
【前田大然の野望】プレミアリーグへの挑戦
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2026年7月11日
世界最高峰のリーグで戦うために何が必要か。前田大然が描くキャリアの逆算と森保ジャパンの現在地を探求する。ワールドカップでの経験から得た教訓とは何か?セルティックFCで活躍するサッカー日本代表の前田大然が語った。 <ゲスト> 木崎伸也|スポーツライター 1975年、東京都生まれ。2002年夏にオラン...
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「なぜ走り続けられるのか?」サッカー日本代表FW前田大然が明かす覚悟と哲学
ピッチを縦横無尽に駆け巡る姿が印象的なサッカー日本代表FW前田大然選手。その圧倒的な走行量と予測不可能なプレースタイルは、対戦相手だけでなく多くのファンを魅了し、“がむしゃら”という言葉を体現する。

今回、前田選手は自身の波乱万丈なサッカー人生を綴った著書『がむしゃら』を刊行した。彼の内面に宿る哲学や、常に走り続けるモチベーションはどこから来るのか。その深部に迫る独占インタビューを通して、誰もが知りたい前田大然の思考を明らかにする。
Q. 前田大然選手の半生を描いた著書『がむしゃら』から、特に印象的なエピソードや裏話を教えてください
著書『がむしゃら』では、自分のキャリアで節目となった時期や、その時々の感情を素直に書いた。特に、松本山雅時代にお世話になった反町監督(当時)とのエピソードは印象深い。背番号38を付けていた理由について、妻の名前「サヤ」からとったものだと明かした際、監督から冗談交じりに「お前の誕生日が3月8日だからだろう?」と言われたことは、今でも記憶に残っている。本の中でも否定したが、反町監督とのユーモラスで温かい関係性が垣間見えるエピソードだと考える。

当時の自分はミスも多く、パスが大きくずれたり、ボールを奪われることも頻繁にあった。それでも反町監督は、「それで良いんだ、うちはああいう原石が必要なんだ」と常に擁護し、才能を信じて使い続けてくれた。自身のプレースタイルや考え方、そして人間形成に多大な影響を与えた反町監督には感謝してもしきれない。また、高校時代に一時的にサッカー部を除籍となった経験も綴り、苦境を乗り越え今に至るまでの道のりを知ってもらいたかった。
Q. ワールドカップでの突出したプレス回数と無尽蔵のスタミナはどこから生まれているのでしょうか?ご自身の身体能力の秘密について、どのように考えていますか?
ワールドカップのスタッツを見ると、守備プレス回数で上位にランクインしており、チームに貢献できたことを誇りに思う。自分でもなぜこれほど走り続けられるのか、正確な理由は解明できていない。逆に自分が知りたいぐらいである。疲労がないわけではないが、他の選手と比べて「きつい」という感覚は少ない方だと感じる。
連戦が続く中でも、むしろコンディションが上がっていく独特な体質がある。これは、ランナーズハイのような感覚に近いのかもしれない。身体能力に関しては、過去の取材で、NBAの選手やフィンランド代表のヘッドコーチが「日本人はスピードや脚力、反復する力に優れている場合がある」と評価していたのを聞いた。海外で自分よりもフィジカル能力の高い選手が多くいる中でも、自身の走りきる力やプレス回数で上回れるのは、日本人特有の特性が影響している可能性もあると考えている。
Q. スピードを生かした積極的な仕掛けを増やすようになったきっかけや、影響を受けたアドバイスはありましたか?
プレースタイルに大きな影響を与えたのは、セルティックでの出会いと経験である。セルティックでは、より多くのチャンスを得られるようになったが、一方でゴール前での落ち着きや判断が最大の課題だと感じていた。特に、メンタリティが良好な時には上手くいくことが多いが、悪い時にはその冷静さを欠いてしまう部分を改善したかった。

そんな中で、ハリー・キューウェル氏がコーチとしてセルティックに来て、大きな転機となった。彼から「あれだけのスピードがあるのになぜもっと仕掛けないのか」「もっと自信を持ってプレーしろ」と何度も言われた。当時の自分はどこか無難にプレーしようとする傾向があったが、彼の言葉はまさに目から鱗だった。そこからプレースタイルへの自信が芽生え、より積極的にボールを持ち、仕掛ける意識が格段に高まった。この経験によって、自身の強みであるスピードを最大限に生かせるようになった。
Q. セルティックでのプレー経験は、ボールの持ち方や狭いエリアでの仕掛け方にどのような変化をもたらしましたか?また、ワールドカップのブラジル戦の守備戦術には、どのような準備と葛藤があったのでしょうか?
セルティックでは、自チームがボールを保持し、相手が引いて守る展開が多かった。そのため、これまで得意としていたスペースに走り込むプレーだけでなく、相手を引きつけてから一気にスピードを使って抜き去るという、狭いエリアでの仕掛け方を自然と学ぶ機会に恵まれた。どのタイミングで、どの足でボールを持つのが最も効果的か。経験を重ねるうちに、自然とその感覚が研ぎ澄まされていった。
ワールドカップのブラジル戦では、日本代表のスタメン組として3日という短い準備期間で特殊な守備戦術を落とし込んだ。5-2-3のフォーメーションで左サイドを務め、相手の右サイドバックと右センターバックをマークしつつ、自陣ウイングバックのサポートもするという、攻守において広範な役割が求められた。この戦術は、自分の持つ二度追い、三度追いという走力を最大限に生かすものであり、高い連動性を実現できた。
ブラジル戦で先制した際、チーム全体が失点を恐れて後ろ重心になり、より守備的な戦術へとシフトした。自分としては「もっと前からプレスに行きたい」という強い気持ちがあったものの、後ろとのバランスを崩してはいけないという葛藤があった。結果的にプレスをかけきれなかった状況は悔やまれる。もし自分が率先して行けていれば、状況は変わったかもしれない。次のステージでは、常にチームを前向きな方向に引っ張れる存在になりたいと考えている。
Q. 日本代表の後輩である塩貝選手やチームメイトからの評価をどのように受け止めていますか?また、森保監督との関係や、今後の日本サッカーの展望について聞かせてください。
最近、後輩の塩貝選手が「前田さんのように90分間走り続けられるのは本当にすごい。あんなに走れる選手がいるからこそチームは助かっている」と話してくれたと聞き、非常に嬉しい。普段から「自分もできる」と語る負けず嫌いの彼がそこまで言うのは、自分のプレースタイルが後輩にも良い影響を与えられている証だと感じる。日本代表では、鎌田大地や瀬古歩夢、浅野拓磨ら、関西出身の選手と特に仲が良く、彼らとはピッチ内外で多くのコミュニケーションを取っている。特に鎌田選手とは、パスを出す・受ける関係として深い信頼関係を築けていると感じる。

森保監督は、自身が日本代表で試合に出られない時期が長く続いた中でも、「ワールドカップでは大然が必要になる」とずっと信頼を寄せてくれた恩師だ。その言葉は常にモチベーションとなり、結果としてカタールW杯のピッチに立つことができた。結果的にベスト8の景色を共に見ることはできなかったが、彼への感謝と、もっと上の景色を一緒に見たかったという思いは今も変わらない。日本サッカーは一朝一夕で強くなるものではなく、常に目の前の一日一日を大切にし、少しずつ経験を積み重ねることで着実に発展していくものだと確信している。
Q. 現在のキャリアの目標としてプレミアリーグを挙げていますが、その強い思いと、海外サッカー観戦がご自身のプレーに与える影響について具体的に教えてください?
セルティックへ移籍して以来、日常的にプレミアリーグの試合を観るようになった。その中で、世界最高峰のリーグでプレーしたいという思いが日に日に強くなっている。セルティックとの契約も残り1年となるため、プレミアリーグ移籍は、今が最もタイミングが良いと考えている。これは自分のサッカー人生における、次の明確な目標である。
日本ではほとんどサッカーを観なかったが、海外に行ってからはリアルタイムで多くの試合を視聴するようになった。これが自身のプレーに良い影響を与えていると実感している。アトレティコ・マドリーの試合でグリーズマンが美しいループシュートを決めた翌日、練習で同じようにループシュートを放ち、得点を決めることができた経験がある。質の高いプレーを見ることで、自分の脳内にそのイメージがインプットされ、実際のプレーへとつながると痛感した。だからこそ、プレミアリーグのようなトップリーグでプレーし、より多くの刺激を受けることで、自身のプレーもさらに向上すると信じている。