教育新常識
【遺伝の影響ゼロ%】親が子どもに口を出す理由
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2026年5月20日

学校で良い成績を取る競争は、全員にとって本当に必要なのか。誰もが専門的な知識を教えられるわけではないという遺伝的現実とは何か。テクノロジーの進化がもたらす教育の個別最適化について、行動遺伝学の視点から安藤寿康氏に聞いた。 <ゲスト> 安藤寿康|教育学博士 慶應義塾大学名誉教授 慶應義塾大学文学部卒...
教育と遺伝の新常識: 人間の本質が示す学びの未来
私たちの社会で「教育」とは何か。その問いの多くは、学校教育や学力、将来のキャリアといった視点から語られがちである。しかし、そもそも人間が知識を教え、学ぶという行為はどこから来るのだろうか。
本稿では、最新の研究や行動遺伝学の視点から、人間の根源的な教育のあり方と、現代の画一的な教育システムの限界、そして「遺伝」が私たちの学習や可能性にどう影響するかを探る。
私たちは「教えたがり」の動物として、どのように知識や文化を継承し、発展させてきたのか。その真実に迫る。

Q. 人間は「教えたがり」な動物と言うが、それはなぜか?
人間は本能的に「教えたがり」な性質を持つ「教育的動物」である。誰かに知識や能力で差があると感じると、人は嫌でも相手に教えたくなる。この「支援的動機」に基づく教育は、特定の環境や才能に左右されるものではなく、珍しいことに遺伝的な個人差が見られない普遍的な性質だと言える。

教育は学校というシステムが誕生する遥か以前、旧石器時代から存在していた。例えば、石器作りの遺跡からは、熟練した職人の隣に初級者が座り、時には熟練者がうまくできた石器を渡して手本を示すような、指導の痕跡が発見されている。
これは、教師が生徒と向かい合う現代の教育風景とは異なり、皆が同じ目標に向かって作業に集中する中で、必要な助言が自然と提供される形であったと推測されている。
この「教える」という行為は、人間特有の行動でもある。高度な知能を持つチンパンジーでさえ、このような直接的な指導はしない。人間は脳内で「自分だけでなく他人を含んだ社会」をイメージし、他者の存在を意識することで、役立つ知識を共有したいという強い動機を持つのである。
Q. 現代の「成績競争」に疑問の声が出ているが、教育はどう変化していくのか?
現代社会における学校での画一的な成績競争は、将来的に「昔はあんな馬鹿なことをやっていた」と見なされる時代が必ず来ると考えられる。
現在多くの人が、良い成績を取り、良い学校に入り、良い会社に就職するという「無難な人生」のために、既存の教育システムに従っている。
しかし、このシステムは個人の遺伝的な多様性や本当に好きなこと、得意なことと結びついておらず、多くの才能を埋もれさせている可能性がある。
AIが高度に発達した現代において、一般的な情報処理能力はAIが代替できる領域だ。
人間に求められるのは、一人ひとりの唯一無二の「遺伝的な個体性」から生まれる、創造性や独自の発想である。
画一的な成績基準で測れない個性こそが、これからの社会で価値を生み出す源泉となるため、教育もその個性を伸ばす方向へとシフトしていく必要があろう。
現在の学歴社会の構造は、政府が明確に決めたものではなく、私たち自身の「ある種の幻想」が生み出したものだ。
多くの人々がこの学歴フィルターによって、自身の能力や情熱とは関係なくチャンスを失っている。この現実に薄々「変だな」と感じている人々が増えており、教育システムの転換期が訪れている。
Q. 個体としては脆弱な人間が、どのように知識を共有し、繁栄したのか?
人間は地球上でミミズのように単独で生き抜くには極めて脆弱な存在である。しかし、知識を独占せず、積極的に分かち合う「おせっかい」な本能があったからこそ、厳しい自然環境の中で生き延び、繁栄してきた。
知識の共有は、言語や直立二足歩行といった人類の進化と深く関わっている。直立二足歩行により、人間は顔と顔を合わせることが可能になった。
これにより、相手の感情や意図を目つきから読み取り、コミュニケーションを深めることができるようになった。この進化が、知識を互いに共有し、特に普遍的で重要な情報を効率的に伝達する脳の発達を促したと考えられる。
個人の天才が生み出すものは、遺伝的なバリエーションが生み出したものである。例えば、野球界の大谷翔平選手のような存在に憧れるように、人は優れた他者に惹かれる性質がある。
そして、その天才が発見や発明を独り占めせず、社会全体に惜しみなく共有する動機があるため、時間がかかってもそれらはやがて人類全体の文化として定着していくのである。
これは、SNSで自身の見つけた美しい景色や面白い出来事を共有する行為も、根底では人間の「シェアしたい」という本質的な欲求に由来すると捉えられる。他の動物には見られない、この知識共有のプロセスこそが人類の発展を支えてきたと言えるだろう。
Q. 教育において、遺伝的な素質はどこまで影響するのか?
教える動機は大きく二種類ある。「支援的動機」は、例えば生命の維持に必要なスキルや基本的な常識など、できなかったら困る事柄を教える動機であり、これには遺伝的な個人差がなく、誰もが持つ普遍的な特性である。中学までの義務教育に当たる部分が多い。
一方、「啓蒙的動機」は、専門的で高度な知識を教える場合に見られる。微分積分のように、学ぶ者を選ぶような専門性の高い知識の習得や教授には、教える側と教わる側の双方に遺伝的な素質が大きく影響すると言われる。
専門的な分野で力を発揮できる人は、特定の遺伝的素質を持っているからこそ、その道を究め、他者に教授できるのである。
しかし、遺伝的な影響があるからといって、悲観する必要はない。むしろ遺伝的なバリエーションが存在するからこそ、様々な分野で優れた才能を持つ人が現れる。
そして、その才能ある人々が知識を独り占めせず、共有しようとする本能を持つことで、人類全体の知識と文化が発展していくのである。
遺伝は、特定の制約を与えるように見える一方で、一人ひとりが世界に存在する「可能性」の源でもある。その可能性を理解し、多様性を尊重することこそが、今後の教育の方向性を示すだろう。
Q. 人生において、自分の「本当に好きなこと」をどう見つけ、それを伸ばすべきか?
現代の教育が外発的な成績競争を強い、自己を抑圧させてしまう状況にあるならば、立ち止まって「自分は何が好きなのか」「何をやりたいのか」を問い直すことが極めて重要だ。
仮にそれが学業成績に直結しなくても、本当に好きなことに情熱を注ぐことこそが、長い人生において最も価値ある経験となる。
人は自身の遺伝的素質と結びつく「本当に好きなこと」に対しては、まるで形状記憶合金のように、様々な経験を経ても最終的にはそこへと戻ってくる傾向がある。
その道を見つけることが、その人自身の強みとなり、社会に対するユニークな貢献につながるだろう。たとえ周りの多くの人が「失敗しない無難な人生」を選んだとしても、自らの情熱を信じ、探求を続けるべきである。
AIが一般的な知識を処理する時代では、各個人の遺伝的個性を活かした独自の創造性がより一層価値を持つ。
遺伝とは、人類が始まって以来、あなたと全く同じ存在が存在しなかったことの証であり、唯一無二の可能性を生み出す「素敵なもの」である。

故中村哲医師のように、時に過酷な状況下でも大きな使命感を持ち、目標を達成し続ける人々の裏には、自身の遺伝的素質と内なる使命感が強く結びついていることがある。遺伝は、まさに一生をかけて取り組むべき大きな仕事や探求を後押しする原動力になり得るのだ。
Q. 親や教育者は、子どもの教育と遺伝にどのように向き合うべきか?
親や教育者が子供に接する際、世間の常識や学歴主義に囚われるのではなく、自分自身が「本当に価値があり、楽しい」と感じることを、情熱を持って伝えることが重要だ。
子供はすぐに理解できなくても、親の心からの熱意はやがて伝わり、彼らの心に深く響く可能性を秘めている。
例えば、子供が「こんな勉強が何の役に立つ?」と疑問を呈した時、「良い学校や良い会社のためだ」と答えるのは本質的ではない。
むしろ、「今は興味がないことでも、それに触れることで、本当に面白いと思える何かがきっと見つかるかもしれない」という視点を提供し、探求の面白さを教えることが、彼らの将来の可能性を大きく広げる。

実際のところ、因数分解のような専門知識も、建設の構造計算など、私たちが普段意識しない社会の様々な場所で深く活用されている。そのような見えない形で社会を支える知識の存在を伝えることも大切である。
また、子供が自分の遺伝的素質に気づき、それを活かせるかどうかについて、親が過度に心配する必要はない。
遺伝は意識せずとも常に個人の核として働き続けているため、ことさら「遺伝を活かさねば」と気負う必要はないだろう。
それよりも、子供が社会に出て失敗した時に「いつでもここに帰ってきなさい」と言える「安全基地」となることこそが、親の最も大切な役割だ。
子どもの挑戦を支え、どんな結果でも受け入れる姿勢が、最終的に彼らの主体性を育み、唯一無二の人生を歩む力となる。