
インターネット30年史とAI時代の戦略/7つの激変に学べ/いかがわしい奴が勝つ
「いかがわしい者たち」が創り上げたインターネット30年史とプラットフォームの勝敗
インターネットが日本に本格的に普及し始めてから約30年が経過した。
かつて社会の片隅で「いかがわしい」と見なされていた新興勢力は、いかにして国家の屋台骨を揺るがす巨大産業へと進化を遂げたのか。
黎明期の学生起業家からITバブルの狂乱、六本木ヒルズの栄枯盛衰、そしてスマホやSNSの台頭に至るまで、激動の歴史には無数の教訓が刻まれている。
元LINEヤフー会長の川邊健太郎氏とAIエンジニアの安野貴博氏の対談を通じて、ネットビジネスの本質と日米プラットフォーム格差の深層を解き明かす。


Q. 1995年に始まったインターネット黎明期の起業家たちはどのような熱気の中で事業を立ち上げたのか?
1995年は日本社会の前提が音を立てて崩れ去った変容の年であった。
1月の阪神・淡路大震災によって安全神話が崩壊し、3月の地下鉄サリン事件によって既存のエリート像が瓦解した。
未曾有の社会不安と就職氷河期が重なる中、同年11月に発売されたWindows 95が人間とインターネットの距離を一気に縮めた。
大企業への就職という既存の成功ルートに希望を見出せなくなった若者たちが、手探りで未知のソフトウェア空間へと飛び込んでいった。
当時の起業は、高尚なビジョンや巨額の資金調達を伴うものではなかった。
一般家庭や企業に対する泥臭いパソコンの設置代行や、初歩的なホームページ制作請負といった目の前の実需を刈り取ることが出発点であった。
深夜の常時接続サービスであるテレホーダイの時間帯に掲示板やメールで繋がった若者たちは、やがて渋谷の地に集結しビットバレーを形成した。
地球の裏側へ自ら情報を発信できる新しいメディアの登場に胸を躍らせ、サービスを作る楽しさそのものが最大の原動力となっていた。
Q. 初期ネット産業を牽引した起業家たちの正体と当時の特異な資金調達環境はどうなっていたのか?
黎明期のネット産業に集まったプレイヤーは、大きく3つの類型に分かれていた。
1つ目はコンピューター好きが高じて学生起業に至ったギーク層であり、就職難を背景に自らの居場所を技術の中に見出していた。
2つ目は音声情報ダイヤル「Q2」などで情報ビジネスを展開していた層であり、メディアが音声からWeb画面へ移行することをいち早く予見して参入した。
3つ目は既成の企業社会に見切りをつけ、新市場に勝負をかけた脱サラ組のビジネスパーソンであった。
これらの人々を突き動かしていた根底の思想は「Power to the People(人々に力を)」であった。
巨大な資本や許認可を持たない名もなき個人が、自らの腕一つで世界に向けて力を発揮できる環境がWebによって突如もたらされた。
当時はベンチャーキャピタルによる出資環境が未成熟であり、資金調達は銀行融資という名の「借金」が主流であった。
不況対策として設けられた信用保証協会の公的保証枠を活用し、学生でありながら数千万円の融資を引き出して事業を回すという、現在では考えられない特異な環境が存在した。
Q. なぜ検索連動広告の登場がインターネット産業の収益構造を激変させたのか?

インターネットビジネスは本質的に「サービスモデル」と「ビジネスモデル」の二段階に分かれている。
まず国境なく誰でも利用できる魅力的なサービスを作ってユーザー基盤とデータを集め、その後に初めて収益化を図る構造である。
しかし黎明期から2000年代初頭にかけては、バナー広告を貼り付ける程度では大した利益が出ず、ネット単体で爆発的に儲かる仕組みは確立されていなかった。
この状況を一変させた転換点こそが、検索連動型広告(リスティング広告)の発明であった。
ユーザーが能動的に打ち込んだ検索キーワードに対し、業界ごとの広告価値に応じた入札単価でオークション形式の広告枠を提供する仕組みである。
コンプレックス関連をはじめとする高単価キーワードに巨額の広告費が投じられる一方、配信インフラの維持コストは極めて低廉であった。
これによって驚異的な高利益率が実現し、インターネットが「便利な道具」から「莫大なキャッシュを生み出す産業」へと決定的な変貌を遂げた。
Q. 個人の些細な日常を発信するSNSがなぜマスメディアや政治をも揺るがす巨大インフラへ変貌したのか?
SNSが登場した当初、既存のポータルサイトやメディア関係者の多くはその将来性を見誤っていた。
一般個人が昼食の内容を投稿するような些細な日常の記録など、誰も閲覧せず広告価値もつかないと冷笑されていた。
マスメディア的な高品質コンテンツを前提とする価値観からは、素人による投稿(UGC)の爆発力は完全に想像の圏外にあった。
しかし、人間が安定した社会関係を維持できる上限とされる「ダンバー数(約150人)」の観点から見れば必然の結果であった。
人間にとって、身近な150人の知人が何を考え何を食べたかという情報は、見知らぬ芸能人のニュース以上に強い関心を引き寄せる。
さらにスマートフォンの普及がこの心理的引力を極大化させた。
PCの前に座る1日数時間の限定的な利用から、起床から就寝まで手元で常時接続するライフスタイルへシフトしたことで、SNSは人々の接触時間を完全に占有した。
その結果、SNSはマスメディアを呑み込み、国家の選挙や世論形成すら左右する現代の最重要インフラへと変貌を遂げた。
Q. クラウドや動画配信において日本企業がシリコンバレーの巨大プラットフォームに敗北した根本的な原因は何だったのか?
日米のプラットフォーム競争における勝敗を分けた決定的な要因は、個々の技術力の差ではなく「事業の発想」と「法制度への向き合い方」の違いであった。
例えばクラウドサービス(AWS)が日本から生まれなかった理由は、Eコマースの構造的差異に根ざしている。
日本の楽天やYahoo!ショッピングは出店者に在庫や物流を委ねるモール形式であり、共通データベースの提供で事足りていた。
対して米Amazonは商品を自社で直接仕入れて販売する直販モデルを徹底したため、物流から外部連携に至る膨大なオペレーションを全て自社システムに統合する必要があった。
その過程で生まれたAPI連携基盤を外販するという発想の転換から、世界を席巻するクラウドコンピューティングが誕生した。
また、動画配信領域におけるYouTubeと日本勢の命運を分けたのは、「事前規制」と「事後規制」という社会構造の格差であった。
YouTubeは著作権侵害のリスクを背負いながらプラットフォームを立ち上げ、訴訟を通じてルールを再構築する事後規制のアプローチをとった。
一方で日本の先行企業は、四半期ごとの利益責任を負う上場企業の立場に加え、既存メディアへの配慮からプロの許諾獲得を前提とする事前規制の発想に縛られた。
結果として、違法動画の混乱を乗り越えて独自のクリエイターエコノミーを築き上げたYouTubeが世界市場を独占することになった。
Q. 社会から「いかがわしい」と冷視されていたインターネット新興勢力はどのようにして社会的信用を獲得していったのか?

新産業の勃興には、世間から胡散臭がられる2種類の「いかがわしい者たち」の共生が不可欠であった。
1つ目は世の中に理解されない未知の技術に魅了され、常識外れのプロダクトを創り出すエンジニアや起業家である。
2つ目は一攫千金を狙って新興領域に莫大なリスクマネーを供給する投資家やベンチャーキャピタルである。
この両者が結びつくことで産業の土台が急拡大したが、既存秩序の側から見れば極めて異質で不穏な勢力に映っていた。
ITバブルの崩壊やライブドア事件を経て、ネット企業が社会に定着するためには決定的な信用獲得のプロセスが必要であった。
例えばYahoo! JAPANは、新興技術に対する不信感を払拭すべく、十数年にわたり地道なコンプライアンス遵守と真面目なサービス運営を積み重ねた。
その結実となったのが2011年の東日本大震災である。
大規模な災害情報提供やネット募金インフラとしての役割を完遂し、震災時に最も役に立ったメディアとしてテレビと並ぶ評価を獲得した。
かつて「いかがわしい」とされたネット産業は、社会の公器としての信頼を確立したことで、人々の生活に不可欠な公共インフラへと昇華した。
