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2026年5月25日

約4000年前、メソポタミア文明とインダス文明の狭間で栄えた謎の古代文明「ディルムン」。今年日本の発掘チームが最古の王墓を発見し、世界を驚かせた。謎に包まれたディルムンの秘密とは?発掘隊を率いた東京文化財研究所の安倍雅史氏に聞いた。 <ゲスト> 安倍雅史|東京文化財研究所 保存計画研究室長 東京文...
バーレーンで日本の調査チームが発見した「ディルムン文明の最古の王墓」。約4000年前のこの謎めいた文明は、メソポタミアの神話で「楽園」とまで称されたが、現代日本ではあまり知られていない。本稿では、最新の発掘成果を基に、ディルムン文明の真の姿、その盛衰、そして古代世界に与えた影響をQ&A形式で深掘りする。

中東のバーレーンでは、日本の研究グループが約4000年前に栄えたディルムン文明において、これまでの既知の王墓より50年から100年遡る、極めて古い「最古の王の墓」を発見した。この発見は、ディルムン王国の起源や初期の社会構造を解明する上で決定的な手がかりを提供するため、古代オリエント史に新たな光を当てるものと評価されている。

特に、これまで考古学者によって王墓とされていたアアリ古墓群から1.5km離れたアアリ古墳群西で見つかった点、そしてドローンを用いた測量で事前に「特殊な古墳」と目星をつけ、綿密な計画の下で発掘に至った点が注目されている。日本の研究者の地道な努力が歴史的大発見に繋がったと言えるだろう。
ディルムンは、メソポタミア文明の神話に「楽園」として登場する伝説の土地である。大洪水の神話に登場する不死の英雄に、神々が永遠の命と共に与えた海の彼方の楽園とされ、旧約聖書の「エデンの園」のモデルになったという説も存在する。
神話に謳われた通り、現実のディルムン文明もその立地ゆえに繁栄を極めた。現在のバーレーンを中心に発展したこの文明は、資源に乏しいメソポタミア文明と、銅、錫、ラピスラズリ、象牙などを産出するインダス文明、オマーン半島、アフガニスタンなどを結ぶ海上交易の要衝(ハブ)として機能していた。
ディルムンの商人は、これらの物資をメソポタミアにもたらし、古代世界の物流を支配した。ディルムンは、さながら現代におけるグローバルな貿易都市、または中継貿易国のような役割を担っていたのである。
ディルムンの繁栄の源泉であった海上交易網の優位性が揺らいだことが、衰退の主な理由だ。特に、紀元前1700年頃には一度、文明として大きな転換点を迎えている。
当時のメソポタミアは複数の都市国家が乱立する「戦国時代」であり、青銅器の材料となる銅は主要な戦略物資であった。メソポタミアでは銅が産出されないため、各国はディルムンの商人からオマーン半島産の銅を輸入していた。ディルムンの王にご機嫌を取るためにメソポタミアの有力な王たちが貢物を送っていた記録も残されているほどである。

しかし、ハンムラビ王がメソポタミアを統一し、政治体制が安定する中で、キプロス島産の銅が大量に供給され始めると、ディルムンの交易独占は崩れた。現代の「レアアース」戦略にも例えられるように、特定の資源供給における戦略的な重要性を失ったディルムンは、経済的に圧迫され、一度崩壊に至ったと考えられている。
バーレーンには、最盛期には約7万5000基ものディルムン時代の古墳が存在した。これは日本の古墳の総数(約15万基)の約半分に相当し、東京23区ほどの狭い地域にこれほど多くの古墳が密集する例は世界的に見ても非常に稀である。ディルムン古墳群は2019年に世界遺産にも登録された。
バーレーン島が川を持たず、年間降水量も70mmしかないにもかかわらず、ディルムン文明が栄えた背景には、豊かな地下の化石水(湧き水)の存在があった。航海において真水の補給は不可欠であり、バーレーン島はペルシャ湾岸で最も湧き水が豊富な島であったため、古くから交易船の寄港地として理想的であった。
さらに、島国であることは、陸からの侵攻を受けにくいという地理的優位性をもたらした。これは古代の文明が防御面で重視した点であり、現代において米海軍第5艦隊の司令部がバーレーンに置かれていることからも、その地政学的な価値が4000年間変わっていないことがわかる。
従来の研究では、エジプト、インダス、メソポタミアといった四大文明はそれぞれが独立して発展したと考えられてきた。しかし、ディルムン文明の研究は、これらの文明が実際には交易や外交、時には戦争を通じて密接に交流し、互いに影響を与えながら発展した「グローバルな世界」であったことを示唆している。
ディルムンは、これら古代文明間の架け橋として機能した。ディルムンに関する知見が深まるにつれて、個々の文明史だけでなく、広範な地域にわたる文明間の相互作用や交流の実態がより鮮明に描き出される。これは、古代オリエント史全体を包括的に理解するための重要な鍵となると言える。
日本の研究チームは、バーレーンでの発掘調査を1986年から続けているが、その歴史の中で幾度も困難に直面してきた。特に「最古の王墓」があると考えられていた古墳群の発掘許可を得るまでには、10年もの歳月と粘り強い交渉が必要であった。

研究チームは、有力な遺跡の発掘を直接許可してもらえなかった間も、他の古墳群で50基以上の古墳を地道に調査し、その成果を論文として発表し続けることで、バーレーン政府の信頼を少しずつ勝ち得ていった。そうした実績と信頼の積み重ねの末に、2024年に待望の「最古の王墓」の発掘許可が下りたのである。
また、発掘作業は、過酷な気候条件との戦いでもある。夏場は気温が50度を超え、湿度も高いため、発掘は気温が穏やかな1月〜2月のわずか5週間に限定される。限られた時間の中で最大の成果を出すため、早朝6時からの作業は常態化している。今回の発見は、研究者の情熱と10年にわたる地道な努力、そして極限状態での集中力が生んだ賜物だと言えるだろう。
今回発見された古墳が「王墓」であり、かつ「最古」のものであると断定できたのには、ディルムンの王墓に特有の構造が決め手となった。具体的には、古墳を聖域として囲む「壁」の存在、そして内部に見られるアルファベットのH型をした埋葬施設がその特徴である。さらに、出土した土器片の分析により、この墓が紀元前2050年~2000年頃に築かれたことが裏付けられた。
考古学研究者の探究は止まらない。次の大きなターゲットとして挙げられるのは、ディルムンの交易の様子を具体的に示す「青銅器時代の沈没船」の発見だ。これが実現すれば、交易品や交易ルートの詳細が明らかになり、ディルムンの海上ネットワークの全貌が解き明かされる可能性がある。
さらに、古代メソポタミア文明最大の謎の一つである、世界初の帝国を築いたアッカド朝の幻の都「アガデ」の発見も次なる目標とされている。中東の古代文明の解明が進むことで、これらの壮大な謎も少しずつ解き明かされるかもしれない。