PIVOT TALK ECONOMY
昭和経済史:危機克服の教訓
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2025年12月16日

大恐慌からバブルまで激動の昭和経済に、未来を照らす教訓を求める。昭和恐慌で世界最速の回復を遂げた「高橋リフレ」は超先進的だった?関税合戦やブロック経済が世界を分断した経緯を考察。 <ゲスト> 岡田晃|経済評論家 大阪経済大学特命教授、経済評論家。1971年日本経済新聞社入社。産業部、編集委員などを...
激動の時代から未来を学ぶ: 昭和経済史が現代に示す教訓
現在の日本経済は、国際秩序の変化や構造的インフレに直面し、かつてない激動期を迎えている。
このような不確実な時代だからこそ、私たちは歴史、特に激動を極めた昭和の経済史に目を向けるべきである。
昭和時代は金融恐慌に始まりバブル崩壊で終わる、まさに波乱の時代であった。
本稿では、当時の人々が困難をどう乗り越えたか、政府がどのような政策選択をしたかを探り、現代を生き抜くためのヒントと教訓をQ&A形式で解き明かす。

Q. なぜ今、激動の昭和経済史を学ぶことが重要なのか?
現在、国際情勢は戦後レジームが終わりを告げ、新たな歴史の転換期にある。ロシアによるウクライナ侵攻や米中対立の激化など、予測不能な出来事が世界中で頻発しているのだ。
これにより冷戦終結後の「世界は一つ」というグローバル化の時代は終焉を迎え、地政学的なリスクを常に考慮しなければならない状況が生じている。
さらに、こうした構造変化は企業活動におけるコストアップ要因を増加させ、経済を構造的なインフレ体質へと変貌させている。これは一時的な現象ではなく、サプライチェーンの再編など根本的な変化が進行中であることを示唆する。
昭和という時代もまた、金融恐慌に始まりバブル崩壊に終わる激動の歴史を持っていた。私たちは、その困難な時代を乗り越えてきた先人たちの知恵や経験から、現在の不透明な時代を生き抜くための具体的なヒントや教訓を得ることが可能である。当時の人々が何を考え、どのように危機を乗り越えたのかを深く知ることは、現代の課題解決に繋がる示唆に富んでいるのだ。
Q. 昭和の幕開けを告げた金融恐慌はどのように発生し、なぜ深刻化したのか?
昭和という時代は、皮肉にも経済危機から幕を開けた。昭和2年(1927年)3月、大蔵大臣による失言が引き金となり、金融恐慌が勃発したのである。
当時、東京渡辺銀行の経営悪化が懸念される中、大蔵大臣が国会で「正午に東京渡辺銀行が破綻した」と答弁した。しかし実際には破綻しておらず、この発言が市民をパニックに陥れ、取り付け騒ぎが全国へと波及したのだ。
この失言が決定的な引き金となったが、その背景には第一次世界大戦中の「大正バブル」とその後の反動不況があった。

日本は戦争特需に沸いたが、大戦終結後は深刻な不況に転落し、多くの金融機関が不良債権を抱えていた。
さらに大正12年(1923年)の関東大震災が追い打ちをかけ、首都の壊滅と金融機関への深刻な打撃をもたらした。政府は震災手形処理法による救済措置をとったものの、これがさらなる不良債権化を招き、金融システム全体を弱体化させていたのだ。
金融機関の体力はすでに限界に近く、些細なきっかけでシステム全体の信頼が失われ、危機が連鎖的に拡大したのである。
Q. 昭和恐慌期の社会はどのような状況だったのか?
昭和恐慌は長期間にわたり、社会全体に深い爪痕を残した。
特に顕著だったのは、当時の日本社会で大きなウェイトを占めていた農村の壊滅的な疲弊である。農産物価格が大暴落し、多くの農家が借金苦に喘いだ結果、娘の身売りが社会問題化するほどの悲惨な状況に陥った。
これは都市部にも波及し、超エリートとされた大学卒業者でさえも職が見つからないという深刻な就職難に直面した。当時の流行語に「大学は出たけれど」という言葉があったことからも、その深刻さがうかがえる。
こうした社会不安は、軍国主義やテロの温床となり、やがて日本の対外政策にも大きな影響を及ぼしていく。経済危機が社会に与える影響の大きさと、それが国民感情や国の針路にまで波及する危険性を示す苦い教訓であった。
Q. 世界恐慌の中で日本政府がとった政策が、なぜ不況をさらに深刻化させたのか?
世界大恐慌の影響を日本は直接的に受けたが、それをさらに深刻化させたのは、当時の日本政府が実施した政策の過ちである。
政府は1930年1月に金解禁を実施したが、その背景には第一次大戦中に一時停止していた金の輸出を再開し、通貨価値を金とリンクさせる「金本位制」に復帰するという国際的な潮流に追いつく目的があった。
問題は、金解禁の実施時期と条件である。金解禁の決定は、1929年7月にされたが、直後にニューヨーク株価が大暴落し、世界大恐慌が始まった。

しかし、当時の政府は世界恐慌を一時的なものと軽視し、予定通り1930年1月に金解禁を断行した。この状況で金解禁をすれば、資金流出を招くことは明らかであり、金は海外に流出。日本の通貨価値も揺らいだ。
さらに不況下にもかかわらず、緊縮財政も同時に進められた。これは、大蔵大臣の井上準之助が「緊縮財政こそあるべき姿」という強い信念を持ち、経済の悪化の中でも路線を転換しなかったためである。その結果、デフレ圧力は増大した。
金解禁の実施条件も致命的であった。政府は実勢為替レートより大幅な円高となる「旧平価」での解禁に固執した。これは、「通貨の価値を切り下げることは国の威信に関わる」というプライドや「あるべき姿」への硬直的な理念に基づくとされる。
不況時の緊縮財政に加え、強制的な円高という政策が、日本の経済をさらに奈落の底に突き落とし、二重三重にデフレを増幅させる結果となったのだ。政府の政策判断ミスが、経済危機を大きく深刻化させる教訓となった。
Q. 苛烈なデフレ状況から日本はどのようにして脱却したのか?
当時のデフレは想像を絶する苛烈さであった。昭和デフレ期の卸売物価は2年連続で2桁のマイナスを記録し、特に農産物価格は毎年20~30%も暴落するなど、現在のデフレとは比較にならないほどの深刻な経済状況であったのだ。
この地獄のような状況から日本を救ったのが、1931年に蔵相に就任した高橋是清である。彼は、それまでの政府の政策を180度転換する「リフレーション政策」を断行した。
具体的には、まず金本位制からの離脱を宣言し、金の輸出を再禁止した。これにより、円安誘導が可能となり、輸出競争力が高まった。

次に、緊縮財政を改めて大規模な積極財政へと転換した。これは政府支出の拡大を意味し、需要を創出し経済を活性化させる目的があった。高橋は赤字国債を日本銀行に直接引き受けさせ、財政出動を可能にしたのである。
これらの大胆な政策は驚異的な効果を発揮し、日本はわずか1〜2年でデフレから脱却し、経済は正常な姿へと戻った。物価は急速に上昇し、日本は世界に先駆けて恐慌からの脱出に成功したのだ。
Q. 高橋是清が実践した「リフレ政策」が現代に与える教訓とは何か?
高橋是清が実行した「高橋リフレ」は、世界経済史において画期的な成功例であった。当時、世界がデフレに苦しむ中、高橋は1932年から大胆な政策を導入し、1933年から始まったアメリカのニューディール政策に先駆ける形で日本を恐慌から脱出させた。これは、ケインズ経済学が理論として確立されるよりも早い時期の実践例であり、その先進性が高く評価される。
高橋は積極財政による国債発行を、あくまでもデフレを脱却するための「一時の方便」と捉えていた点が重要である。彼は経済が回復した際には、財政の引き締めを行うという出口戦略まで見据えていたのだ。
この姿勢は、無制限な財政拡大に走るのではなく、状況に応じて財政出動と緊縮を柔軟に使い分ける「責任ある積極財政」の模範と言えるだろう。現代においても、政府の財政政策においては、一時的な危機対応だけでなく、長期的な視野に立った出口戦略の重要性を高橋是清の例は教えてくれる。
歴史が繰り返す構造を認識し、先人たちが直面した「ピンチ」を「チャンス」に変えた過程を学ぶことは、現代の不確実な経済状況下で、私たちが適切な判断を下すための羅針盤となるはずだ。