PIVOT TALK BUSINESS
「ミドルパワー」が注目される理由
(671)
7,080回視聴
2026年4月30日

米中ロの一国主義のもとで、日本はいかに振る舞うべきか。軍事大国化vs平和主義かという不毛な二項対立を超え、実務的な生存戦略を探求する。ミドルパワー外交論の第一人者である、慶應義塾大学名誉教授の添谷芳秀氏に聞いた。 <ゲスト> 添谷芳秀|慶應義塾大学名誉教授 米ミシガン大学大学院にて博士号(政治学)...
「ミドルパワー外交」が日本の国際的立ち位置を示す概念となる理由
近年、「ミドルパワー」という言葉が国際政治の文脈で頻繁に語られている。その背景には、大国間の覇権争いの中で、従来の国際秩序が揺らぎ始めた現代特有の状況が存在する。カナダのカーニー首相による演説が大きな注目を集めたが、日本では20年ほど前からこの「ミドルパワー外交」を提唱してきた第一人者がいる。慶應義塾大学名誉教授の添谷芳秀氏がその一人だ。添谷氏が考えるミドルパワー外交の本質と、日本がこの概念をいかに受け入れるべきか、深掘りする。

Q. なぜ今、「ミドルパワー」という概念が世界的に注目されているのか?
ミドルパワーという概念が近年、国際的に大きな注目を集めている。これは、主にカナダのカーニー首相がダボス会議で行った演説がきっかけだ。同演説では、米国、中国、ロシアといった三大国が「力による一国主義」的な外交行動を強める中、既存の国際秩序が崩壊しかねないという強い危機感が示された。そして、これら大国に対抗するため、それなりの国力を持つ「ミドルパワー」が連携し、国際秩序の維持に積極的に貢献すべきだと訴えられたのである。

日本では当初、この演説が「アメリカに立てつく」ものと受け取られ、対米基軸を重視する政府関係者からはやや否定的な評価もあった。しかし、実際には米中どちらかを選ぶという二者択一的な議論ではなく、ミドルパワーとしての合理的な外交アジェンダとして捉えるべきだ。国際社会の潮流は明らかに、大国の一国主義へのアンチテーゼとして、ミドルパワーによる多国間協調への期待が高まっていると理解する必要がある。
Q. 「ミドルパワー外交」とは、具体的にどのような外交行動を指すのか?
「ミドルパワー外交」は、大国外交と対照的に、国際秩序と多国間協調を重視する外交行動を特徴とする。大国、特に米国、中国、ロシアは、時に自国の利益のためであれば国際法や国際機関の規範を無視する「一国主義(ユニラテラリズム)」的な傾向を持つ。彼らはその行動を単独で押し通すための圧倒的な軍事力や経済力を背景に持つからだ。しかしミドルパワーは、そうした単独で意思を押し通すような力や意図を放棄する。その代わり、国際法や国際組織、国際協力体制を自らの外交の基盤とするのだ。つまり、国際的なルールを尊重し、複数の国々と協力することで自国の利益と国際社会全体の安定を両立させようとする姿勢が本質だ。
大国と一対一で全面対決するような選択肢は持たず、多国間主義を重要な道具として活用する。日本の外交行動もこの範疇に入る。例えば、戦前の日本は軍事力を用いて自国の意思を押し通そうとする「大国外交」を行った。だが、戦後日本は平和憲法を掲げ、国際経済や地域援助を通じて国際社会に貢献してきた。これは、まさにミドルパワー的な行動様式であり、軍事大国とは一線を画すものである。
Q. 日本が「ミドルパワー」であるという認識は、現代においてどのように変化したのか?
日本における「ミドルパワー」の自己認識は、過去20年間で大きく変化した。添谷氏が2005年に「日本のミドルパワー外交」を提唱した当初は、国内に「日本はいまだ大国である」という意識が根強く、外交当局からも受け入れられにくい状況だった。戦後の驚異的な経済復興や、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された経済大国としての自負が、国民の大国メンタリティとして深く浸透していたからだ。そのため、ミドルパワーという位置づけは、「弱くなった」と捉えられ、やや不評だったのである。

しかし現代では、客観的な経済指標から見ても、日本は大国とは言えなくなってきている。GDPはドイツに抜かれて世界4位に後退し、今後インドにも抜かれる見込みだ。一人当たりのGNPも韓国に抜かれるなど、その順位は下落を続けている。さらに、東アジアから日本を訪れる観光客が「日本は安い」と語るように、国内経済の実感が大きく変わった。こうした状況は、日本がもはやかつてのような経済大国ではないという事実を国民が受け入れる土壌となり、「ミドルパワー」という認識がより自然に浸透しつつあるのだ。言い換えれば、国際社会における日本の「現在地」をより冷静に評価できるようになったとも言える。
Q. 添谷氏が20年前に「日本のミドルパワー外交」を提唱した背景には、どのような問題意識があったのか?
添谷氏の問題意識の原点は、冷戦終結直後の国際情勢と日本の外交に対する国内外からの批判にある。1990年代の湾岸戦争において、日本は平和憲法を制約とし、人的貢献ができなかったため多額の資金提供にとどまった。この行動に対し、国際社会からは「金だけ出し、何もせず敗北した」という厳しい評価が下されたのである。その後、自衛隊が初めて海外派遣されたカンボジアPKOでも、問題が露呈した。
カンボジアPKOへの派遣は、アジア諸国からは「軍国主義の再来ではないか」と警戒され、米国からは「これだけの貢献で十分なのか」と不十分さを指摘された。このように、日本政府は相手によって全く異なる説明を強いられ、対外的に一貫した日本の外交コンセプトが不在であることが浮き彫りとなった。日本国内においても、外交政策を巡っては右派と左派の間で常に激しい対立があり、国際的にも国内的にも日本の外交は「分かりにくい」と評価されてきたのである。
このような状況を解消するため、添谷氏は日本の実際の行動を的確に説明し、国内外の「モヤモヤ感」を取り払うコンセプトの必要性を強く感じていた。それは、軍事大国を目指さず、経済力と国際協調を通じて国際秩序に貢献する「ミドルパワー的」な日本の実態に即した概念である。このミドルパワー論は、単に日本の国力を評価するだけでなく、日本の外交に一貫したロジックを与える「統一的な視点」として提唱されたのである。
Q. 「憲法9条」と「日米安保条約」という、異なる時代に生まれた日本の二つの基軸は、どのような「ねじれ」を生んだのか?
戦後日本の外交アイデンティティの根幹には、「憲法9条」と「日米安保条約」という二つの柱が据えられてきた。しかし、これらはそれぞれ異なる歴史的背景を持つため、本質的に「ねじれ」を含んでいる。憲法9条は、1946年の戦後処理期、冷戦以前の「非軍事化」の論理で生まれた。一方、日米安保条約は、その直後の冷戦下における対共産圏の戦略として締結された「集団安全保障」の産物である。つまり、本来であれば同時に存在し得なかった、矛盾を孕んだ二つの軸を、戦後日本は外交の基軸としてきたのだ。

この歴史的な「ねじれ」は、国内の政治にも大きな分断をもたらした。護憲派は平和主義を盾に安保体制を批判し、改憲・安保重視派は現実的な安全保障の観点から平和憲法の制約を攻撃する。お互いの「正論」がベースを異にするため、水と油の関係となり、永きにわたる不毛な安保論争が繰り広げられた。添谷氏のミドルパワー論は、この国内の分裂状況をも乗り越えるため、「中庸(ちゅうよう)」としての意味合いも持ち合わせていた。どちらかのイデオロギーに偏るのではなく、戦後日本の平和主義と、現実的な国際貢献とを両立させる戦略的コンセプトとして位置づけようとしたのである。つまり、単なる「国力」の問題にとどまらず、日本のアイデンティティの根源にある矛盾を解消するための重要な試みであった。
Q. 国際社会における「ミドルパワー」の役割とは何か?日本は今後、どのような外交戦略を取るべきか?
大国間の緊張が高まる現在、ミドルパワーが果たすべき役割はますます重要になっている。アメリカはかつてのような普遍的なリーダーではなく、自国第一主義的な行動に傾きつつある。このような状況下で、思考停止で「対米同盟絶対」を掲げるミドルパワー戦略は袋小路に入る危険性を孕む。アメリカとの関係を見直すことは、日本だけでなく、アジア太平洋地域の多くのミドルパワーにとって共通の喫緊の課題だ。
これは決して「アメリカを捨てて中国にへつらう」という短絡的な二者択一ではない。中国の脅威への抑止の必要性は当然として認識しながらも、その実現方法をアメリカ任せにするのではなく、多国間協調の中でより能動的な外交を展開すべきである。日本の外交戦略は、対米・対中のバランスを、地域内のミドルパワー諸国と連携しながら主体的に調整していく方向へ進化する必要があるのだ。
ミドルパワーの連携は万能ではない。特に地理的条件などから、利害が一致しにくい面も存在する。例えば、欧州諸国がアジアの中国脅威に全面的に協力する姿勢は薄い。しかし、米ソ冷戦下で「事実上のミドルパワー連合」として機能したEUの成功事例が示すように、大国に翻弄されない自立性を確保するためには、ミドルパワー間の協調努力を粘り強く続けることが不可欠だ。日本には、外交コンセプトを明確にし、地域のミドルパワーが連携を模索する上で障害とならないよう、より透明性のある外交を展開することが求められるだろう。それこそが、大国に囲まれた日本の「宿命」であり、国際社会での生存戦略となる。