日本2050
【日本2050】なぜテック右派は三島由紀夫に惹かれるのか
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2026年6月25日

【Sponsored by サムティ】 ▼ サムティの採用情報はこちら https://bit.ly/4w5RYIg 思想史家の先崎彰容氏をホストに、2050年の日本を考える新番組「日本2050」。初回は、米国テック右派の思想を解読し、三島由紀夫との共通点を深掘りする。合わせて、100年前の世...
「近代システム」の終焉:2050年に向けた日本の羅針盤
現代社会は歴史的な転換点に直面している。我々がこれまで自明としてきた自由、民主主義、そして資本主義といった「近代システム」がその終焉を迎えつつあるからだ。
その象徴として、アメリカの保守派や気鋭のテック思想家たちが、意外な日本の思想家に新たな解を見出している現状がある。日本の過去と世界情勢の類似点を深く洞察し、2050年に向けた日本の進むべき道を考察する。

Q. 現代社会はどのような歴史的転換点にあり、どのような課題を抱えているのか?
現在の社会は、「近代システム」の終わりとも呼べる歴史的過渡期にある。
日々のニュースに一喜一憂する近視眼的な視点では捉えきれない、より長期的な構造変化が進行しているのだ。たとえば、日本の人口は明治維新以来150年続いた増加期を終え、史上初めて高齢者が多い状態で縮小するという未曾有の局面に直面している。

これはインフラ維持や国づくりといった根幹の部分に根本的な見直しを迫るものであり、客観的なGDP順位の低下と相まって、国民の間に「自分たちは落ちぶれているのではないか」という閉塞感や不安感を増幅させている。気候変動のようなグローバルな課題も、このシステムの行き詰まりに拍車をかけていると言えるだろう。
Q. なぜ今、アメリカの保守派やテック思想家たちは日本の三島由紀夫に注目しているのか?
現代のアメリカでは、行き過ぎた個人主義や競争主義といったリベラリズムへの強烈な反動が起きている。これに限界を感じた保守派やテック思想家たちは、共同体の復活や伝統的な価値の再評価を模索する中で、日本の三島由紀夫の思想に強い関心を寄せているのだ。

彼らが三島に惹かれる主な理由は、三島が戦後日本の過剰なアメリカ追従を厳しく批判し、日本独自の文化や精神の重要性を強調した点にある。これは、現在のアメリカ国内で自国のリベラルな規範に疑問を呈する人々の心情と深く共鳴するものだ。
三島は1970年時点で、消費社会がもたらす「精神的な空白」や「ニヒリズム」を見抜いていた先駆者であり、彼の問題意識は半世紀を経て現代アメリカが直面する課題と見事に共振していると言える。
驚くべきことに、三島由紀夫と当時の東大全共闘は、左右のイデオロギーは異なっても、「戦後アメリカ型の消費資本主義がもたらす人間関係からの脱出」という共通の渇望を抱いていた。この対立と共鳴の構図は、現代のテック思想家が市場原理主義の虚しさを感じ、新たな価値を模索する姿と重なるのである。
Q. 現代のテック思想家が提唱する「新たな国家」の思想とは何か?その思想は日本の歴史とどう関連するのか?
イーロン・マスクやピーター・ティールといった現代のテック起業家たちは、単なるビジネスマンではない。彼らは自らの理想を体現する「国家」や「共同体」の創造を究極の自己表現と捉えるアーティストたちである。

既存の国家システムや社会秩序に不満を持つ彼らは、新たな国家のモデルとして100年前の「満州国」に注目している。これはカーティス・ヤーヴィンのような思想家が明確に提唱するところだ。当時の満州国は、腐敗した日本本土に対するアンチテーゼとして、統制経済や五族協和を掲げ、ゼロから理想の国家を築こうとした壮大な社会実験という側面を持っていた。
現代のテック起業家たちが海上国家や火星移住計画を構想する背景には、この満州国に見られた「腐敗した母国からの脱却」という動機と構造的に類似した願望があると考えられる。
Q. なぜ現代のシステム危機は100年前と比較されるのか?当時との類似点から何を学べるか?
現代のシステム危機は、第一次世界大戦後の1920年代と驚くほど酷似している。当時も自由民主主義や市場経済への信頼が揺らぎ、ロシア革命による共産主義国家の誕生やドイツの統制経済の台頭など、既存の国際秩序を覆す全く新しいシステムが代替案として登場した。
EHカーは、ウィルソン米大統領が提唱する自由と民主主義が、19世紀西欧のローカルな価値観に過ぎず、普遍性がないと看破した。現代の国際政治において「反グローバルであることが最もグローバルスタンダード」という逆説的な状況は、まさに当時の類似性と深く結びついている。
外交(国際連盟)、経済(市場主義)、政治(議会制民主主義)といった近代の主要システム全てが行き詰まりを見せていた100年前の状況は、現在の政治的混乱、経済格差、そして民主主義への懐疑という形で再び我々の前に現れている。
この歴史的なアナロジーを理解することは、現在の課題を乗り越え、未来を構想する上で不可欠な視点となる。
Q. 日本は2050年に向けどのような選択を迫られているのか?「正しい自尊心」とは何か?
日本はこれまで、アメリカのグローバルな考え方を基準としてきた。しかし、その手本自体が今、大きく変化しようとしている中で、我々が他国の模倣ではない主体的な未来を構想することが急務となっている。
日本が取り戻すべきは、「反グローバル」という新たなグローバルスタンダードに乗っかることではなく、自国の歴史や文化の深い理解に根差した「正しい自尊心」だ。アメリカの宗教や思想を研究することも重要だが、まずは自国の古典や伝統に学び、自分たちが何者であるかを知るべきなのである。
2050年に向けて、日本は二つの道のうちいずれかを選ぶという究極の選択を迫られる。一つは、人口8000万人への縮小を受け入れ、経済規模や国際的プレゼンスの低下を甘受しつつ、文化の同質性を保つ道だ。もう一つは、移民を受け入れて人口1億人規模を維持し、経済力や生活水準を保つが、多文化共生に伴う社会的摩擦や変容を受け入れる道だ。
これらの選択肢がもたらす未来像を、感情論ではなく長期的な視野と理性的な議論で比較検討し、国民的な合意形成を深めることが、現在の日本に最も求められている。過去を振り返り、自らを深く見つめることから「正しい自尊心」を醸成し、未来への羅針盤を打ち立てるべき時なのだ。