PIVOT TALK BUSINESS
岡藤正広論(人物編):ザ・昭和のスーパーグローバル人材
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2025年6月10日

万年4位から財閥系と並ぶ地位に駆け上がった伊藤忠商事。その快進撃の立役者が、現CEOの岡藤正広氏だ。彼はどんな人物なのか?どんな経営者なのか?日本企業や日本人が学べることは何か?「私の履歴書」で岡藤氏の担当をした、日本経済新聞社の杉本貴司編集委員に聞いた。 <ゲスト> 杉本貴司|日本経済新聞編集委...
「挫折が道を開く」岡藤正弘に学ぶ、人生の逆転劇
日本経済新聞編集委員の杉本貴司氏が語る、伊藤忠商事元社長・岡藤正弘氏の成功の秘訣と人間像。谷底からの這い上がり方、反面教師としての父、そして「違い」を見出す力。劣等感をバネに万年4位から頂点へ登り詰めた男の物語。

Q. 「私の履歴書」連載の反響はどうでしたか?
今年1月に連載した岡藤氏の「私の履歴書」は記録的な読まれ方をしました。日経電子版で各種指標を取っていますが、なかなか他に例がないくらいの数字でした。その後、単行本化にあたって連載の約2倍の内容に書き足しました。これまで明かされていなかったエピソードも盛り込んでいます。
Q. なぜ「岡藤正弘の履歴書」の執筆を希望したのですか?
実は「私の履歴書」はあまりやりたくないんです。時間がかかるのと、自分の名前が出ないので自分のトラックレコードにならない。けれども、数少ない「やりたい」と思う相手の一人が岡藤さんでした。
岡藤さんとはよく話す機会があって、過去の話も聞いていました。太閤秀吉の物語のような面白さを感じたんです。太閤記の読みどころは、秀吉が天下に名を遂げる前の無名の雑兵取りの時代。猿と言われた雑兵取りがどういう屈辱の思いを前に進む力に変えていったのか。そこを岡藤さんの物語と重ね合わせて描きたいと思ったんです。
Q. 岡藤氏を形作った最も大きな経験は何だと思いますか?
一つに特定できませんが、やはり「追い詰められた経験」が大きいでしょう。岡藤さんは苦労の多い家庭で育ちました。お父さんは野菜の行商をしていましたが、失敗して、岡藤さんが高校生の時に亡くなっています。岡藤さん自身も18歳の時に結核で死にかけるという経験をし、その後も41歳で命の危険がある病気にかかっています。
もう一つ重要なのが、そういう挫折を乗り越える時に助け舟を出してくれた人たちの存在です。高校時代には優秀な友人に出会い、伊藤忠で底辺にいた時には外部の人が助けてくれました。そうした人との出会いをプラスに変えていける人間力があったのが大きかったと思います。
Q. 両親の影響はどのようなものでしたか?
特に父親の影響は大きいですね。お父さんは問題児だったようです。商売で成功したお金を使って飲んでしまい、それを取り戻しに岡藤さんとお母さんが一緒に行くという少年時代を過ごしました。岡藤さんがはっきり言っていたのは「反面教師」だということです。
良い暮らしになると堕落していったお父さんの姿を見て、「自分はそれを繰り返してはいけない」という強い意識を持ちました。実際、伊藤忠の経営者になってからも、数字が良くなった時こそ厳しいことを言うのは、父親の反面教師としての影響だと思います。
お母さんはずっと大企業に行ってほしいと願っていました。お父さんが失敗して借金に追われる姿を見て、「大企業なら借金に追われることはない」と考えたのでしょう。岡藤さんは社長になっても東京に来た時もお母さんと一緒に住んでいました。お母さんを喜ばせたいという思いがずっとある人だったんです。
Q. 友人や師匠の存在も大きかったようですね?
中学・高校時代に目標にする人に出会えたことは大きかったです。今でも尊敬していると言っていますよ。岡藤さんが重要だと感じていたのは「努力すれば彼らのようにはなれないかもしれないけれど、近づくことはできる」という考え方です。

また、伊藤忠で初めて営業に出た時の上司も重要な人物です。「お前はお客さんの前で一言も喋るな、後ろについてメモだけ取っておけ」と1年間言われたそうです。この人が岡藤さんの商人としての師匠になりました。誰でもそういう人から本当に学び取ろうと思うわけではありません。そこで愚直に学べるというのは、やはり人から学んだ経験があるからこそでしょう。
Q. 岡藤氏の商人としての力はどう鍛えられましたか?
失敗や挫折の経験からでしょう。岡藤さんはザ・昭和の商人です。義理人情を絶対に外さない、諦めない、何度でもお客さんの前に行く、断られても行く。基本を絶対に外さないんです。

もう一つ、彼はグローバル人材としても優れています。英語は得意ではないと思いますが、全く臆することなく大物の胸に飛び込んでいきます。ずっと大阪一筋で海外赴任経験も留学経験もないのに、堂々と交渉をまとめてくる。これはグローバル人材の本質ではないでしょうか。
Q. 伊藤忠が万年4位から頂点に立てた理由は何でしょう?
岡藤さんが社長になってから、売上は約1.5倍、純利益は約7倍、時価総額は約10倍に成長しました。彼が社長になることで、すべての部門が稼げるようになる仕組みを作ったのです。
どうやって仕組みを作ったかというと、2つあります。1つは社内の雰囲気を変えたこと。もう1つは組織のマネジメント方法で、これが決定的でした。近い目標を作る――これが孫正義さんや柳井正さんのようなカリスマ経営者との大きな違いです。「ギリギリ勝てる」ところを設定して勝ち癖をつけていくのです。
カリスマ経営者は誰も手が届かないようなビジョンを打ち出して、「そこに行こう」と引っ張ります。でも岡藤さんのアプローチは違います。「いきなりそんなことを言われても、誰だって信用しないだろう」と考えるのです。「またこんなことを言っているけど、無理だよね」という反応にならないよう、現実的なところから始めてステップを踏んでいく。受験勉強のように積み上げていくわけです。
Q. 岡藤氏の「違いを見出す力」とは何ですか?
岡藤さんは29歳まで伊藤忠で目立たない存在でした。やっと営業の最前線に出たとき、「普通に戦っていたら周りに勝てない、生き残れない」と考えました。「どうすれば良いのか?違いを探そう」と考え続けたのです。

そうして生まれたのが「ブランドビジネス」。海外のブランドをうまく利用するビジネスを確立しました。それまで誰もやっていなかったことを見出したのです。
この発想の源には、三井物産との比較がありました。三井物産はどこにでも商売に行けるのに、伊藤忠は限られた場所でしか商売できない。「なぜだ?」と考えると、「三井物産は一流だけど、伊藤忠は一流半だからだよ」と言われたのです。そこで「何くそ」と思い、彼らが作っている「違い」を超える「違い」を作ろうと考え続けました。これが大きなキャリアの分岐点になったのだと思います。
Q. 「悩みは明るい場所で」という岡藤氏の言葉には、どんな意味がありますか?
岡藤さんは後輩たちに「悩み事は明るい場所でしろ」とアドバイスします。「夜にするな」と。これは自分の経験からくるものです。暗いところで考えれば考えるほど、マイナスに行ってしまう。だから悩み事は太陽の下でするべきだと言うのです。
これは受験生の時にオール夜型で失敗した経験から学んだことで、後に会社の制度にも取り入れました。反対があっても「一回やってみろ」と押し通しました。朝型の仕事スタイルを取り入れることで、明るい場所での意思決定を促進したのです。