PIVOT TALK BUSINESS
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2026年6月2日

日米外交の裏側で交わされてきた「密約」とは一体何なのか?密約は何を守り何を犠牲にしてきたのか?前編では不平等な刑事裁判権の実態に迫る。 日本大学名誉教授の信夫隆司氏が日米外交の知られざる側面を徹底解説。 <ゲスト> 信夫隆司|日本大学名誉教授 1953年山形県生まれ。日本大学大学院法学研究科修士課...
「対等なパートナーシップ」――。今日、日米同盟を評する際にこの言葉を聞く機会は少なくない。しかし、その陰には一般には知られていない「密約」が数多く存在し、両国の関係を裏で規定してきた事実は見過ごされてはならない。
特に、日本の主権がアメリカ側の要請に基づいて形骸化されてきた具体的なケースは、現代の日米関係の真の構造を理解する上で不可欠だ。
本稿では、日米間の密約がいかにして生まれ、どのように機能してきたのか。特に、在日米兵の刑事裁判権を巡る密約の経緯と、それが日本の司法に及ぼす影響を、実際のデータと併せて深く掘り下げていく。

外交上の「密約」とは、一部の政治家や高級官僚が、国民の目から隠れて交わす非公式な国際約束を指す。これは国家の主権や安全保障など、極めて重要なテーマに関わる内容であるにもかかわらず、公的な条約や協定とは異なり、正規の手続きを踏まずに締結され、政府によってその存在が一貫して否定される特徴を持つ。国民の自己決定権や日本の主権を守るべき合意が、公にされず裏側で決められていることが最大の性質と言えるだろう。
信夫隆教授は、当初の国際政治理論研究の限界を感じ、教科書には決して現れない交渉の生々しい実態を知るため、日米の外交公文書館が所蔵する一次資料の研究へとシフトした。
その初期の大きなテーマが、沖縄返還を巡る「糸と縄の取引」であった。これは、アメリカが沖縄(縄)の施政権返還の見返りに、日本の繊維製品(糸)に対する自主規制を強く求めたもので、日本の領土・主権と通商問題が政治取引の対象になったことを示す象徴的な事例だ。このような教科書では学べない日米関係の深層が、研究者を密約へと駆り立てたと言える。
密約研究に決定的な転機をもたらしたのは、2010年3月に民主党政権が行った「密約調査」であった。これにより、それまで外務省が「存在しない」と公式に否定し続けてきた400点以上の密約関連の一次資料が初めて一般に公開され、密約の存在が公的に裏付けられた。この大量の機密文書が、長らくベールに包まれてきた日米関係の真の構造を解明する上で、極めて貴重な研究材料となったのだ。
通常の条約や協定は、議会の承認など所定の正式な手続きを経て締結され、その内容が広く公開される。これに対し、密約はそうした手続きを経ず、一部の政治家や高級官僚によって裏で交わされる。

密約の特徴として特に注目すべきは、日本とアメリカの間での認識の違いにある。アメリカ側は、後々の政権を拘束するためにも、合意内容を必ず「文書」として残すことを強く求める。しかし日本側は、密約の内容が国民に知られることで起きるであろう国内の反発や批判を恐れ、口頭での了解や曖昧な形式で済ませたいと考える傾向がある。この日米両国の「認識のギャップ」こそが、公にはできない合意を「密約」として成立させる土壌となっている。
重要なのは、たとえ口頭や非公式な文書であっても、アメリカ側にとっては「約束」として捉えられ、その後の両国関係に強い拘束力を持つことだ。日本が国民に隠蔽しつつも、実質的にはアメリカ側の要求を受け入れる形で、数々の密約が交わされてきたのである。
第二次世界大戦後、アメリカ軍が各国に駐留する中で、その軍隊の規律維持と指揮命令系統を優先するため、駐留軍兵士に対する刑事裁判権の特権的な扱いが議論された。
イギリスでは戦時中、「戦争に勝つ」という目的の下、駐留米兵の裁判権は全てアメリカ側に委ねられていた。しかし平時においては、受入国の主権侵害という問題が生じる。この問題を解決するために考案されたのが、「NATO軍地位協定」で定められた競合的裁判権方式である。
この方式では、派遣国(米国)と受け入れ国(日本)双方が裁判権を持ち、犯罪の性質によってどちらが「第一次裁判権」を持つかを定めている。例えば、米兵同士の犯罪や公務上の犯罪は米国が第一次裁判権を、それ以外の犯罪、特に市民が被害者の場合は日本が第一次裁判権を行使できることになった。
日本も1953年の日米行政協定改正時、形式上はこの「NATO方式」を導入し、日本は主権を回復し対等な立場になったと国民に説明した。しかし、ここから密約が始まった。米国は同時に「議事録」として、「日本側は特別に重要な犯罪を除いては、米兵を処罰しない」という内容を日本に提案。日本側はこれが国民に知られることを恐れ、議事録の公開性を回避するようアメリカに打診し、法務省幹部による一方的な陳述を合同委員会の記録として残すという極めて曖昧な形(通称「津田実R」)で合意を隠蔽したのだ。これにより、表向きは「NATO並み」だが、実態は米兵がほとんど裁かれないという不平等な運用が確立された。
密約は過去の話ではない。直近10年間のデータを見ると、在日米兵の起訴率はわずか16.7%である一方、日本人を含む米兵以外の外国人全体では39.1%という起訴率になっている。この大幅な乖離は、「実質的に重要な犯罪を除いては処罰しない」という密約が、今日に至るまで機能している実態を明確に示している。

この不平等な運用を徹底させるため、かつて法務省は検察官に対し、米兵の起訴にあたって上層部の許可を義務付ける「処分性訓規程」という内部規則を設けていた。この規程は1970年に廃止されたものの、それは密約の精神が検察組織全体に「暗黙の了解」として深く浸透し、もはや明文化された規定が不要となったからだと考えられる。
実際のデータ上の不起訴理由において特に目立つのが、「(裁判権)不行使」という項目である。これは、日本に第一次裁判権があるにもかかわらず、日本側が意図的にその権利を行使しなかったケースを指す。ここには、例えば「その兵士は直ちに戦場へ向かう必要がある」といった、軍の都合を優先したアメリカ側の要請が含まれることもあり得る。結果として、本来日本の法律で裁かれるべき犯罪が、米軍内での軽い懲戒処分などで処理され、被害者にとっては極めて理不尽な結果に終わることが少なくない。
日本政府が不利な密約を受け入れ、その存在を国民に隠し続けてきた最大の理由は、国内世論からの猛烈な批判、特に「対米従属」の非難を回避することにあった。表向きは日米同盟を「対等なパートナーシップ」として国民に説明しながらも、裏ではアメリカの要求に譲歩し、実質的な主権の一部を明け渡す形を取らざるを得ない状況に置かれていたのだ。

アメリカ側は確固たる文書での合意を求めたが、日本側はその文書が公開されることによる政治的打撃を避けたいと考えた。この相反する両者の思惑が、密約を極めて非公式で、発見しにくい形で締結させることになった。つまり、密約とは、表面上の「主権回復」を謳いつつ、裏側で実質的な主権譲渡を行ってきた、日米関係の非対称性そのものを象徴するものなのである。