PIVOT TALK LIFE
本を読めない人は、なぜ増えているのか?
(1264)
9,938回視聴
2026年3月2日

なぜ活字は衰退しているのか?本を読めない人たちが増えているのか?『本を読めなくなった人たち』の著者であるノンフィクションライターの稲田豊史氏に聞いた。 <ゲスト> 稲田豊史|ノンフィクションライター 横浜国立大学卒。映画配給会社および出版社で業界誌編集長等を経て独立。著書に『映画を早送りで観る人た...
「非読社会」の真実:本を読めなくなった現代人の知性とコスパの関係
現代社会において「人々が本を読まなくなった」という嘆きをよく耳にする。だが、これは単に個人が怠惰になったわけではない。ノンフィクションライターの稲田豊史氏は、この現象を単なる「不読」ではなく、「非効率で合理的でない」というニュアンスを込めた「非読社会」という新たな概念で提示する。
本記事では、稲田氏の著作『本を読めなくなった人たち』から得られる洞察を基に、なぜ読書が非効率と見なされるようになったのか、スマートフォン、動画、そしてAIといった技術がどのように読書体験を変容させたのかを探求する。
さらに、「本を読まない者が知的でない」という固定観念への問い直し、そして長文読解が「特殊能力」となる現代において、文章本来の価値とは何かをQ&A形式で考察していく。

Q. 現代社会で「本はコスパが悪い」とされるのはなぜか?
現代の若者にとって、本は「ながらで読めない」という点が最大の欠点である。動画や音楽のように、他の作業をしながら消費できないため、情報収集の手段として非常に効率が悪いと認識されている。忙しい現代人にとって、「ながら作業」ができないコンテンツは敬遠されがちなのだ。

加えて、ChatGPTのような生成AIの普及は、この傾向を加速させた。学生からも「長い文章はChatGPTが要約してくれるので、読む必要がない」という率直な意見が出るように、情報を手軽に抽出できる環境が整っている。これにより、膨大な時間と集中を要する長文読解の必要性は、多くの人にとって大きく薄れたと言えるだろう。
Q. スマホ、動画、AIの「トリプルパンチ」は読書に何をもたらしたのか?
読書離れを加速させた最大の要因は、「スマートフォン」「動画」「AI」という3つのテクノロジーによる「トリプルパンチ」である。まずスマートフォンが人々の可処分時間を奪い、どこでも手軽に他の情報にアクセスできるようになった。
次に動画メディアの勃興である。かつてビジネス書でしか得られなかった知識や情報が、YouTubeなどの動画プラットフォームで手軽に代替可能となった。目で見て耳で聞くことで、受動的に効率よく情報が摂取できるようになり、積極的に文字を追う必要が減少したのだ。
そして最後にAIが登場した。長文の要約や複雑な概念の説明をAIに頼ることで、読書の労力を劇的に軽減できるようになった。この三種の神器が相乗効果を生み、テキストメディアの必要性を大幅に低下させたと稲田氏は指摘する。
Q. 「本を読まない=知的でない」という考えはもはや古いのか?
「本を読まない者は知的でない」という認識は、現代社会においては見直しが必要だ。稲田氏のグループインタビューでは、読書量が少なくても非常にスマートな若者が多く存在することが明らかになった。彼らは動画視聴やAIとの対話を通して、従来の読書によって培われてきた知性とは異なる、新たな種類の知性を獲得している。
思考力や語彙力、情報処理能力は、必ずしも読書量に比例するわけではないのだ。情報源が多様化した現代において、本はあくまで「知を得るための一手段」に過ぎず、その質や多様性を無視して一律に読書量を重視する考えは、現実と乖離していると言えるだろう。
Q. 現代において、長い文章を読めることは「特殊能力」と言えるか?
現代では、長い文章を最後まで読み解く能力は、もはや誰もが持つべき普遍的なスキルではなく、一部の限られた人だけが持つ「特殊能力」であるという指摘がある。かつて人々が本を熱心に読んでいたのは、他の情報源が少なかったために我慢して読んでいた側面に過ぎない。今は動画や要約AIなど、より手軽で効率的な情報収集手段が多数存在するのだ。

受験勉強でさえ、長文読解においては「いかに読まずに解答にたどり着くか」というテクニックが塾で徹底的に指導されている。具体的には、重要な箇所だけを拾い読みし、不必要な説明部分は読み飛ばす方法である。このことは、教育現場においても読解力そのものよりも、効率的な情報処理能力が重視されている現実を物語っている。
Q. 読書が「貴族の嗜み」とまで言われる理由は何にあるのか?
現代で本に没頭するためには、「経済的余裕」「時間的余裕」「精神的余裕」という3つの条件が不可欠である。まず、書籍自体が高価であり、特に複数の本を購入するにはそれなりの経済力が必要だ。次に、多忙な現代社会において、他のマルチタスクをせず、本を読むだけに集中できる時間を確保することは贅沢である。そして、その時間的余裕を享受し、思考を集中させる精神的なゆとりも欠かせない。
これら3つの余裕は、現代において多くの人が持ち合わせないものである。そのため、書店をゆっくり徘徊し、数冊の書籍を購入するといった行為は、忙しく経済的に厳しい立場にある人々から見れば、まさに優雅な「貴族の遊び」のように映るだろう。読書は、かつてのラテン語のように、実用性よりも教養やステータスを示す特権的な行為へと変化しつつあるのだ。
Q. AI時代に「文章」にしか生み出せない価値はどこにあるのか?
AIが既存の情報を巧みに要約し、再構築できるようになった現代において、文章にしかできない「本質的な価値」はどこにあるのか。それは「一次情報の取得」、すなわちAIには原理的に不可能な「取材」にある。

AIはあくまで既存のデータに基づいて処理を行うため、生身の人間に直接会い、独自の視点で話を聞き、その場限りの一次情報を掘り起こすことはできない。ノンフィクションやルポルタージュのように、自身の足で現場に行き、人々の生の声を聞いて構成される文章には、AIが決して踏み込めない深みと真実がある。
これからの書き手は、AIに代替されやすい既存情報の加工ではなく、AIには代替できない一次情報の探求にこそ価値を見出し、それを丹念に紡ぎ出すことで、文章の未来を切り拓いていく必要があるだろう。単なる情報伝達に終わらない、人間独自の探究心がAI時代の文章を支える。