
経営学は実際の経営の役に立つのか?
経営学者が上場企業CEOになって挑む「理と情」の統合と日本再生の道
学術界にとどまらず、自ら上場企業の経営トップとして辣腕を振るう異色の経営学者、慶應義塾大学准教授の岩尾俊兵氏。

自衛隊少年工科学校から東大大学院を経て研究者となり、二社の上場企業経営を担う前代未聞のキャリアは、現代における理論と実践の架橋そのものである。
複雑さを増す資本主義の中で、経営学の理論はどのように実務に役立ち、いかにして人間関係の情動と調和させるべきなのだろうか。
長きにわたるデフレがもたらした冷笑主義を排し、関わるすべての人を幸福へと導く「経営思考」の神髄について、実践知に基づき深く掘り下げていく。
Q. 現役の経営学者が自ら上場企業の経営トップを務めることにはどのような意義があるのか?
経営学者が上場企業の代表取締役社長を務める事例は、歴史上世界的に見ても極めて異例である。
大学の正規教員が上場企業のトップに就く兼業は制度上の制約が厳しく、通常の学界では論文執筆などの研究業績の維持が困難になるため実現しにくい。
今回の取り組みは、理論を現実社会で直接検証する大規模な社会実証実験として、文科省の科学研究費の採択や大学教授会の承認を経て開始された。
ただし、公的資金を用いて私企業を支援しているという誤解や批判を避けるため、科研費の資金自体は辞退して実践に挑んでいる。
経営実務に向き合う際は、事業再生や訴訟対応などの過酷な現場に経営者として百パーセント全力投球している。
同時に、自身の内側にもう一人の冷徹な学者としての視点を常に持ち、現場の生きた事象を観察して学術論文や大学教育へと還元させている。
二つの異なる百パーセントの意識を走らせる複眼的なアプローチこそが、理論と実践を往復する唯一無二の価値を生み出す源泉である。
Q. 難解な経営学の理論は実際の企業経営において真に役立つ武器になるのか?
経営学は、登山における「地形図」と同じ役割を果たしている。

山頂に到達するためには実際に自らの足を動かす実践が何よりも大切であるが、がむしゃらに歩くだけではエベレストのような高い峰には登れない。
正確な理論や知識という地形図を持たない登山者は途中で遭難し、他人に登頂のルートを再現して伝えることも不可能になる。
高い目標を達成するためには、理論に基づいた正しい道筋を把握することが不可欠である。
一方で、現実の社会は理論通りの「理」だけではなく、人間の感情や力学といった「情」が複雑に絡み合って動いている。
正しい理屈を並べるだけでは人は動かず、情動に配慮しながらもうまくいくまで誰よりも早く次の手を打ち続ける強靭な意志が試される。
また、経営学を学んでいないと主張する経営者であっても、人事労務の仕組みや会計制度、日常のシステムを通じて、社会に埋め込まれた経営理論を無意識に利用している。
その知見を自覚的に思想へと昇華させることが、真の経営力を引き出す鍵となる。
Q. 『論語』を行動指針に据える伝統的な手法を科学的に組織運営へ生かすにはどうすればよいか?
渋沢栄一が説いた『論語と算盤』の通り、倫理観という魂と、計算や技術という理屈の両輪が揃って初めて組織は健全に成長する。
実際に上場企業の行動指針として「巧言令色鮮し仁」などを取り入れ、すべての行動においてごまかしや卑怯を排す公明正大さを定義した。
一見すると前時代的な昭和型経営の指針に見えるが、その定着プロセスには最新の人類学や生物学の知見を組み込んでいる。
霊長類の毛づくろいが脳内でセロトニンやドーパミンを分泌させて仲間意識を強めるように、人間も言葉や習慣によって結束を強化できる。
昼のミーティング前に二人一組で挨拶の練習を行い、相手の仕事ぶりを互いに褒め合う習慣を設けることで、社員同士の信頼関係を意図的に醸成している。
仲間意識を高めた上で戦略の手順を共有し、最後に行動指針を唱和して業務に向かう構造を作ることで、組織の一体感とエンゲージメントを飛躍的に高めることが可能となる。
Q. 冷笑主義が蔓延する不条理な社会において「豆腐」のように生きるとはどういう境地なのか?
現代社会は過剰な法規制に囲まれており、意識せずとも誰もが形式的な過失に触れかねない息苦しさを抱えている。
さらに、古典や宗教といった精神的支柱が失われた結果、中途半端な個人主義と相手を斜に構えて見下す「令和冷笑体」が蔓延してしまった。
年収や社会的ステータスを比較するだけのマウント合戦から抜け出すためには、人間としての確固たる生き方の軸を打ち立てる必要がある。
その理想的な生き方の象徴こそが「豆腐」のあり方である。

良質な豆腐は角がピシッと美しく揃っており、硬すぎず柔らかすぎず、箸でしっかりとつまむことができる弾力を持つ。
そしてどこを切り開いても中まで一点の曇りもない純白を保っている。
不条理な世の中で単に罪を避けて萎縮するのではなく、公明正大な善人として生き抜く覚悟を持ち、信頼できる仲間を増やして連帯することが最大のリスクヘッジとなる。
Q. デフレの終焉とインフレへの転換期において日本企業に最も求められる「経営する力」とは何か?
経営の本来の語源は、古代の典籍に由来する「みんなで幸せになる」という意志と実践にある。
しかし過去四十年間の極端なデフレ経済により、貨幣の価値ばかりが異常に高まり、人間よりもお金を至上命題とする拝金主義が定着してしまった。
自分一人の所得を守るために他者との関わりを断ち、結婚や子育てを避ける利己的な個人主義が広がった根源には、この貨幣価値の歪みがある。
インフレへの移行は、お金の力に頼り切っていた経営を根本から問い直す絶好の機会である。

これからの時代に問われるのは、単なる資金調達や財務技術の上手さではない。
「この人のためなら一肌脱ぎたい」と周囲に思わせる魅力的な人間力を磨き、人々を結集して集団全体を豊かにする力こそが真の競争力となる。
自己利益の追求から脱却し、全員が幸福を実感できる価値創造へと舵を切らなければならない。
Q. 日常の身近な対立や葛藤から勝ち負けを超えた「価値創造」を導き出すにはどう向き合うべきか?
家庭や職場における意見の食い違いは、すべて自らの経営思考を磨く格好の修行の場である。
どちらが正しくてどちらが間違っているかという二者択一の対立に陥るのではなく、双方を含む全員が満足できる第三の解決策を模索し続ける姿勢が欠かせない。
提案が受け入れられなかったときは相手を責めるのではなく、自らの伝え方や配慮に改善点を探し、次の一手を素早く講じていく粘り強さが求められる。
困難な出来事に直面した際は「七転び八起きの四角形」の思考を用い、あらゆる事象の中に存在するプラスの側面を即座に見出すことが肝要である。
人間万事塞翁が馬の言葉通り、一時的な不運も捉え直しと継続的な行動によって後から振り返れば貴重な糧へと変化する。
日常の小さな人間関係において全員が報われる選択肢を創り出す訓練を重ねることこそが、国家や大企業を動かす本物の経営力を養う最短の道である。