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ロス世代キャプテン:市原吏音のリーダー論
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2026年6月9日

なぜ日本人は世界で「強烈な要求」ができないのか。本動画では、欧州での生存戦略、大学進学を覆した小井土監督の金言、モウリーニョに学ぶリーダー論を探求する。AZアルクマール所属DF 市原吏音に聞いた。 ▼ゲストプロフィール 市原吏音|AZアルクマール DF ミムラユウスケ|スポーツライター http...
【市原選手のサッカー哲学】海外挑戦と世代間の絆が示す次世代リーダーの「人間力」
日本サッカー界に新たな風を吹き込む若き才能、市原選手がその独特のサッカー哲学とリーダーシップを語った。オランダのAZへの移籍、ワールドカップ出場を果たす同世代の盟友への思い、そしてA代表選手との交流から得た学びまで、多岐にわたるテーマで彼の実像が浮き彫りになる。
常に前向きで、逆境を成長の糧とするメンタリティ、そしてチームを勝利に導く真のリーダーを目指す彼の言葉には、現代社会を生き抜くヒントが隠されている。
新時代の旗手、市原選手が描く未来のビジョンを探る。

Q. AZ移籍後、試合に出られない時期が長く続きましたが、どのように乗り越えましたか?
海外挑戦最初の半年は、サッカー人生で初めて試合に出られない苦しい時期であったと語る。しかし、この逆境が市原選手の内なる反骨精神を燃え上がらせた。ここで活躍すればA代表に繋がるという強い気持ちを抱き、「やってやろう」という覚悟がより一層サッカーへの情熱を深めるきっかけになったと振り返る。

リーグ戦の合間に行われたカップ戦決勝では、出場機会がないことを悟ると、「ビブス姿で優勝セレモニーに映りたくない」という思いと、「自分を使え」という監督へのアピールを兼ね、言われる前にユニフォームを着用し準備していたと打ち明ける。
この積極的な行動と勝負へのこだわりが、逆境を乗り越える原動力となったのだ。
Q. 同世代の塩貝選手がワールドカップに選出された時の心境はどうでしたか?
同世代の塩貝選手がワールドカップに選出された時、本人からの電話でその報せを聞いたと話す。しかし驚きは特になかったという。日頃から塩貝選手は「絶対ワールドカップメンバーに入る」と信じており、それは共に成長し高め合ってきた仲間として確固たる信念であったからだと述べた。

悔しさはなく、むしろ夢の舞台への到達を心から祝福。メディアでの強気な発言とは異なる、塩貝選手の繊細で心配性な一面も理解している市原選手は、彼が強い覚悟を持って海外へ渡ったことを尊敬していると語った。
彼とはほぼ毎日電話で連絡を取り合うほどの仲であり、お互いを深く理解し、高め合う存在なのだ。
Q. 試合前の集中術や、U-20W杯でのパネンカPKなど、独特のメンタルをお持ちのようですが、その根源は何ですか?
試合前には、幼少期から続けている独自の集中法として「指紋をじっと見る」ルーティンを実践している。指紋がはっきりと見える状態になると、集中力が最高潮に達していると実感できると話した。また、幼い頃から「言霊」の力を強く信じ、「俺ならやれる」といったポジティブな言葉を自分に言い聞かせる自己暗示も欠かさないという。
U-20ワールドカップでのPK戦で、大舞台にも関わらず冷静にパネンカを選択したのは、相手ゴールキーパーの動きを分析していたことに加え、アウェイの観客から激しいブーイングを受けていた状況で「相手を黙らせてやろう」という強い反骨心からだったと明かす。
ディフェンダーは目立つ機会が少ないが、PKのようなここぞという場面でチームを救い、相手を圧倒することに喜びを感じる「ストライカー気質」の持ち主だと自身のメンタリティを分析した。
Q. 学生時代は勉強も学年トップだったそうですが、文武両道の秘訣は何でしたか?
両親ともに教師であったが、勉強を強制された経験はなかったという。もともと歴史や世界遺産が好きで、自ら机に向かうのが好きだった。授業も常に最前列で受け、居眠りをすることもなく積極的に参加するタイプだった。
勉強においてもサッカーにおいても「人ができないことをしたい」「優越感に浸りたい」という目立ちたがり屋な性格が原動力であり、「スポーツもできて勉強もできるのは格好いい」というシンプルな憧れがあったからこそ文武両道を実践できたと語る。
また、メンタル面では自分の良いプレーだけを振り返り、ミスしたプレーは分析しない独自の術も持っていた。すでにミスを認識しているため、ポジティブなイメージを反復することで「自分はできる」というマインドを強化していたのだ。
Q. 筑波大学への進学を辞退しプロの道へ進むという決断の背景には何がありましたか?
高校1年生の頃から勉強が好きで、引退後のキャリアを見据えて筑波大学への進学を強く希望していた。そのため、大宮アルディージャからのプロ昇格の打診を一度断ったほどだった。
しかし、高校3年の夏にJ2の試合に出場し、「プロのレベルでもやれる」という確かな手応えを感じたことが転機となった。この経験が、「サッカー一本で勝負したい」という強い気持ちに火をつけたのだ。
内定を辞退することになった筑波大学の監督である小井田氏からは、迷惑をかける立場にもかかわらず「お前は海外へ行き、日本を背負う存在になるのだから、プロに行った方が良い」と温かい言葉で送り出された。この恩師からの言葉が、自身の決断に自信を与え、迷いを払拭してくれたと深く感謝していると語る。
Q. 「キャプテンとリーダーの違い」という言葉に影響を受けたと聞きましたが、市原選手が考える理想のリーダー像とはどのようなものですか?
10代でキャプテンマークを巻くなど責任ある立場にいたが、本人にとっては「プレッシャーは感じなかった」という。キャプテンマークを巻くかどうかで自分のやるべきことは変わらないと感じていた。
プロ入り後、ある人からモウリーニョ監督の言葉を通じて「キャプテンは任命されれば誰でもできるが、リーダーは周りからの信頼を背負って戦うものだ」と教えられ、大きな影響を受けた。この言葉がきっかけで、チームをまとめ、勝利に導く「本物のリーダー」になることを強く意識し始めたと明かす。

彼のリーダーシップスタイルは、厳しく叱責するよりも、ミスした仲間を「大丈夫」と励まし、落ち込んでいる選手を拾い上げるタイプだという。しかし、やるべきことをやっていない選手には厳しく指摘し、チーム内の衝突を仲裁するなど、バランスを取りながらチーム全体のパフォーマンスを最大化しようとしている。
自身の生い立ち、特に教師である祖父母や両親の影響もあり、相手の立場や気持ちを理解しようとする姿勢が自然と身についていると感じている。
Q. 欧州でのサッカー経験で感じたことや、今後の日本代表、そしてご自身のキャリアについて聞かせてください。
欧州の練習では、勝利への執着が非常に強く、選手間で激しい意見のぶつかり合いが日常茶飯事であることに驚いたと話す。日本の感覚では「そこまで言っていいのか」と思う場面でも、彼らにとっては勝負へのこだわりに過ぎず、ピッチを離れれば良好な関係に戻る文化を体験したという。
出場機会を得るため、監督に不満をぶつけるのではなく「自分のどこを改善すれば試合に出られるか」と建設的に対話した結果、監督との信頼関係を築き、実際に試合に出るチャンスを得た。主体的に発言し、監督に自分の熱意を伝えることの重要性を強く感じた半年間だったと述べる。
日本人選手は「止める・蹴る」の基本的な技術が高く、パスの質も優れていると感じる一方、欧州の選手は身体能力やフィジカルの強さでその差をカバーしていると分析。自身の良さを出しつつも、監督の要求に柔軟に応えるバランス感覚が、海外で生き残る鍵だと語った。
ロス五輪は世代の目標として「絶対出たい」と意欲を見せる。まずはA代表に定着し、その上で五輪を目指すという高い目標を掲げている。
同世代の選手たちが海外で切磋琢磨し、情報交換を密にすることで、世代全体のレベルアップと日本サッカーのさらなる発展に繋がることを確信。自身も「底上げ」の一翼を担う存在として、日本サッカーの未来に貢献していく決意を語った。