日本再興ラストチャンス
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2025年3月1日

教育無償化、教員の不幸せ、AIの普及、受験システム崩壊など難問が山積する教育。日本の教育が抱える課題とは何か?それを乗り越えるために、どんな政策が必要なのか?教育経済学を専門する中室牧子・慶應義塾大学教授が、横浜創英中学・高等学校元校長の工藤勇一氏と、日本マクドナルドHDの日色保社長と語る。 <ゲ...
「学歴社会はもう終わった」という言葉を聞くようになって久しいが、果たして本当にそう言い切れるだろうか。多くの親は子どものより良い将来を願い、私立中学や有名大学への進学に注力する。一方で、企業の採用現場では、学歴が個人の能力や仕事の成果とほとんど関係がないという実態も浮上している。変化の激しい現代において、子どもたちに本当に身につけさせるべき「新しい学力」とは何か。そして、その育成のために日本の教育はどう変わるべきなのか。学歴の価値、非認知能力の重要性、そして教育現場が抱える課題まで、専門家の議論から未来の教育像を探る。
結論から言えば、学歴が業務成果に直接結びつくことはないという明確なデータがある。ある企業が1500人の社員の業務業績と出身学校の偏差値との相関を調査した結果、両者の間に全く相関関係が認められなかったという事実が明らかになった。これは、いわゆる「良い学校」を出ることが必ずしも社会での成功に直結しない現実を物語っている。
それでも多くの企業が新卒採用で学歴フィルターを設けるのは、個々の能力を詳細に評価する手間と時間を削減するための「便宜的な指標」に過ぎない場合が多い。採用数が多ければ多いほど、画一的な判断基準が求められるため、学歴は手っ取り早いフィルターとして機能してしまうのだ。しかし、本来は一人ひとりの持つ多様な能力をアセスメントできれば、学歴は必要ないはずだ。社会はすでに、表面的な知識量よりも、より本質的な能力を求めている。
これまでの「学力」がテストで測られる知識量だとすれば、これからの「新しい学力」は本質的に「考える力」を指す。変化が激しい現代において、今日有効な知識が明日も通用するとは限らない。そのため、単に知識を詰め込む教育では限界がある。重要なのは、変化する前提条件に柔軟に対応し、自ら問いを立て、深く考える能力である。
この「考える力」は、既存の知識を基盤としつつも、それを応用し、問題解決へと導くためのスキル全体を内包する。かつて学力テストの点数を高めるための「テストテイキングのテクニック」に特化した教育が横行したように、目的である「考える力」の育成よりも、手段である「学力テスト」対策に傾倒しすぎてしまった過去がある。真に教育が目指すべきは、根源的な思考力を養い、いかなる状況にも対応できる力を育むことにある。
企業が新卒採用で16年連続トップに挙げる能力は「コミュニケーション能力」である。コミュニケーション能力に加え、誠実さ、勤勉さ、責任感、最後まで仕事をやり遂げる力といった「非認知能力」こそが、社会で活躍するための重要な鍵を握る。私たちが人生のパートナーに望む資質も「テストの点数が高い人」ではなく、思いやりや誠実さであることからも、大人たちは無意識のうちにこれらの能力の重要性を認識しているものだ。
では、非認知能力はどのように育まれるのか。多様な背景を持つ人々と協働する経験が重要である。例えば、マクドナルドのアルバイトでは、高校生から主婦、シニア層、外国籍の人々まで、あらゆる年齢層やバックグラウンドの人々と一緒に働く。顧客も多様であり、そのような環境で他者と接することで、相手の能力や立場を理解し、円滑な人間関係を築く「本質的なコミュニケーション能力」が自然と身につく。
一方で、均質な環境(モノカルチャー)でのコミュニケーションだけでは、深く共感し、理解し合う能力は育ちにくいとされる。学習だけでなく、多様な経験を積むことが、これからの社会で不可欠な「人的資本への投資」と言えるのだ。高校生からアルバイトを経験することも、貴重な学びの機会になるだろう。
部活動は、スポーツ経験者の将来賃金が高いといった研究結果もあるように、コミュニケーション能力、忍耐力、リーダーシップなど、社会で求められる多くの能力を育む重要な機会であり、「人的資本への投資」としても極めて価値が高い。しかし、教員が顧問として無給または過小な手当で長時間指導を担う現行の部活動制度は、すでに限界に達している。
教員の働き方改革の一環として部活動の地域移行が叫ばれているが、特に地方では指導者の確保が大きな課題である。わずかな時間のために専門家を雇うビジネスモデルは成り立ちにくく、ボランティアに依存する仕組みでは持続性が保てない。これでは都市部と地方で「体験格差」が広がる懸念もある。
解決策としては、学校の施設を有効活用し、地域全体で子供を育てる発想への転換が考えられる。例えば、学校のプールや体育館などを外部の専門業者やNPOに委託し、部活動から市民の生涯教育まで幅広く利用できるようにする「二毛作、三毛作」的なアプローチが有効だろう。教育無償化よりも、経済的に困難な家庭への課外活動支援や、部活動専門指導者の雇用に予算を投じる方が、より質の高い教育につながるとも考えられる。
教員不足の問題は、単に教員の数を増やせば解決するものではない。日本の教員は、教育指導に加え、しつけ、保護者対応、部活動指導、事務作業など、非常に多岐にわたる業務を担っており、「何でも屋」状態に陥っている。専門的な教育を受けていなくてもできる業務を教員が抱えていることが、教員の疲弊と離職の一因である。
解決策の一つは、教員の役割を明確化し、業務の切り分けと役割分担を徹底することだ。担任制を見直し、学年全体で生徒を見る「チーム担任制」を導入すれば、特定の教員への負担や責任が分散され、教員のメンタルヘルスにも良い影響を与えるだろう。欧米の大学が専門性の高い教員と多数の事務職員で運営されているように、学校も教員は「教えるプロ」に徹し、その他業務は専門の職員や外部人材に任せるべきである。
もう一つは、日本の閉鎖的な学校を地域社会に対して開くことだ。教員免許の有無にこだわりすぎ、質の高い知識やスキルを持つ外部の専門家が教育現場に参画しにくい現状は改善されるべきである。例えば、ITに詳しい企業のエンジニアがオンラインで授業を行うなど、柔軟な形で外部リソースを活用できる仕組みが必要だ。文部科学省と厚生労働省といった省庁間の縦割りを排し、地域全体で子どもの成長を支えるオープンな教育システムを構築することが、未来の教育を担う鍵となる。
教育は「100年の計」と称されるように、その成果がすぐに現れるものではなく、国の未来を左右する長期的な投資である。そのため、目先の選挙での勝利や短期的な効果だけを追い求めるような政策決定は、極めて危険な結果をもたらしかねない。
教育改革を進める上では、現場の教員、企業、経済学者など、多様なステークホルダーの視点を取り入れ、それぞれの意見を深く掘り下げた上で、総合的かつ長期的な視点に立って議論を進める必要がある。拙速な結論に飛びつくのではなく、この国の教育が本来あるべき姿を真剣に見据え、時間をかけて議論を尽くすことこそが、真に効果的な教育改革への道であると専門家は提言する。