
金原ひとみ:芥川賞作家が見た性加害問題
『YABUNONAKA』作家・金原ひとみ「すべて想像できる正義的でない人がおじさん」
小説『YABUNONAKA』で性加害問題を描いた芥川賞作家の金原ひとみさん。「生きることと加害性は完全に切り離せない」という視点から、現代社会の性加害問題について語った。

Q. 『YABUNONAKA』を書こうと思ったきっかけは?
時代の変化の中で「何を言ったらいいのか」という葛藤がありました。過去に許容されていたことが今はアウトになるなど、価値観が急速に変わる中で、どのタイミングで発言すべきか見極めようとしていました。
出版業界の知人から聞いた性加害の話など、身近なところで体験談を耳にするうちに「もう書き時なのではないか」と決意するに至りました。
Q. 複数の視点から性加害を描いた理由は?
性加害について話すとき、世代間や立場による考え方の違いや壁を痛感します。前提が違いすぎて会話が成立しないケースが多く、例えば男性側からの視点と女性側からの視点では全く見え方が異なります。
この違いがどうして生じるのかを描くには、それぞれの生活背景や時代、過去も含めて書く必要があると考えました。50代から10代まで、様々な世代の視点を盛り込むことで「こちらから見るとこう見える、でも別の角度からは全く違って見える」という構図自体を表現したかったのです。

Q. 加害者として描かれる木戸という人物について
分かりやすい悪人ではなく、「ギリギリのライン」の人物を描きたいと思いました。誰もが「自分もこのくらいのことはしたかもしれない」と共感できるような、あるいは女性から見ても「付き合ってきた人にこのくらいの人は普通にいた」と感じられるような人物です。
それ自体が加害だったのかどうか、時代の流れで悪とされるようになっただけなのか、そういった議論も含めて考えさせる人物にしたかったのです。自分を振り返らせるような人物が重要でした。
Q. 小説家の長岡という女性キャラクターについて
リベラルな価値観と強い正義感を持つ人物ですが、自分と意見が合わない人を排除するような過激さも持っています。SNSでも正しさや正義を盾に強い言葉が飛び交う現代の状況を反映した、現代的なキャラクターだと思います。
「闇落ち」という言葉がありますが、「正義落ち」というのもあるのではないでしょうか。正義に偏りすぎたがために人の気持ちが想像できなくなり、結果的に自分も消耗してしまうようなストーリーになっています。これは自分への戒めでもあります。
Q. 編集部員の五松というキャラクターについて
彼は「加害性の象徴」として機能していますが、同時に非常に人間的な存在でもあります。厳しい女性上司に対して脳内でひどいことを考えるといった「加害性」を持っていますが、そのレベルの加害性は誰にでもあるのではないでしょうか。
生きることと加害性は完全に切り離せないという側面があります。五松は自分の性欲や怒りをエネルギーにして激しく生きている存在として描きました。
Q. 「おじさん化」について考えを聞かせてください
おじさんとは年齢や性別の問題ではなく属性の問題だと考えています。女性でも若い人でも「おじさん的」な人はいます。それは弱い人や自分とは全く違う環境に置かれている人の気持ちを想像できない人、あるいはそういうことについて考える必要に迫られたことのない人を指します。
自分の正しさだけを資本として生きていき、周囲に不快な思いをさせる。長岡も「おじさん的」で、自分の正義だけで人を叩きのめし、人の言葉が耳に入らず、想像力を働かせることができなくなっています。

かつては「デフォルトマン」と呼ばれる中流以上の男性は、他者の立場を想像する必要がなかったのかもしれません。男女の社会的待遇も違い、女性が働いていないケースも多く、人生が分けられていました。しかし今は男女区別すること自体が悪いとされる中、アップデートについていけない人は「おじさん的」な存在として「いるだけで罪」のような状態になってしまうのです。
Q. 価値観をアップデートするにはどうすればいい?
対話を持つことが大切です。現代は当事者の声が溢れていて、マイノリティの人が書いた本や貧困について詳しく語られた新書など、様々な情報があります。知ろうと思えば知れるはずなのに、「自分には分からない」と諦めてしまう気持ちが木戸のような人にはあるのではないでしょうか。
Q. 近年の性加害告発の流れをどう見ていますか?
みんなが考えるべき問題だと思います。誰かの告発を見聞きすると「そういえば自分もこんなことがあった」と思い出すことが増えています。この小説でも、一人ひとりの告発が「花火のように上がって、その光によって自分の古傷を見つける」と表現しました。
これは今、ある程度の年齢の女性たちに日常的に起きていることで、誰かの言葉を通じて初めて「あれは辛いことだった」と認識するという経験を繰り返しています。すべての「花火」が上がるまで、眠っている記憶は見つけ続けられるでしょう。この流れは止まらないでしょうし、過去を現代の視点から認識し、受容していく作業が多くの人に必要になると思います。
Q. 告発を受ける側(加害者側)はどうすれば?
男性側だけが加害者というわけではなく、女性にも「昔はこんなこと言っていた」という経験はあります。自分にも被害者面と加害者面の両方があるという前提に立って冷静に考えるべきです。
特に性加害の問題は、加害者であれ被害者であれ、「死が間近にある状態」だと思います。人の生死に関わる問題なので、SNSで発言する時もそれなりの重みを持つべきです。
現実世界では、どんなに悪い人でも崖から突き落とすことはできないのに、SNSでは言葉だけで突き落としてしまうことがあります。みんながリアリティを持って言葉を発信していくことが必要です。
Q. ビジネスパーソンにとって小説を読む意味とは?
ビジネスパーソンは合理性や効率性を重視し、「ランニングしながらビジネス書のオーディブルを聞いている」ようなイメージがありますが、小説は時間をかけて誰かと向き合うものです。「何分で分かる」「何分で泣ける」といった時間のファスト化とは真逆の媒体です。
しかし、物理的な時間をかけることでしか得られないものがあります。それは人と人との壁や分かり合えなさを突き破っていくものです。想像力を養うのに最適なので、おじさん化しないためにも小説を読む時間を持つといいでしょう。