令和ルポ
【フルバージョン】宇野重規氏インタビュー
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2026年2月15日

原理主義化する保守。現実の保守とのギャップ。敗戦が現代の思想に与えた影響とは。 保守主義の本質について宇野重規氏に聞いた。 <ゲスト> 宇野重規|東京大学教授 1967年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。 専門は政治思想史、政治哲学。著書に『民主主義とは何か』など。...
エドマンド・バークの思想に学ぶ「保守主義」の真髄、そして日本の課題
現代社会において「保守」という言葉は多用されながらも、その本質はしばしば誤解されている。東京大学の政治学者・宇野重規教授は、その源流に位置するエドマンド・バークの思想から保守主義を読み解き、日本が直面する保守の課題とその可能性を浮き彫りにする。
本稿では、宇野教授の洞察を通して、政治的理念としての保守主義を深く掘り下げ、現代日本の政治が抱える構造的な問題を考察する。伝統と革新の間で揺れ動く私たちにとって、真に「学ぶべき保守主義」とはどのようなものなのかを解き明かしたい。

Q. 保守思想の祖とされるエドマンド・バークは、どのような人物だったのか?
「保守の祖」とされるエドマンド・バークのイメージは、実のところ後世に作り上げられた物語である。バークが生きた時代、彼は自由主義的なホイッグ党に属し、国王による議会への不当な介入を厳しく批判し、政党政治の確立のために闘った改革派の政治家であった。また、代表権なくして課税されるアメリカ植民地の独立要求にも理解を示し、彼らの自決権を認めるべきだと主張している。このように、彼は単純な現状維持主義者というステレオタイプとは異なり、むしろ変化を恐れない進歩的な思想を持っていた。
彼がフランス革命を激しく批判したのは、既成の政治体制や伝統、慣習を「非合理的」として全て破壊し、人間の理性にのみ基づく抽象的な設計図で社会をゼロから作り直そうとする「急進主義」の傲慢さと危険性を看破したからである。人間は理屈だけで動くほど賢い存在ではないとバークは考えた。社会や制度は、特定の誰かの設計思想だけで成立するものではなく、長年の歴史の中で培われた無数の人々の経験や知恵、複雑な感情が積み重なって形成されたものだという認識が、彼の思想の根底にあった。
Q. エドマンド・バークの思想の本質とは何なのか?
バークの思考は、多様な情報や意見を組み合わせ、そこに内在する関係性や全体像を見出す「編集者」的視点に基づいていた。彼は法を学ぶ過程で挫折し、文芸批評の世界へと進んだ経験を持つ。この背景が、彼をして単一の理屈にとらわれず、複雑な現実や人間の情念、感情を深く洞察する柔軟な思想へと導いたのかもしれない。バークは美学においても、調和的な「美」だけでなく、人間が理屈では割り切れない畏怖や感動を覚えるような不均衡で雄大な「崇高」の概念を重視した。これは、表層的な理性だけでなく、より深層にある人間の本質や経験を尊重することを示唆する。

彼の言う保守主義とは、古いものをただ無批判に保持することではない。社会を成り立たせる長年の慣習や知恵を重んじつつ、そこに存在する不具合を「漸進的改良」によって修正していくアプローチである。全てを一度に破壊する革命的な変化を避け、部分的な調整を重ねることで、政治体制の安定した持続と健全な発展を目指すことこそが、バークの思想の核心をなしている。
Q. 現代社会において「保守主義」を学ぶべき理由とは何か?
近代の合理主義は、人間の理性ですべてを理解し、完璧な社会を設計できると過信してきた。しかし、このアプローチは多くの矛盾や歪みを生み出し、現代社会は解決困難な問題に直面している。宇野教授は、この状況を乗り越えるために、人間の限界を謙虚に認め、複雑で予測不可能な現実を受け入れる「保守主義」を思考の基盤とすべきだと指摘する。
保守主義は、社会システム、自然環境、人間の心理といった多様な要素が、理屈では割り切れない形で危うい均衡を保ちながら常に変化していることに着目する。この謙虚な観察眼は、物事を根本から破壊して一から作り直すのではなく、既存の連続性の中で緩やかな変化と部分的な改善を試みる視点を提供する。過去の知恵や経験から学び、性急な変化に警鐘を鳴らす保守の思想は、複雑化する現代においてこそ、その真価を発揮するといえる。
Q. 日本の「保守」が直面している課題は何なのか?
バークのイギリスには、名誉革命を経て確立された「王室と自由の共存」という、国民が共有する明確な「国の骨格(ブリティッシュ・コンスティチューション)」があった。これにより、守るべき伝統と変化すべき改革の明確な境界線が存在した。これに対し、宇野教授は日本における「保守」が、国民の間で「絶対に譲れない、守るべき価値」や中核となる「物語」が曖昧であると指摘する。この基盤の不明瞭さが、日本の保守議論を混乱させ、その本質を見えにくくしている。
日本の保守を考える上で最大の障壁となっているのが、1945年の敗戦がもたらした歴史の「断絶」というトラウマである。戦後の日本では、「戦前は悪、戦後は善」といった極端な二元論が蔓延し、歴史の連続性を見出すことが困難になった。左派は戦前との断絶を強調し、右派は戦後体制を全否定して戦前の秩序に幻想を抱く傾向が生まれた。その結果、戦前と戦後を貫く統一された「国民的物語」が紡がれることはなかった。

守るべき中核的な物語がないため、現代日本の保守は「こうでなければならない」という強い理念を掲げ、時に原理主義的な様相を呈する。本来、急激な変化を抑制する役割を持つはずの保守が「保守革命」を唱えるといった自己矛盾に陥り、逆にリベラル派が戦後の体制維持を主張する役割の逆転現象も発生している。何を守り、なぜ守るのかという根源的な問いへの答えが曖昧なまま、多くの保守が独自に定義した「保守」を主張し、内部分裂すら起こしかねない状況に陥っているのが現状である。
Q. 日本における「保守」の新たな可能性はどこにあるか?
日本の「保守」が新たな物語を紡ぐ可能性は、為政者によって与えられる「上から」の理念やイデオロギーではなく、庶民の日常生活の中に息づく「下からの保守」に見出せると宇野教授は提唱する。柳田國男や宮本常一といった民俗学者たちの研究が明らかにしたように、日本の地域社会には、江戸時代から連綿と続く独自の知恵や慣習があった。これは単なる古い習慣ではなく、変化に対応しながら社会を円滑に維持するための工夫や知恵の結晶である。
例えば、時間をかけて延々と議論を重ね、最終的に「空気」として共通の「落としどころ」を見出すという、日本独自の合意形成のあり方がある。これは西洋的な民主主義とは異なるものの、日本人が持つ健全な民主的要素を内包していた。また、自らの地域から出て広い「世間」を知り、その経験を故郷に持ち帰って活かす「世間師」の概念なども、過去の日本人が持っていた柔軟で開かれた精神性を示す事例である。このような、頭で理解するよりも感覚的に「腹落ちする」常識や感性こそが、日本人が真に「守りたい」と感じるものの源泉であり、新たな「ジャパニーズ・コンスティチューション」を再発見する鍵となるだろう。
政治システムを構成する理屈だけではない、生活に根ざした知恵と感覚に目を向けることで、日本の保守は過去を美化する幻想から脱却し、現代に適応した健全な姿を見出すことができるはずだ。
Q. 現代日本の政治状況、特に高市政権に見る「強いリーダー」への飢餓感とその危険性について、どのように捉えるべきか?
高市氏に対する高い支持は、個別の政策への賛同というよりは、閉塞感が漂う現状を打破してくれる「強いリーダー」を求める国民の根強い飢餓感に支えられている。彼女は記者会見などで「私」という言葉を多用し、政策論争を自身の信頼性や覚悟の問題へと巧みにすり替える。これは政治家として、言葉の力で局面を動かす高い能力の表れだと言える。しかし同時に、その強いメッセージの背後にある本質的な議論や潜在的なリスクを覆い隠してしまう危険性もはらむ。

最も懸念されるのは、強力なリーダーシップを持つ者が暴走した際に、それを牽制し、多様な意見を取り入れて適切な軌道修正を行う「チェック機能」が現代の日本政治には極めて脆弱である点である。かつて自民党内に存在した派閥間の均衡や、強力な野党という抑制メカニズムは現在弱体化している。このような状況下では、国民の飢餓感に応える強い言葉が、熟慮や議論なしに性急な方向へと社会を導いてしまうリスクがある。
日本社会全体が、感情的な強いメッセージに流されることなく、複数の選択肢を冷静に吟味し、批判的思考に基づいて主体的に判断を下せる「成熟」へと至るかどうかの瀬戸際に立たされている。メディアの役割と、国民一人ひとりが主体的に情報を選別し、熟慮する力が今こそ強く問われていると言えよう。バークの教えにあるように、多様な知恵を集め、漸進的な改良を目指す慎重な姿勢こそが、社会の健全な発展を保証する道となる。