
結婚しなければFIREは目指せる
【非婚化時代のFIRE論】非婚化でFIREは増加する
近年の株高は、多くの人々のライフプランに大きな変化の兆しをもたらしている。かつて一部の富裕層だけの選択肢と捉えられがちであった早期リタイア(FIRE)は、今や身近な目標となりつつあるようだ。だが、FIREの実現をめぐる道のりは決して平坦ではない。
個人の自由な生き方を追求するトレンドは、同時に社会全体の構造を揺るがす可能性も秘める。私たちは今、経済状況の激変、価値観の多様化、そして社会構造の転換期に立たされている。非婚化の加速、重みを増す教育費、そして「罰ゲーム」と化しつつある管理職の実態……これらがFIRE願望をいかに高め、社会全体にどのような影響を与えるのだろうか?
みずほ総合研究所 主席エコノミストの河田皓史氏が分析する「FIREと非婚化」が引き起こす未来について探る。

Q. なぜ今、FIRE願望が急速に広まっているのか?
FIRE願望が近年急速に拡大している背景には、大きく分けて二つの要因がある。一つは、コロナ禍以降の記録的な株高により、多くの個人が資産運用の恩恵を受け、資産を増やしたことだ。
金融資産に含み益を抱える人が増加したことで、「これならFIREできるかもしれない」という漠然とした期待感が現実味を帯びている。これは、資産運用がメジャーではなかった過去と決定的に異なる点である。さらに新NISAのような制度の普及は、資産形成をより身近なものにした。かつてアーリーリタイアは限られた高所得者層の選択肢であったが、今や幅広い層にとって手が届く目標になりつつある。
二つ目は、FIREを可能にする外部環境が整ってきたことだ。2010年代後半からFIREという言葉が普及し始め、特に2020年代初頭にこの概念を知った20代の若者が、10年以上の時間をかけて資産形成を行い、2030年代頃から実際にFIREを達成し始めるフェーズに突入すると予測される。これは、一過性のブームではなく、社会の長期的なトレンドとして定着する可能性が高い。現時点では「身近にFIRE達成者がいる」と感じる人は少ないかもしれないが、今後はその状況が大きく変化すると見込まれている。
Q. 結婚や子育てはFIREの実現にどのような影響を与えるのか?
FIREの実現可能性は、結婚や子育てというライフイベントの有無で大きく左右される。特に子どもを育てるコストは莫大であり、FIREの計画に大きな影を落とすだろう。大都市圏で子育てを行い、子どもを中学受験させて私立中学・高校、そして私立大学院まで進学させた場合、教育費だけで子ども一人あたり約3,000万円かかる可能性が指摘される。
もし二人の子どもを持つとなれば、教育費だけで約6,000万円。さらに、家族で住むための住宅費などを含めると、生涯で必要となるコストは1億円規模に膨れ上がる計算となる。この高額な費用を捻出しながら早期リタイアを実現するには、相当な高収入が不可欠となる。

そのため、FIREを強く志向する人々にとって、非婚化は経済的に合理的な選択となりうる。つまり、「FIREしたいから結婚しない」というよりも、「結婚しないことを前提にすると、FIREがより現実的な目標になる」という因果関係がメインとなるのだ。生涯未婚率が上昇する中で、独身でいれば子育てや家族向け住居にかかる莫大な費用を避けることができ、その分を自身の資産形成に充てることが可能となる。独身の高所得者が定年まで働けば、多くの場合でお金を使い切れない状態になる。子どもがいないことで相続する相手もいないとなると、「これ以上働く必要はない」と感じ、早期リタイアへと動機付けられる。
Q. なぜ30代にFIRE願望が最も強いのか?
河田氏の調査によると、FIRE願望が最も高いのは30代である。これは「働くことへのネガティブな感情」と「FIREへのポジティブな期待」という二つの側面から説明できる。

まず、ネガティブな側面として、20代の頃に比べ仕事の負担が激増することが挙げられる。30代で管理職に就くケースが増える中で、責任と業務量が大きく跳ね上がり、「この働き方は続けられない」と感じる人が少なくない。さらに、子育て世代であれば仕事と子育ての両立という課題にも直面し、負担感が一層高まる傾向がある。次にポジティブな側面では、30代になると金融資産がある程度蓄積され始め、それに伴い資産運用によるリターンも具体的に感じられるようになる。
「あれ、これならFIREできるんじゃね?」という希望が芽生え、資産形成が現実的な選択肢として浮上するのだ。20代では金融資産が少ないため運用効果を実感しにくいが、30代に入ると資産形成の道筋が見えてくる点が大きい。
Q. 「働き方改革」はFIRE願望を加速させているのか?
働き方改革は、FIRE願望の加速に間接的に寄与している。2010年代半ばから進められたこの改革により、非管理職や若手の労働時間は一定程度抑制された。しかし、業務量そのものが減ったわけではないため、その「しわ寄せ」は、残業規制のない管理職へと集中することになった。
かつては役職が上がると給与も大幅に増え、「魅力的な人参」が目の前にあったが、今はその魅力が薄れている。初任給などの若手層の給与は上がりつつある一方で、人件費全体を抑えるため中高年層の昇給が抑制され、管理職の給与と負担のバランスが崩れている。部下とのハラスメント対応といった「現代的なコスト」も管理職にのしかかる。結果として、若手から見ると管理職の姿は「割に合わない罰ゲーム」のように映り、昇進意欲が低下。なるべく早くキャリアを終えるために、FIREという選択肢を志向するようになるのだ。
Q. 早期FIREを実現するための現実的な資産形成方法は?
FIREはもはや夢物語ではなく、現実的な目標として視野に入るが、その実現には計画的な資産形成が不可欠である。特に、資産運用なしでのFIREは極めてリスクが高いと河田氏は警告する。

例えば、50歳で5,000万円を貯めてFIREした場合でも、運用をしないと年間200万円程度の赤字が生じ、インフレと資産の取り崩しにより赤字幅は拡大し、60代後半で資産が枯渇する可能性が高い。長寿化が進む現代社会では、このようなFIRE計画は持続不可能だ。
しかし、若いうちからコツコツと資産運用に取り組めば、状況は一変する。現役時代からインデックス投資などを通じて平均的なリターンを得て、例えば世帯年収800万~850万円ほどの層であれば、50歳時点で1億円近い資産形成も十分に可能である。この潤沢な初期資産があれば、そこから生み出される金融所得が退職後の生活費の大部分をカバーし、資産の取り崩しペースを劇的に緩やかにできる。結果として、100歳を迎える時点でも数千万円の資産が手元に残る計算となり、安心してFIRE生活を送ることができるだろう。資産運用はFIRE成功の決定的な分水嶺であり、「若いうちから始めるか否か」が成否を分ける最大のポイントとなる。
Q. FIREの加速は日本社会にどのような影響をもたらすのか?
FIREの加速は、個人の選択の範疇に留まらず、日本社会全体に大きなマクロ経済的な影響を与える。人口減少が進む社会では、働く人も減るが同時に消費者の需要も減るため、需給バランスへの影響は限定的かもしれない。
しかしFIREによって働く人が減る場合は、労働供給が減る一方で、消費者の数はほぼ変わらないため、供給だけが減少し、結果として人手不足とインフレがさらに加速する可能性が高い。物やサービスが適切に供給されない社会では、社会機能の低下は避けられないだろう。
このような状況でFIREを考えるならば、インフレを計画にきちんと織り込むことが極めて重要だ。そして、究極のインフレヘッジとなる資産は、他でもない「自身の働く能力」である。金融資産残高が自身の額面年収を下回るうちは、資産運用に注力するよりも、まずは稼ぐ能力そのものを高めることに集中すべきだという認識を持つ必要がある。この新たなトレンドは、個人のキャリア選択から社会保障制度に至るまで、幅広い分野で根本的な再考を迫るだろう。