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福澤諭吉のリアル。知識人たちの明治維新
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2026年4月4日

明治6年に結成された知的結社・明六社には、森有礼、西周、福澤諭吉らが集結した。彼らは当時、どんな言論を展開したのか?現代へのヒントは何か?『明六社』著者の河野有理・法政大学教授に聞いた。 <ゲスト> 河野有理|法政大学法学部教授 日本政治思想史家。東大法学部卒、同大学院修了、博士(法学)。都立大...
「明治の大インフルエンサー」福澤諭吉の光と影 150年前の論壇「明六社」から現代を読み解く
明治初期に結成された「明六社」は、日本初の近代的論壇として多様な知識人が集い、国の未来を議論した。
その中でも特に存在感を放ったのが福澤諭吉である。彼の思想や活動は、150年後の現代社会にも重要な示唆を与えている。本記事では、福澤諭吉の実像と明六社の議論を振り返り、現代に通じる問いを探る。

Q. 明六社は具体的にどのような組織で、どのような活動をしたのか?
明治6年に設立された明六社は、日本の近代化が急速に進む激動期に、第一級の知識人が身分や所属といった旧来の枠を超え集結した、日本初の本格的な「論壇」である。
江戸時代にも詩歌の集団である「俳壇」や絵画の流派である「画壇」といったものは存在した。

しかし、それらは師弟関係や家柄による閉鎖的な集まりに過ぎなかった。明六社の画期性は、そうした身分や学閥に囚われず、個人が対等な立場で自由に議論を交わす場、すなわち「ソサエチー」を日本に誕生させた点にある。
彼らの主な活動は、メンバーの論文や演説の筆記などを収録した機関誌『明六雑誌』の刊行だった。計43号にも及んだこの雑誌を通じて、多様な意見が社会に提示され、近代日本の知的基盤を形成する重要な役割を果たした。
Q. 当時の福沢諭吉はどのような存在だったのか、彼のメディア戦略とは?
当時の福澤諭吉はまさに「大インフルエンサー」と呼ぶにふさわしい存在であった。
『学問のすゝめ』は社会現象となる大ベストセラーとなり、文字を読める人々は皆が彼の思想に触れた。その影響力は現代のSNSで大きな話題を巻き起こす「バズり」に等しい。福沢に対する批判や「アンチ」の存在さえも、彼の影響力をさらに広げる相乗効果を生み出した。
彼は単なる思想家ではなく、卓越したメディア戦略家でもあった。
自身の著作を世に広めるだけでなく、そこから収益を得る仕組み、つまり「版権(コピーライト)」という概念を日本に導入した。大学(慶應義塾)や新聞(時事新報)を自ら創設し、自身の議論を永続的に発信し、後世に伝えていくための「器」を戦略的に作り上げた。
このような福澤の圧倒的な存在感ゆえに、明六社においては、彼以外の多くの知識人たちが活躍したにもかかわらず、その功績が歴史の中で埋もれがちであった。たとえば、雑誌に多数寄稿しながらも、後世に名を残すことが少なかった阪谷素はその一例である。

Q. 明六社で議論されたテーマの中で、特に現代に共通する重要課題とは何か?
明六社で議論されたテーマの中で、特に現代に通じる最重要課題は、大きく二つ挙げられる。一つは「日本語の在り方(国語問題)」、もう一つは「文明のモデル」である。
日本語を廃止して英語を国語とする案
漢字を廃止しローマ字表記へ移行する案
漢字を制限し、日本語をより簡潔にする「シンプリファイド・ジャパニーズ」構想
現代において、多様な文化的背景を持つ人々が日本社会で生活するようになるにつれて、学習・認識コストの高い日本語のあり方は再び重要な論点となるだろう。
もう一つの「文明のモデル」については、当時の日本が欧米文明を明確な模範としていたのに対し、現代の日本には「目指すべき模範国」というものが存在しない。
欧米にも課題が多く見え、中国や韓国とも異なる独自の道を模索する現代の状況は、まさに文明の針路を真剣に議論した明治初期の知識人たちの姿と重なる。
福澤諭吉の言葉「一新にして二生を得る」は、旧文明と新文明の間に立つ者の特権的な視点を意味するが、これは昭和から令和へ、アナログからデジタルへと移行する二つの時代を体験する現代人にも通じる視座を与えている。過去の結論を単になぞるのではなく、彼らの思考の過程そのものに現代を生きるヒントが隠されている。
Q. 福沢諭吉が提唱した「社交」や「言語パフォーマンス」の重要性とは?
福澤諭吉は『学問のすゝめ』の結びに「人をして人をけぎらいするなかれ」と記し、知らない人とのコミュニケーション、すなわち「社交」の重要性を強く説いた。
彼は見知らぬ人とも笑顔で接し、対話を始めることで、閉鎖的な人間関係を打ち破り、より健全な市民社会を築けると主張した。この思想の背景には、幕末に体験した暗殺の恐怖があった。
テキスト上のみで結束する集団が、顔の見えない他者に対し残酷な攻撃を仕掛ける傾向があることを、福澤は身をもって理解していた。現代のSNSにおける炎上や誹謗中傷は、この福澤の警鐘が今日でも有効であることを示していると言える。

また、福澤は英国議会を視察し、議会制度の本質が口頭での議論「言語パフォーマンス」を中心とした集団的意志決定にあることを見抜いた。活発な弁論を交わしながらも、一度議場を出れば共存するイギリスの姿は、日本の文書主義や根回し文化とは対極であり、福澤に強い印象を与えた。
興味深いことに、明治初期の日本社会では演説が一大ブームとなった。街頭では多くの人々が演説を行い、女性演説家も現れるなど、当時の「新しいメディア」としての演説は、現代のYouTubeでの発信と類似する「オーラル文化」を形成していた。
福澤自身も演説を通じて「耳で聞いてわかる」日本語の確立に努めるなど、メディアの変化に対応し、積極的に言葉の力を活用しようとした。現代の動画時代において、この失われた「言語パフォーマンス」の伝統を再評価し、対話の能力を養う意義は極めて大きい。
Q. 福澤諭吉が時代を超えて影響力を持つ理由は何か?
福澤諭吉が「拝金主義者」「西洋かぶれ」といった批判を受けながらも、現代までその影響力を持ち続けている理由はいくつかある。一つは、彼自身の思想や議論が時代を超えて面白く、人々をインスパイアする力があることだ。
さらに、彼の優れた「メディア起業家」としての側面も大きい。
自身の思想を世に広め、永続させるため、慶應義塾という学術機関や時事新報という新聞社を創設し、「器」として機能させた。彼が生み出したこれらプラットフォームは、福澤の死後も彼の思想や精神を語り継ぐ媒体となったからである。
また、福澤は単なる合理主義者ではなかった。江戸城無血開城という合理的な判断をした勝海舟を、彼は「やせ我慢の精神」がないと批判した。この背景には、社会や国家の基盤には、合理性だけでは割り切れない忠誠心や誇りといった「非合理的な情念」が必要だという福澤の信念がある。
彼は「世の中の意見が一致する」ことを嫌い、あえて異論を唱えて「でんぐり返す」ことを道楽とした。このような「アジテーター」であり「エンターテイナー」である側面が、福澤を単なる学者に留めず、強いメッセージを伴って後世に名を残すことになった。