精度を上げていく学習能力を備える点で大きく異なる。
まだ完全に定義された完成形には至っていない「概念」の段階にあるが、その潜在的な影響は極めて大きいと言えよう。
Q. 日本政府はフィジカルAIを日本の成長戦略としてどのように位置付けているのか?

政府は2040年までの新成長戦略において、AI半導体と並びフィジカルAIを国家戦略の中核に据えている。
経済財政諮問会議と日本成長戦略会議の合同会議では、官民合わせて370兆円を超える大規模投資を掲げ、特にAI半導体分野に68兆円、そしてフィジカルAI分野には10.5兆円の投資を行う計画である。
この戦略のポイントは、これまでの単年度主義から脱却し、複数年度にわたる予算措置を講じる点にある。
これにより、企業の投資予見可能性を高め、民間投資を強力に喚起することで、成長への道を切り開こうとしているのだ。
フィジカルAIは、日本経済に144.4兆円もの経済波及効果をもたらすと試算されており、これはまさに経済を押し上げる原動力として期待されている。
ただし、戦略分野における投資配分には興味深い側面もある。
AI半導体が最大規模である一方、ゲームなどのコンテンツ産業には24兆円もの投資が見込まれている。
一方で、空飛ぶ車のような最先端技術でも、4000億円に留まる分野もあり、官民それぞれの得意分野と役割分担を明確にしている実態も見て取れる。
Q. フィジカルAIの各要素において、日本の企業はどのような強みを持っているのか?
フィジカルAIは、センサー、AI分析、ロボティクスの多岐にわたる技術要素の組み合わせによって成り立つ。
驚くべきことに、これらの主要な構成要素の多くにおいて、日本企業は世界トップクラスの技術力とシェアを誇る。
これを分かりやすく「人型ロボット」に例えて解説する。
「五感」に当たるセンサーや視覚分野では、ソニーグループのイメージセンサーが世界首位であり、キーエンスも高い技術力を持つ。
「神経」に当たる制御システムでは、日立製作所、富士通、ダイフク、オムロン、三菱電機などが強みを発揮する。
ロボットを動かす「筋肉」は、産業用ロボットで世界を牽引する安川電機やファナック、川崎重工業が名を連ねる。
動きをスムーズにする「関節」部分には、ナブテスコ、THK、SMCといった精密部品メーカーが高い技術力を持つ。
そして、最も基盤となる「脳」の部分、つまり半導体を製造するための装置においては、東京エレクトロンやアドバンテスト、ルネサスなどが世界的なシェアを持つ。
特に半導体製造装置は、特定工程において東京エレクトロンが9割以上のシェアを持つほど独占的な地位を確立しており、その重要性は計り知れない。
このように、フィジカルAIを構成する多様な領域で日本企業が技術的な優位性を保持している点は、日本の将来における大きな勝ち筋と言えるだろう。
これらの企業は、これまでの産業用ロボットで培ってきたノウハウや技術資産をフィジカルAI分野に転用できる高いポテンシャルを持つ。
Q. フィジカルAIが社会に実装された場合、どのような変化が起きるのか?
フィジカルAIが実現すれば、日本社会は劇的な変革を経験すると予測されている。
特に、深刻化する少子高齢化に伴う労働力不足は、建設、農業、物流、医療、介護といった様々な分野で喫緊の課題となっているが、フィジカルAIはこれらの現場に「救世主」となりうる。
これまでデスクワーク中心の業務を効率化してきた情報技術とは異なり、フィジカルAIは現実世界の「ブルーカラー」業務の生産性を飛躍的に向上させる。
従来の産業用ロボットが主に自動車やスマートフォンの工場に限定されていたのに対し、学習能力を持つフィジカルAIは、食品製造工場、医療現場、外食チェーンの店舗、防犯ロボットなど、これまで自動化が困難だった幅広い領域に導入される見込みである。
規制緩和によって人と共働できる「協働ロボット」が普及すれば、多様な業種での人手不足解消に貢献するだけでなく、人の働き方、働く時間、求められるスキルそのものを大きく変化させるだろう。
例えば、農業機械が気象予報や農作物の状況に応じて、自動で水やりや肥料散布を行うスマート農業は、フィジカルAIの身近な応用例として期待されている。
Q. フィジカルAI関連への投資において、どのような戦略が考えられるのか?

フィジカルAI関連銘柄への投資を考える上で、どのセクターに焦点を当てるべきかという問いが浮かぶだろう。
大きく分けて、完成品を提供するメーカーと、その部品や基盤技術を提供するメーカーがあるが、後者、特に半導体製造装置メーカーは特に注目すべき本命となりうる。
なぜなら、フィジカルAIはどのような形に進化しようとも、必ず「脳」に当たる半導体、そしてそれを作る製造装置が不可欠だからである。
半導体製造装置業界は、新規参入が極めて困難であり、すでに寡占状態にある。
市場が拡大してもプレイヤーが増えにくいため、既存企業の企業価値が向上しやすいという構造的な強みがあるのだ。
完成品の領域は、自動運転であればトヨタ、人型ロボットであればテスラのように、最終的な勝者が誰になるか現時点では不明瞭である。
しかし、いずれの企業が勝利しようとも、高性能なセンサーや半導体、ロボット部品が必要となるため、これらの部品メーカーへの投資はより確実性の高い選択肢となる可能性が高い。
一方、フィジカルAIは未だ発展途上の「概念」であり、その関連企業は多岐にわたる。
個々の企業を見極めるのが難しい場合は、投資信託という選択肢も考えられる。
最近では、フィジカルAIに特化した投資信託も登場しており、様々な関連銘柄に分散投資する形は、リスクを抑えつつ成長の果実を取り込む有効な手段となるだろう。
Q. 日本がフィジカルAI分野で世界をリードするための課題は何か?
日本がフィジカルAI分野で真のリーダーシップを発揮するためには、いくつかの重要な課題を克服する必要がある。
第一に、規制緩和である。
生成AI領域で指摘されるように、新たな技術の進展に法制度が追いついていない現状がある。
例えば、人と共働する協働ロボットの普及を加速させるためには、既存の労働安全衛生規制の見直しが不可欠となる。
単に規制を緩和するだけでなく、国際的な基準を見据え、日本が主導してグローバルなルールを整備していく姿勢が求められる。
第二に、政治の安定性が挙げられる。
過去、日本の成長戦略は単年度予算主義や、短期的な政権交代によって長期的な視点を欠くことが少なくなかった。
2040年を見据えたフィジカルAI戦略を確実に実行するには、複数年度にわたる安定した予算措置と、新政権によって方針が安易に覆されない政治的な継続性が必要不可欠となる。
憲法上の規定により毎年国会に予算を提出する必要があるなど、根本的な問題も存在するが、これを乗り越え、いかに「未来投資枠」を機能させるかが鍵を握るだろう。