PIVOT NEWS
最新解説:地政学と製薬
(765)
9,501回視聴
2025年9月30日

あらたに始まる医薬品へのトランプ関税の影響、背景にある米国への投資誘致の思惑、薬価への圧力などについて解説。また、原薬の脱中国依存、そして日本の創薬エコシステムが抱える課題など製薬関連の最新トピックを専門家が分析。 <ゲスト> 花村遼|アーサー・ディ・リトル・ジャパン パートナー 東京大学工学部化...
激動の製薬業界:トランプ関税と揺らぐエコシステムの未来
世界の製薬業界は、近年大きな転換期を迎えている。米国で発動されたトランプ関税は医薬品市場に波紋を広げ、地政学的リスクの高まりはサプライチェーンの再編を迫る。また、国家の政策やリーダーの政治的発言一つが業界全体を揺るがすなど、不確実性の時代が到来していると言えよう。
このような状況下で、製薬企業はどのような戦略を描き、各国は自国の創薬力をどう維持・向上させていくのか。本稿では、現状と未来への課題をQ&A形式で解説する。

Q. 新たなトランプ関税が医薬品業界に与える影響とは何か?
2024年10月1日より、一部の輸入医薬品に対し米国が100%の関税を課すというトランプ大統領の新たな発表があった。この関税は主に革新的な新薬が対象であり、欧州と日本はすでに15%を上限とする合意が成立しているため、これらの地域の企業への直接的な影響は軽微である。

実際、この発表直後の製薬企業の株価は、日本で一部下落が見られたものの、欧米のメガファーマでは顕著な下落はなく、市場もその影響を限定的と捉えている様子である。そのため、この関税による即座の事業への大きな打撃は想定しにくい。
Q. 米国が関税措置や薬価政策で製薬業界に求める真の狙いはどこにあるのか?
今回の関税措置の背後には、米国の二つの明確な狙いがある。第一は、製薬企業の生産拠点を海外から自国内に呼び戻し、米国内の製造投資を促進することだ。現在は多くの医薬品生産が欧州やアジアで行われており、この関税を通じて米国は製造業の国内回帰を図っている。
第二の狙いは、米国の医薬品価格是正を目的とした他国への薬価引き上げ圧力である。米国は世界の医薬品市場において売上の4割、利益の6割以上を占める巨大市場であり、民間保険が中心のため薬価が非常に高い傾向にある。米国政府は、この高薬価が日本や欧州の安い薬価を支えている構造であるとし、これらの国々に対し薬価引き上げを強く要求しているのである。ただし、米国が他国の最安値参照による薬価決定を目指しても、その実行性は低いと見られている。
Q. 政治的・規制的な不確実性が増す中、製薬業界の投資戦略はどのように変化しているか?
トランプ関税や薬価を巡る政策のように、政治や規制の動きによって製薬業界の事業環境は予測が難しい不確実性に覆われている。この結果、製薬企業はリスクの高い革新的な研究開発を避け、より成功確率の高い「守りの投資」へと傾斜する傾向にある。

具体的には、技術的な難易度が高く、商業化までの不確実性が大きいシーズへの投資優先度が下がり、臨床試験の成功が見込まれる確実な製品開発に資金が集中する。このような短期的な視点での投資は、中長期的に見て業界全体のイノベーションを停滞させ、新たな治療薬の発見機会を損ない、「縮小均衡」に陥る懸念がある。
Q. 米国市場における日本企業の動きはどのような状況か?
多くの日本の大手製薬メーカーは、米国の売上高が大きいため、米国市場を重視したビジネスシフトを進めている。また、富士フイルムをはじめとする日本の大手化学メーカーは、米国のバイオ医薬品受託製造企業(CDMO)をM&Aし、積極的な設備投資で米国内の製造事業を拡大している。これは、トランプ政権の国内投資促進策とも方向性が一致していると言えよう。
日本企業がリスクを承知で米国での受託製造に注力する背景には、日本がバイオ医薬品分野で世界に遅れを取っていたという経緯がある。米国は巨大なバイオ医薬品市場であるため、そこで事業展開することがビジネス上合理的だと判断しているのである。
Q. 地政学リスクの増大は医薬品のサプライチェーン再編にどう影響しているか?
米中デカップリングの流れを受け、特にジェネリック医薬品の原薬における「脱・中国依存」の動きが加速している。かつては安価な中国産原薬が主流だったが、現在は中国以外の国々、例えば韓国、台湾、日本、欧州などに原薬生産のシフトを促し、国策として産業育成が図られている。
しかし、医薬品の生産には、半導体でレアアースが重要であるように、一部の重要な原料が中国の高いシェアを握っている。そのため、製造を他地域へ移管しても、原材料供給の面では完全に中国依存を断ち切れない構造的課題が存在する。サプライチェーンの完全な再編には、時間と多大な投資が必要となろう。
Q. 特定の医薬品に対する政治家の科学的根拠に乏しい発言は、業界にどのような影響を与えているか?
トランプ大統領が妊娠中の鎮痛剤「タイレノール」の服用と、生まれてくる子供の自閉症リスクとの関連を示唆した発言は、極めて異例かつ例外的な動きである。科学的根拠が乏しいまま、国の要人が特定の医薬品について否定的な見解を公に示すことは、企業のレピュテーションに深刻な打撃を与えるリスクをはらむ。

疫学的な研究では、特定の物質と疾病との相関関係を証明すること自体が難しく、因果関係の特定はさらに困難だ。報道された論文データもばらつきがあり、明確な結論は出ていない状況にある。タイレノール製造企業は事態を深刻に受け止めているが、業界全体としては、ワクチン問題と同様の標的に自社の主力製品がならないよう、マーケティングや情報発信に対し一層の注意を払っている状況である。
Q. 日米の製薬業界はそれぞれどのような課題に直面しているのか?
米国では、医薬品承認機関であるFDAが政治化し、新薬承認プロセスの不確実性が増している点が問題だ。さらに、NIH(国立衛生研究所)への基礎研究資金が削減され、長期的なイノベーションの源泉が枯渇する懸念がある。
一方、日本の製薬業界が抱える最大の問題は、世界の主流であるスタートアップ主導の「創薬エコシステム」が未熟である点である。世界の新薬の約8割はスタートアップが起源となるが、日本では大企業が研究開発を自社内で完結させようとする傾向が強く、大学発技術の商業化やバイオベンチャーの育成が遅れてきた。この結果、COVID-19ワクチン開発に出遅れるなど、国際的な創薬力の低下を招いている。現在、日本はこのエコシステム構築と原薬製造の国産化に向けて、国を挙げての投資と取り組みを強化しているところだ。