PIVOT TALK LIFE
文章の経済的価値が劇的に下がりつつある理由
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2026年3月3日

なぜ活字は衰退しているのか?本を読めない人たちが増えているのか?『本を読めなくなった人たち』の著者であるノンフィクションライターの稲田豊史氏に聞いた。 ▼プロフィール 稲田豊史|ノンフィクションライター 横浜国立大学卒。映画配給会社および出版社で業界誌編集長等を経て独立。著書に『映画を早送りで観る...
激変するメディアと知性の形:AI時代における「情報との向き合い方」を問う
現代社会において、情報摂取の方法は大きく変化した。動画メディアの隆盛とAI技術の進化は、コンテンツの質や情報の価値観に深刻な影響を与えている。かつて誰もが共有していた「国民総メディア時代」は終焉を迎え、情報は断片化され、消費者の知性にも明確な格差が生まれているのが現状だ。
本記事では、メディアの質が低下した背景から、情報との向き合い方が二極化する現状、そしてAI時代に求められる「真の知性」と「ライターの生存戦略」について深掘りする。私たちは今、情報社会をどう生きるべきか。

Q. 現代社会でコンテンツの質が低下している根本原因とは何か?
情報媒体のデジタル化、特に動画コンテンツへのシフトは、現代社会における情報体験を劇的に変えた。文字情報が「能動的な努力」を要するメディアであったのに対し、動画は「受動的な受容」を可能にする。努力をせずとも手軽に情報を得られるこの特性が、結果としてコンテンツ全体の質の低下を招いたと言える。
インターネット経済において、「見られること」は収益に直結する。そのため、発信者はPV至上主義に陥り、必然的に扇動的で分かりやすいコンテンツばかりを生み出す。これはかつて雑誌が多様な記事を通して読者に様々な情報を届けていたエコシステムを破壊した。結果、質よりも視聴数を追求するアルゴリズムがエンタメ系ショート動画を蔓延させ、学びにつながるコンテンツの停滞を引き起こしているのだ。
Q. 情報摂取における「分かりみ」と「面白み」の違いと、その影響とは何か?
現代のテキストメディアにおける情報消費は、大きく「分かりみ」と「面白み」の二軸で語られる。分かりみとは、共感度が高く、思考の停止を招く情報の在り方を指す。SNSのトレンドや、すぐさま正解に到達できる情報はこれにあたり、多くの人々にとって手軽で消費しやすい。

一方、面白みは、読者に能動的な思考を促し、読後もそのテーマについて考え続けるような、認知的負荷を伴う情報を意味する。これは、答えのない問いに自ら向き合い、新しい概念を生み出す行為につながるため、真のリーダー層には不可欠な資質を提供する。しかし、手軽さを求める現代において、面白みのある情報は時間と労力を要するため、敬遠されがちだ。また、経済的な成功に直結しにくい側面もあり、学者などに代表される「コスパの悪さ」も指摘されている。
イーロン・マスクがX(旧Twitter)で採用したアルゴリズムは、この「分かりみ」を最大限に活用し、扇動的で共感を呼ぶコンテンツが拡散されやすい仕組みを強化した。これにより、質の高い情報が埋もれ、思考を深める機会が失われつつあるとの見方がある。
Q. 日本の文化的・精神的な階級社会化はどのように進行しているのか?
「国民総メディア時代」と形容される、かつての大衆が同一のメディアコンテンツに触れていた時代は終焉を迎えた。読売新聞が1000万部発行されていた時代はむしろ「異常」であった。現代では、経済格差のみならず、文化的・精神的な階級社会化が顕著に進展しており、アクセスする情報源によって人々の価値観や知性に明確な分断が生じている。
大学の入学時点で既に、入試偏差値によって学生の文化的・精神的レベルに大きな隔たりが見られるという。これは読書習慣の有無を超えた、より根深い格差の現れであり、若年層が社会に出る前から自身の階級を認識し、無理に上昇を目指すことなく穏やかに生きていこうとする傾向が強い。「諦め」とも捉えられるこの現象は、イギリス社会が辿ってきた歴史的状況、すなわち「イギリス化」に酷似していると言えるだろう。
Q. AI時代における「知性」の条件は何であり、どう獲得されるのか?
AI時代における「真の知性」は、情報に対する「能動的な姿勢」によって決定づけられる。多くの人々がLINEニュースの通知やGoogle Discoverなど、アルゴリズムによって「降ってくる」情報を受動的に消費する一方で、知的な人々は自ら情報源を選び、コントロールする。
例えば、X(旧Twitter)において、彼らは自身の専門分野の第一人者や出版社のみをフォローし、不必要な情報を意図的に遮断する。情報過多な現代において、何を受け取り、何を捨てるかを選別する「能動性」こそが、知的活動の根幹となる。この「能動的」な情報収集こそが、本質的な学びへと繋がるのだ。
特に「本を読む」という行為は、自ら書店に足を運び、本を選び、購入し、時間をかけて読み込むという一連のプロセスにおいて、究極の能動性を伴う。そのため、今後「読書家であること」の価値は一層高まり、知性を象徴する行為として見なされる可能性がある。
Q. 「読める側」の優越感は新たな社会的分断を生むのか?
「本を読むことは能動的で知的」という認識が広まる中で、一部の読書家からは「自分は本が読める側だ」という優越感が生まれる傾向が見られる。SNS上では、自身の読書量を誇示し、読書習慣のない人々を揶揄する言動も散見される。これは、新たな「文化的階級」を生み出すと同時に、不毛な分断と相互不信を助長しかねない。

非読書層は読書家を「金銭的、あるいは教育的な恵まれた環境にいる者」とみなし、読書家は非読書層を「リテラシーがない」と見下す。これはあたかも政治的な対立のように、建設的な対話を阻害する。この状況は、たとえ若者がテレビや新聞を日常的に見ていなくても、それらがWebメディアよりも信頼性が高いことを認識している状態に似る。あたかも歌舞伎を見ることはなくても、その文化的な権威は認めている、というパラドックスが発生しているのだ。
Q. AI時代に「書くこと」の経済的価値はどこへ向かうのか?
文章の経済的価値は劇的に低下しており、筆者自身も会社経営のためにテキスト中心から動画中心のビジネスモデルへの転換を余儀なくされた。この変化は、文章の「形式」ではなく、「情報や知識という本質」を届ける媒体としての「動画」を選択したものであり、テキストに対する裏切りではなかったと言う。むしろ、質の低いコンテンツが溢れるYouTubeのようなプラットフォームに、良質な情報を提供することで貢献したいという使命感もあった。
生成AIの進化は、文章作成コストをほぼゼロにまで引き下げた。これにより、商品紹介文や署名のない記事など、一定の品質のテキストを量産していた低価格帯のライターの仕事は急速にAIに代替され、その経済価値は消失しつつある。この現実は、業界のトップ層で活躍する者からは見えにくいこともある。生成AIは、産業革命におけるラッダイト運動のように、一部の職業を淘汰しているのだ。
本物の書き手や良質な文章は今後も残るだろうが、その市場は大幅に縮小する可能性が高い。まるでオーガニックフードやミシュランレストランのように、一部の層が高価格を払って享受する、極めてニッチな存在になることが予想される。書店も、かつてのカジュアルな空間から、高級ブランド店のような選ばれた人々のための特別な場へと変貌するかもしれない。
Q. AI時代を生き抜くライターの「唯一の道」とは何か?
AI時代にライターが生き残る道はただ一つ、生成AIには原理的に不可能である「一次情報」を獲得することだ。それはインターネット上に存在しない、生身の人間に直接会い、取材現場に足を運んで得られる独自の情報である。文章をいかに巧みに書き、読みやすく表現するかという技術はAIが代替する領域になりつつあるため、人間ならではの強みが求められる。

具体的には、「何か事件が起こった時、その分野の第一人者にすぐに電話できる人脈」や「取材対象者の本音を、カメラや第三者がいないクローズドな環境で引き出せる能力」が決定的な価値となる。情報源から深い洞察を得るための人間関係構築力と、その情報を解釈・分析する思考力こそが、ライターの生存戦略の中心となるのだ。
そして、苦労して得た一次情報が、ネット上で安易に切り抜かれたり、無料で消費されたりすることへの「不愉快さ」や「怒り」といった人間特有の感情表現もまた、AIには生み出せない書き手の付加価値となる。労働に見合う「敬意」が払われることを求める、書き手本来の感情もまた、未来のライターを突き動かす原動力となるだろう。