PIVOT TALK WORLD
米歴代政権はなぜ中東から離れられないのか
(704)
7,642回視聴
2026年4月24日

なぜアメリカは中東に関与し続けるのか。冷戦後から現在に至る歴代政権の中東戦略を徹底解剖する。クリントン政権の二重の封じ込めから、オバマ政権の撤退路線、イスラエルとバイデン政権の関係、そしてトランプ第2期のイラン攻撃の背景まで、中東情勢の裏側と今後の展望を考察。 <ゲスト> 溝渕正季|明治学院大学法...
米国歴代政権の中東政策:終わりの見えない対立の構造と戦略の変遷
ブッシュ、オバマ、トランプ、そしてバイデン。米国の大統領が代わるたびに、その中東政策は大きく揺れ動いてきた。9.11同時多発テロ、イラク戦争、アラブの春、イラン核合意といった歴史的転換点において、米国は中東にどのような影響を与え、また与えられてきたのだろうか。歴代政権の思惑と、それがもたらした中東の混乱を紐解く。
一見、無作為に見える各政権の対応が、実は今日の中東が抱える終わりの見えない対立の構造を形作っていることを理解する手がかりを提供する。

Q. 米国の対中東政策はどのように変遷したのか?
米国の対中東政策は、クリントン政権の「二重の封じ込め」に始まり、9.11後のブッシュ政権による軍事単独行動主義へ大きく転換した。オバマ政権は「中東からの撤退」とアジアへの軸足移動を試みたが、「アラブの春」の勃発で困難に直面した。トランプ政権はオバマ政策を否定することに主眼を置き、個人的な思惑も絡んで「親イスラエル路線」を鮮明にした。
続くバイデン政権は明確な中東戦略を持たず、民主主義・人権を重視するがゆえに既存同盟国との関係が悪化。結果として米国の中東における影響力は低下し、頼れるパートナーはイスラエルのみとなる。トランプ政権第2期には、特定の利害と思いつきによってイラン攻撃にまで踏み切る事態も発生し、政策の一貫性は失われたまま混迷を深める一方であった。
Q. クリントン政権の「二重の封じ込め」はテロと反米感情にどのように影響したか?
クリントン政権(1993年〜2001年)の中東政策は、湾岸の石油資源とイスラエルへの脅威となるイランとイラクを同時に封じ込める「二重の封じ込め」が基本的な柱であった。この政策はイラクが攻撃的な姿勢に出るのを防ぎ、一定の成果を上げたものの、代償としてペルシャ湾岸諸国への大規模な米軍駐留が不可欠となった。

アラビア半島はイスラム教徒にとって聖なる土地であり、そこにキリスト教徒の軍隊が常駐することへの現地イスラム教徒の不満は募った。アルカイダはこの米軍駐留を「聖なる土地への侵略」としてテロ活動を正当化する口実とし、反米感情を煽ったため、9.11同時多発テロの温床の一つがここで醸成されたと言える。
加えてクリントン政権は歴代随一の親イスラエル政権であり、イスラエルとパレスチナ間の和平交渉では一貫してイスラエル側に立ち、公正な仲介者としての役割を果たさなかった。この偏った姿勢も、アラブ諸国やイスラム教徒からの不満をさらに増大させる要因となった。
Q. ブッシュ政権のイラク戦争は中東地域にどのような予想外の結果をもたらしたか?
ジョージ・W・ブッシュ大統領は当初外交に無関心であったが、2001年9月11日の同時多発テロによって政策は激変する。これまでの封じ込め政策ではテロを防ぎきれないとの認識から、「ブッシュ・ドクトリン」と呼ばれる単独軍事行動主義へと舵を切った。これは国連などの国際協調や国際法に縛られず、米国の圧倒的な軍事力で問題を解決するという思想であった。
イラク戦争はまさにこのドクトリンに基づいて行われ、サダム・フセイン政権は打倒された。しかし結果としてイラクはカオスと内戦状態に陥り、泥沼化した。この状況で最大の利益を得たのが、イラクと長年の敵対関係にあった隣国イランである。
イランは、米国がイラクで国力を消耗し、最大の脅威であったフセインを排除してくれたことに助けられた。イランはイラク国内の親イラン派武装勢力を育成し、地域における影響力を飛躍的に拡大することに成功。米国の強硬な軍事介入が、皮肉にも最大の懸念国の一つであるイランの台頭を招く結果となった。
Q. オバマ政権が中東からの撤退を目指す中で直面した「アラブの春」のジレンマとは何か?
オバマ政権はブッシュ政権のイラク戦争の失敗を反省し、「中東に深入りしても良いことはない」という認識から、中東からの軍事的関与を減らし、東アジア・太平洋地域へ軸足を移す「ピボット(リバランシング)政策」を掲げた。いかにして中東から円滑に撤退するかが政権の主要課題であった。

しかし、撤退方針を打ち出した矢先に、中東全域で大規模な反体制運動「アラブの春」が勃発した。これにより、オバマ政権は「民主化を支持するという米国の理想」と、「長年の同盟国である独裁体制国家の安定維持という現実的な利益」の間で深刻なジレンマに陥った。
結局、オバマ政権はどちらにも深く介入せず、「地域の民主化は地域の人々自身で進めるべき」として積極的な行動を避けた。この中途半端な姿勢は、反体制派からは「頼りにならない」と、独裁体制からは「見捨てられた」と認識され、結果として米国の中東における信頼と影響力を著しく低下させてしまう。
その中で、唯一ポジティブな成果として挙げられるのが、2015年に締結されたイラン核合意である。これはイランが核開発を制限する代わりに経済制裁を解除するという外交的成果であり、オバマはこれを自身のレガシーと位置づけた。
Q. トランプ政権の「オバマ政策の否定」と「親イスラエル路線」は中東情勢にどう作用したか?
トランプ政権(1期目)の最優先目標は、前任者オバマ大統領の政策、特に彼の唯一の外交成果であったイラン核合意の否定にあった。2018年には核合意から一方的に離脱し、イランに「最大限の圧力」をかける方針へと転換した。これはオバマの成果を帳消しにしようとする、徹底した逆張り戦略であったと言える。
またトランプ政権は、歴代政権の中でも群を抜く親イスラエル路線を敷いた。オバマがイスラエルとの距離を置いていたのとは対照的に、娘婿のジャレット・クシュナーをはじめとする親イスラエル派の側近たちが政策決定に強い影響力を持ち、米国大使館のエルサレム移転やゴラン高原のイスラエル主権承認など、イスラエルに極めて有利な政策を次々と打ち出した。
トランプ自身、大統領の権限を自身のファミリービジネスや私益のために利用する側面が色濃く、湾岸諸国を歴訪しては自社への投資を呼びかけた。アラブの独裁者たちは、民主主義を説く面倒なバイデンと違い、トランプがお金で歓心を買える「御しやすい」相手だと考え、彼のビジネスに投資することで関係を築こうとした。これが、中東における米国の政策に新たな不確実性をもたらす。
Q. バイデン政権の中東戦略は米国の中東における影響力を低下させた理由は何があるのか?
バイデン政権は明確な中東戦略を持たず、トランプ政権の修正を試みたが、イラン核合意への復帰交渉は失敗に終わる。中東からの撤退という大方針は継承し、アフガニスタンからの性急な全面撤退を断行した結果、タリバンがすぐに復権し混乱を招いた。
さらに、バイデンは民主主義や人権といった普遍的価値観を重視する伝統的な民主党員であったため、これまで米国の中東戦略を支えてきたサウジアラビアなどのアラブ独裁体制国家への批判を強めた。特にジャーナリスト殺害事件を巡り、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子を公然と非難し、「のけ者にする」とまで発言。これにより、米国の長年の同盟国との関係は悪化した。

アラブ諸国との関係悪化の結果、バイデン政権下での中東における信頼できるパートナーはイスラエルだけとなる。しかし、2023年10月のハマス攻撃以降、イスラエルが国際的な孤立を深める中で、バイデンは長年の親イスラエル路線からイスラエルを強く批判することも、事態を収拾することもできず、米国の中東における影響力はさらに低下し、ほとんど機能しない状態に陥った。
Q. トランプ政権が「モンロー主義」を掲げつつイランを攻撃したのはなぜか?
「西半球中心」「海外の戦争に不介入」を意味するモンロー主義を掲げたトランプ大統領がイランを攻撃した背景には、複雑な要因が絡み合っていた。
最も重要な要因は、第2期トランプ政権の閣僚人事が大統領への「イエスマン」のみで固められ、外交の専門家や抑制役が不在だった点である。これにより、トランプ自身の衝動的な思いつきや個人的な利害が、何のチェックも受けずにそのまま外交政策に直結する危険な体制が構築された。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の長年の執念も無視できない。ネタニヤフは20年以上にわたり、歴代の米大統領にイラン攻撃を要求してきたが、中東の泥沼化を恐れる米国に常に拒否されてきた。しかし、制止役がいない第2期のトランプ大統領こそ、彼の要求を受け入れる「愚かな大統領」として利用できる機会と見なし、執拗に働きかけを続けたのである。その結果、出口戦略もないままイラン攻撃が実行されてしまう。
他にも、トランプの強力な支持基盤である福音派キリスト教徒がイスラエル支援を「神の意思」と信じていたこと、イスラエルロビーや親イスラエル派の富裕層からの資金援助があったこと、さらにはエプスタインファイルのような個人的スキャンダルから世間の目を逸らしたいという私的な思惑が絡んでいた可能性も指摘されている。