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なぜ世界のエリートは文化人類学を学ぶのか?
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2026年7月2日

今海外のビッグテックを始めとする世界のエリート層が「文化人類学」に注目している。ビジネスにも活きる文化人類学の思考法とは?文化人類学で考えるマネーやキャリアの本当の価値とは?文化人類学者の大川内直子氏に聞いた。 <ゲスト> 大川内直子|文化人類学者 文化人類学者/アイデアファンド代表取締役。東京大...
世界のビジネスエリートはなぜ「文化人類学」を学ぶのか?
私たちを取り巻く「常識」は、実は多くの文化の中のたった一つのあり方でしかない。世界のビジネスエリートたちが文化人類学を学ぶのは、この本質を理解し、自身の凝り固まった思考の枠組みを外し、物事を多角的に捉える力を養うためだ。マネー、キャリア、家族。一見当たり前とされるこれらの概念も、文化人類学の視点を通すことで全く新しい「常識」として捉え直せる。文化人類学者の大川内直子氏に解説してもらった。

Q. 世界のビジネスエリートが文化人類学を学ぶのはなぜか?
ハーバード大学などに代表される一流大学では、文化人類学はリベラルアーツ、すなわち「教養」の一つとして位置づけられている。その目的は、自分の「当たり前」という思考の枠組みを相対化し、既成概念から解放された広い視野と洞察力を獲得することである。将来、人類学者になることを意図せずとも、経営者やテック系人材にとり、人類学が与える常識を疑う視点は不可欠な武器として認識されている。
Q. アメリカではなぜ文化人類学がビジネスに活用されてきたのか?
文化人類学とビジネスの接点は、1980年代のアメリカで生まれた。コンピュータが普及するにつれ、IT企業はユーザーが自社の設計通りに製品を使わない「非合理的」な行動に直面し、その理解に苦慮した。工学的観点からのユーザー像は合理性を前提としていたが、現実とはかけ離れていたからだ。企業内哲学者よりも早くから、この問いに対する答えを求めて人類学者が注目された。
人類学者は、ユーザーの行動を現場で観察し、アンケートなどでは言語化されない暗黙の行動原理や文化的背景を発見した。これまでの製品開発は、あくまで開発側の論理や仮説検証が中心であったが、人類学者は人々の実生活からニーズや行動原理を探り出すことに長けている。この深くユーザーを洞察するアプローチは、他社との競争において優位性を確立する重要な手段となったのである。
Q. 日本企業でも文化人類学への関心は高まっているか?

かつての日本の学術界、特に人類学分野では、企業や資本主義とは一線を画す風潮があったため、ビジネスとの結びつきは意外なものとして捉えられていた。しかし、ここ5年ほどの間に変化が生じている。2019年頃からは、ソニーや日立といった日本を代表する大手企業が人類学者を雇用する動きを見せ始め、関心層は急速に広がった。現在、日本のクライアント企業からの相談も増加し、文化人類学のビジネスへの重要性は高まりつつあると言える。
Q. 文化人類学のビジネスへの応用例はあるか?
コピー機で有名なゼロックスは、古典的な成功事例である。人類学者がコピー機を使うユーザーを詳細に観察したところ、彼らがコピー開始ボタンを探すのに手間取っていることを発見した。これにより、一番よく使うボタンを大きく目立つ緑色に変更するという、単純ながらも画期的な改善が生まれた。これはやがて業界のデファクトスタンダードとなり、技術主導だけでは気づけない「ユーザーの暗黙知」を人類学的観察がいかに重要かを示す好例となった。
もう一つの例はコカ・コーラによる中国市場への進出だ。当初、同社は中国で苦戦を強いられた。その原因は、米国と中国の飲み物に対する根本的な文化的な捉え方の違いにあった。アメリカでは「足し算の文化」、すなわちバーベキューなど食事を盛り上げるために甘く冷たい飲料が飲まれるが、中国ではお茶に代表される「引き算の文化」であり、心身を整えるものと考えられていた。異文化理解を深めることで、企業は自社の製品やサービスのどこがその文化にとって異質なのか、どのような偏りを持っているのかに気づくことができるのだ。
Q. そもそも文化人類学とはどのような学問なのか?その歴史的視点を教えてほしい?

文化人類学とは、インディ・ジョーンズのように、自らが「未知の文化」へ飛び込み、長期にわたり現地に滞在しながら、人々の生活、言語、社会構造などを五感を駆使して深く学ぶ「フィールドワーク」を根幹とする学問だ。これは机上の研究とは異なる、泥臭く体を使う調査手法で他者を包括的に理解しようとする姿勢と言える。
文化人類学の視点はその歴史とともに発展してきた。「進化主義」(19世紀後半、欧州中心で他文化を「過去の姿」と見る)が文献に基づいた非科学的な批判を受け、各文化に優劣はなく固有の価値があるとする「文化相対主義」が生まれた。さらに、社会の各要素(儀礼など)がそれぞれ機能を果たすと見る「機能主義」、多様な文化の根底に普遍的な認知の構造(二項対立など)を探る「構造主義」へと発展した。
現代の人類学は、これらの歴史を踏まえつつも、グランドセオリーよりも個々の文化の揺らぎや多様性そのものに注目する。人類学の「非科学性」(調査者や状況によって結果が異なる)は、科学的再現性を追求する立場から見れば欠点だが、既成の「仮説検証」では対応できない現代の複雑な問題に対し、そもそも「何を問うべきか」という新たな仮説生成の段階で真価を発揮する。平均値に埋もれた「変わった人」の行動に、未来のビジネスの種を見出す力があるのだ。
Q. 文化人類学が現代の「お金」「キャリア」「家族」の常識をどう変えるか?
私たちにとって「お金」を計算し、貯蓄や投資に励むことは常識だ。しかし、これは直線的な時間感覚を持つ資本主義社会特有の営みである。贈与や気前の良さを重んじる社会から見れば、金額を正確に数えることや損得勘定は不躾な行為と映る。資産を抱え込む人を「偉い」と評価する現代の価値観も、富を分け与えるリーダー(ビッグマン)が尊敬された文化と比較すると、きわめて特殊なものだと認識できるだろう。

「キャリア」もまた然りである。家と職場が分離し、午前9時から午後5時までオフィスで働くという様式は、産業革命以降に人間に労働力としての役割を最適化するために固定化された。かつて生活の場と一体だった仕事の概念から切り離されたことで、「仕事とは何か」「会社に骨を埋めるべきか」という問いや、ワークライフバランスといった悩みが生まれる。仕事人間としての自己とプライベートな自己との間に価値観の転換が起きていると読み解ける。
「家族」のあり方も文化によって多様だ。お父さん、お母さん、子どもで構成される核家族は数ある家族の形態の一つに過ぎず、普遍的な正解ではない。女性の社会進出や共働きが増えた現代社会では、夫婦間で家事や金銭的な貢献度を厳密に計算し、公平を期す「互酬性」が強まっている。しかし、そこから生じる貸し借りの感覚は、時として人間関係に息苦しさを生む。一方で、実の親に対しては無条件で頼れる「甘え」が許容されるなど、家族内でも関係性によって貸し借りの作法は異なる点が指摘できる。
Q. 私たち個人が文化人類学的な視点を日常に活かす方法はあるか?
文化人類学的な視点は、専門家でなくても日常の「フィールドワーク」で養える。例えば、職場の同僚や取引先の人に対して、「この人は年収がこのくらいだから、きっとこういう価値観を持っているはずだ」「こういうタイプだから、週末はきっとこんなことをしているだろう」と、あえて細かく仮説を立てて観察してみる。そして、実際の言動と自分の仮説を照らし合わせる。合っていた部分と異なっていた部分を検証することで、自分の中にどのようなバイアスや思い込みがあったのかを自覚できる。これが自己理解を深める第一歩だ。
この訓練は、ビジネスシーンで大きな力となる。企業の「電通っぽさ」や「博報堂っぽさ」といった社風はもちろんのこと、組織図には表れない真の力関係や、社内で影響力を持つ人物を正確に読み解く力が身につく。これは就職活動における企業研究から、日々の仕事での「根回し」や「空気読み」に至るまで、戦略的な行動を可能にするだろう。一見煩わしい人間関係や組織の力学も、人類学的な視点を持つことで客観的に観察し、学びの対象とすることができるのである。