
今後10年で4万人不足。半導体人材をどう増やすか?
「半導体設計人材」が日本経済の未来を創る!空白の30年を取り戻す国家戦略と次世代教育拠点SiCAの挑戦
現代社会において半導体はインフラであり、国家間の地政学的なパワーバランスをも左右する戦略物資だ。かつて半導体大国として世界を席巻した日本だが、現在その技術力を支える人材、特に半導体の「設計」を担う人材が深刻に不足している実情がある。しかし、この「空白の30年」を取り戻すための、大規模な国家戦略と教育機関による新たな挑戦が今、本格的に動き出した。東京科学大学の准教授であり、この取り組みの旗振り役を担う大橋匠准教授は、新しい時代に求められる「半導体設計オーケストレーター」という人材像を掲げ、日本半導体産業の再興を目指している。その挑戦の全貌を明らかにする。

Q. 今、日本の半導体人材にどのような課題があるか?
半導体はAIや自動運転、データセンターなど、あらゆる先端分野で基幹技術として不可欠だ。世界中で半導体開発競争が激化する中、日本では特に「半導体をどのような分野で、どのように使うか」を構想し、設計に落とし込める人材が決定的に不足している。単に回路を設計するだけでなく、社会システム全体を俯瞰し、半導体を通じて課題解決をリードできる人材が求められているのである。過去には世界をリードした半導体分野において、この「設計」の担い手が国内から大きく失われたことが、現在の日本の大きな課題となっている。東京科学大学の大橋准教授は、この人材の「穴」を埋めるべく、新たな育成の必要性を訴え、自ら行動に移している。
Q. 日本が半導体大国から人材不足に陥った原因は何と考えるか?
日本が半導体人材の育成で立ち遅れた主な原因は、1990年代以降の安易な思考に起因する。当時の日本では「半導体チップは海外から購入すればよい」という認識が広まり、国内での長期的な人材育成への投資が怠られたのだ。また、世界的に設計と製造を分業する「水平分業」モデルへと移行する中で、日本企業は自社ですべてを賄う「垂直統合」モデルに固執し、高付加価値を生み出す設計に特化した企業育成が遅れた点も大きい。これにより、本来ならば中心となるべき設計者の地位や育成体制が国際水準から乖離し、結果として設計を担う人材が大きく減少した。これは日本の経済安全保障、ひいては経済成長を阻害する深刻な問題である。
Q. 国として半導体人材育成に向け、どのような取り組みが進められているか?
日本の半導体復権は喫緊の国家戦略と位置付けられ、文部科学省は半導体人材育成拠点形成事業「enSET」を立ち上げた。

これは、北海道から九州まで全国7つの地域に拠点を設け、41の大学・高専が連携する大規模なネットワーク型プロジェクトだ。限られたリソースを共有し、協力して人材を育成するという点で、これまでの日本にはなかった包括的な取り組みだ。東京科学大学が中心となる拠点「SiCA」(Semiconductor Innovation and Co-creation Arena)は、このenSETの中で特に半導体の「設計」に特化している。まるで料理人が食材を調理するように、半導体チップを社会課題に応じて活用できる「半導体設計の調理人」の育成を目指しているのだ。
Q. 東京科学大学のSiCAが目指す「半導体設計オーケストレーター」とは、具体的にどのような人材か?
SiCAが掲げるビジョンは「社会の問いに設計力で応える」ことだ。この「設計力」は二つの意味を持つ。一つは従来の半導体回路を設計する技術力、もう一つは、より広範な視点で「どのような社会を作りたいか」「どんな課題を解決したいか」という社会システムの構想を描き、それを半導体の設計に落とし込める力である。SiCAが理想とする「半導体設計オーケストレーター」とは、社会全体のシステムや複雑なバリューチェーンを俯瞰し、それらを指揮しながら具体的な半導体設計へと繋げられる、幅広い視野と深い専門性を兼ね備えた人材を指す。このような人材が、半導体という先端技術を活用して社会変革をリードする主役になると見込んでいる。今後10年間で日本国内では9,000人もの設計人材が不足すると予測されており、彼らの育成は日本産業にとって死活問題である。

Q. SiCAが提供する具体的なプログラムと、その独自の特徴は何か?
SiCAは、既存の「人材育成から始める」という考え方を転換し、「社会の問いを構想する」ことから始まる3つの柱で構成されるプログラムを提供している。第一の柱は、産官学民が未来社会像と課題を共創する「競争アリーナ」の設立だ。ここでは医療や農業など、半導体以外の分野の専門家も交え、2040年〜2050年の社会を見据えた新しい半導体ユースケースを構想する。このアリーナでの活動を通じて、社会課題起点で半導体設計の「種」を生み出す。第二に、修士・博士レベルの実践的な設計教育プログラムがあり、プロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)を通じて構想を具体的なチップ設計へと落とし込む。

第三に、オンデマンド動画講義とオンラインアクセス可能な高度な設計ツールを活用し、地域や所属にとらわれず、全国どこからでも質の高い教育を受けられる環境を整備する。これにより、日本の設計人材の裾野を大幅に広げることを目指す。
Q. 半導体設計人材を目指す若手や社会人には、どのようなキャリアパスがあるか?
半導体設計人材への道は、中学生から社会人に至るまで多岐にわたる。中学生であれば、実践的なエンジニアリングに早期から没頭できる高専への進学が選択肢となる。高校生や大学生は工学部などで専門を深められる。そして、社会人もリスキリングを通じて参入が可能だ。SiCAは、2027年4月の開校に向け、修士レベルを中心としつつも、必要な知識やスキルを個別に学べる「つまみ食い」受講も可能にするなど、学習の門戸を広く開放している。卒業証明はデジタルバッジで発行し、スキル獲得の客観的な証拠を提供する。台湾では半導体設計職は医師に次ぐ人気を誇る高給職であり、優秀な人材が集まっている。日本でも、SiCAで学ぶことが確実なキャリアアップにつながる魅力的なパスを産業界と連携して創出し、「半導体ブーム」を巻き起こす必要に迫られている。
Q. AIが普及する中で、今後の半導体設計人材に求められる「審美眼」とは何か?
AIの進化は設計プロセスを自動化・効率化しつつあるが、ハードウェア設計においては「生成物の真価を判断する審美眼」がこれまで以上に重要となる。AIが生成したコードやデザインを、原理原則を理解せずにそのまま実装すれば、致命的な問題を引き起こしかねないからだ。将来の半導体設計人材は、AIツールを最大限活用しつつも、その結果を深く吟味し、正誤や優劣を判断できる確かな知識と感覚が不可欠である。半導体が「食える職業」として定着するためには、日本のJリーグが30年をかけて国内サッカーのエコシステムを築いたように、産官学が連携し、10年、20年、30年といった長期スパンで育成戦略を実行する強い意志が必要だ。SiCAは、このような「審美眼」を持つ人材だけでなく、既存の枠にとらわれず半導体を活用した新たな事業を企てる「野心ある起業家」の登場にも期待を寄せ、エコシステム全体を巻き込んだイノベーションを創出しようとしている。