PIVOT TALK WORLD
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2026年4月22日

石油、イスラエル、封じ込めという3つの柱から、アメリカが中東から離れることができない構造的な理由を解き明かす。世界秩序をリードしていたはずの米国が、中東では自ら作ったルールを破壊し続けてきたという衝撃の事実も。 <ゲスト> 溝渕正季|明治学院大学法学部政治学科 教授 神戸大学卒、上智大学大学院にて...
冷戦終結後、米国は「リベラルな国際秩序」の番人として世界に民主主義と人権を広めようと提唱した。しかし中東地域においては、石油資源やイスラエルの安全保障といった自国の国益を優先し、一貫してその原則を適用しないという特異な戦略を続けてきた。これは世界秩序の安定を目指すグローバル戦略と中東における利権追求との間に生じた矛盾であり、「石油」「イスラエル」「封じ込め」という三つのキーワードに集約される。
米国の矛盾に満ちた中東介入の歴史を紐解き、現在の国際情勢にも影を落とすその実態を深く掘り下げる。

米国の長く続く中東への関与は三つの不可欠な要素に由来する。「石油」「イスラエル」、そしてそれら二つへの「敵対勢力の封じ込め」である。中東地域には世界の確認埋蔵量の約半分にあたる莫大な石油資源が眠る。その安定的な確保と世界への円滑な供給路の安全保障は、第二次世界大戦後、米国にとって揺るぎない最重要任務となった。

さらに、1967年の第三次中東戦争を境に、イスラエルは米国にとって単なる保護対象から強力な「戦略的パートナー」へと変貌を遂げる。これらの米国にとって死活的に重要な利益を守るため、時代と共に変化する地域内の脅威(冷戦期のソ連、革命後のイラン、フセイン政権下のイラク、そしてテロ組織)を封じ込める必要が生まれた。この三つの柱が、米国の対中東政策を理解する上での出発点となる。
冷戦終結後、米国は自由で民主主義的、かつ法の支配と人権を尊重する国際秩序の構築を掲げた。しかし中東地域では、このグローバル戦略と著しい乖離が見られた。例えば、非民主的で人権侵害が指摘されるサウジアラビアのような国家とも、石油利権と安全保障交換のため強固な同盟関係を築き、その内部体制を黙認してきた。イスラエルの国際法違反行為についても、その「特別な存在」ゆえに批判的な態度を控えてきた。
これは、自らが世界に課そうとしたルールを中東においては都合よく無視してきたことに他ならない。ルールを強制する側の大国が自らルールを破ることは、国際社会における規範意識を深く傷つけ、形骸化させる。この米国のダブルスタンダードが、ロシアのウクライナ侵攻のような事態に対して、他国にルール違反の口実を与える遠因となった可能性は否定できない。米国自身が「秩序の破壊者」としての側面を中東で見せてきたことは、現代の国際情勢を考察する上で重要な視点となる。
第二次世界大戦後、世界経済を支える上で石油は最重要資源となり、その供給の約半分を中東地域が占めていた。そのため、中東からの石油の安定供給を確保し、運搬経路であるシーレーンを守ることが米国の最重要課題の一つだった。
しかし、近年のシェール革命によって、米国は自国の石油生産を大幅に増やし、2019年には石油純輸出国となった。これにより、一見すると中東石油への依存度は下がったかに見える。だが、原油価格はグローバル市場で決定されるため、ホルムズ海峡のような中東の要衝が封鎖されれば、たとえ米国が自給自足できる立場にあっても、世界的な原油価格高騰は避けられない。これは米国内のガソリン価格上昇や物価高騰に直結し、一般国民の生活を直撃する。したがって、米国が石油純輸出国となった現在でも、中東の石油の安定供給を確保し、世界の石油市場の安定を守ることは、米国経済にとって依然として不可欠な任務であり続ける。石油を巡る地政学的リスクは、形を変えつつも、今なお米国の深い関与を要している。
第二次世界大戦後、英国の衰退に伴い、米国は中東の覇権を継承した。冷戦期においては、サウジアラビアと、1979年の革命以前のイラン・パフレビー朝を主要な同盟国とし、ソ連の影響力拡大に対抗した。サウジアラビアとは「石油と安全保障の交換」という形で関係を築き、イランも親米政権として地域秩序維持に貢献した。しかし、1979年のイラン革命は全てを一変させる。親米的なパフレビー朝は打倒され、強硬な反米・反イスラエルを掲げるイスラム体制が成立したのだ。これにより、米国は長年のパートナーを失い、自ら中東への軍事介入を余儀なくされる状況が生まれる。

イラン・イラク戦争(1980-1988)では、米国はイラクを間接的に支援して革命イランを消耗させようと図った。この戦争後、経済的苦境に陥ったイラクがクウェートを侵攻した湾岸戦争(1990-1991)が勃発し、米国主導の多国籍軍がこれを撃退。この湾岸戦争を機に、米国はペルシャ湾岸諸国に恒久的な米軍基地を設置し、中東における軍事プレゼンスを飛躍的に拡大させた。これは、イランとイラクの両方を同時に「封じ込める」戦略の下での恒常的な軍事駐留の始まりとなった。
イスラエルが1948年に建国された際、米国はいち早く承認したものの、当初の関係は現在ほど特別ではなかった。当時の米国国務省内では、石油利権を有するアラブ諸国との関係悪化を懸念し、イスラエルへの過度な肩入れには慎重論もあった。しかし、この関係に決定的な転換点をもたらしたのが、1967年の第三次中東戦争である。この戦争でイスラエルが周辺アラブ諸国に圧倒的な勝利を収めたことで、米国はイスラエルを「単なる保護すべき存在」から、ソ連の影響下にあったアラブ諸国に対抗しうる強力な「戦略的パートナー」として再評価した。

この戦勝は、米国社会にも大きな影響を与えた。国内の敬虔なプロテスタント福音派の間では、イスラエルの勝利を「聖書の預言の成就」と見なす見方が強まり、その支持が熱狂的に拡大した。また、米国内のユダヤ人コミュニティもイスラエル支援のロビー活動を活発化させ、その政治的影響力を増大させた。
第三次中東戦争以降、米国はイスラエルに対して飛躍的な支援を行うようになる。周辺アラブ諸国よりも一世代進んだ最新鋭兵器の供与、年間数十億ドル規模の巨額な軍事・経済支援、そして最も特筆すべきは、かつては反対していたイスラエルの核兵器開発と保有を事実上容認し、むしろ積極的に支援する姿勢へと転換したことだ。これらの変化が、米国とイスラエルが築いてきた特別な関係の礎となった。