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「老害」と呼ばれたくない、令和を生きる中年の生きづらさを大解剖!
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2025年12月15日

誰かにアドバイスする時に「老害かもしれないけど」と前置きしてしまう。「だから昭和生まれは」と思われるのが怖くて本音が言えない。令和を生きる彼らはかつての権力者と違う、「新世代型中高年」だ。『「老害」と呼ばれたくない私たち』の著者である河合薫氏が社会的構造と心理を解き明かし、ベテラン世代が自信を取り戻...
「老害」と呼ばれる前に知るべき真実:権力なき新世代型中高年の「生き直し」戦略
現代社会を象徴する言葉の一つ「老害」。しかし、その意味はかつてと大きく変化した。会社で「老害案件かもしれませんが」とつい言ってしまうあなたへ。その言葉の背景には、私たち誰もが向き合うべき社会構造と心理の深い溝が潜む。
本稿では、『「老害」と呼ばれたくない私たち』の著者・河合薫氏が紐解く「老害」の正体と、ベテラン世代が自信を持って働き続けるための新たな視点、そして具体的な行動指針を探求する。

Q. 現代において「老害」という言葉が持つ本当の意味は何なのか?
かつての「老害」は、バブル時代に権力を持ち、自身の利益のために周囲を振り回す年長者を指す言葉であった。しかし、時代は変容し、今は自らがパワーを持たず、周囲の目を過剰に気にする「新世代型中高年」が、自己防衛や揶揄の意味で自らを「老害」と呼ぶ傾向にある。パーカーおじさん論争に象徴されるように、SNS文化の中で言動が文字として強く影響を及ぼすため、「老害」という言葉は安易に使われやすくなっていると言える。
ただし、「老害」とは本来、人から言われるものであり、自ら名乗る必要はない。この言葉を使い続けると、「言霊」のように自己肯定感を損ない、自身の可能性を狭めてしまう危険性がある。この事態は個人の責任というより、むしろ若手の賃金を抑制し、中高年をコストとして排除しようとする企業経営層が、現代における真の「老害」と言えるのではないだろうか。
Q. 日本はなぜ中高年にとって生きづらい「超中年社会」となったのか?
現在、日本は40歳から60歳までの人々が人口の過半数を占める「超中年社会」となっている。この構造が、中高年層の希少性を低下させ、社会全体での彼らの価値を相対的に押し下げている背景がある。加えて、企業の長期雇用や年功序列制度の崩壊、若手抜擢方針などが複合的に影響し、中高年が企業内で自身のキャリアパスを見出しにくい状況が生まれている。

特に、就職氷河期世代は、バブル世代が主要ポストを占め続けた一方、Z世代が脚光を浴びる現代において、キャリアの「飛ばされた世代」となっている。企業は人員が少ない30代を確保しようとするあまり、数が多い40代以降への関心が薄れている現状もある。彼らの実力や経験が企業内で十分に活かされず、「何者にもなれなかった」という屈辱感を抱えているのは、個人の努力不足ではなく、まさに社会の構造的な問題と言える。
Q. 各世代が直面する具体的なキャリアの「壁」とは?
まず40代は、昇進が期待される時期に、企業が若手抜擢を推進する流れの中で機会を失い、「万年ヒラ」化の壁に直面する。この年代には、就職氷河期を乗り越えた有能な人材が多くいるにもかかわらず、その実力が十分に評価されないケースが少なくない。
次に50代は、役職定年によって肩書きや権限を失い、年下の直属上司を持つことに慣れなければならないという壁がある。この年齢層は、これまで年功序列が当たり前だった時代を生きてきたため、この変化に適応することに心理的困難を抱えやすい。また、企業が好調なうちから人件費削減のため50代以上を早期退職の対象とする、いわゆる「黒字リストラ」の憂き目にも遭いやすい世代である。
60代になると、定年後の再雇用制度が一般的だが、多くの場合、仕事内容は変わらないのに賃金が大幅に下がる。さらに、若者基準の働き方やオフィス環境の中で、身体的な衰えが原因で労災のリスクも高まる。長年の忠誠心から、不平を漏らしつつも会社のために頑張りすぎてしまい、心身に不調を来す事例も増えている。

Q. 欧米に比べて、日本は年齢差別(エイジズム)に対しなぜ甘いのか?
ベテラン世代が直面する様々な壁は、日本における年齢差別の甘さに根差している。欧米では「エイジズム」(年齢差別)を厳しく禁じる法整備が進んでいる。特にアメリカでは、年齢差別を訴えられた場合、企業側に差別ではないことを証明する責任(立証責任)がある。そのため、採用や配置、昇進などあらゆる場面で、企業は年齢によって不当な扱いをしていないことを強く意識せざるを得ないのだ。
一方、日本では高齢者の雇用継続は推奨されるものの、年齢差別に関する罰則規定や具体的な規制は未だ不十分である。雇用主の努力義務に留まっているため、企業が実質的に年齢を理由とした不利益な取り扱いをしても、明確な法的制裁を受けることは稀だ。この法制面の遅れが、ベテラン世代が社会から軽視され、排除されがちな構造を作り出す要因の一つとなっている。
Q. 「老害」と自称するのをやめ、前向きに生きるには何が必要か?
まず肝に銘じるべきは、「老害」とは他人が決めるレッテルであり、自らが名乗る必要は全くないということだ。権力や拠り所を持たない「新世代型中高年」は、かつての権力を持った「じじいの壁」とは全く異なる存在である。自分は「新世代型中高年ですが、何か?」と開き直るくらいの姿勢で、新たなアイデンティティを確立することが大切である。
その上で、自身の「心の土台」を再確認すべきだ。心の土台とは、これまでの人生で培ってきた成功と失敗の経験、人との出会い、仕事で積み上げてきたスキルなど、一人ひとり異なる経験の蓄積によって形成された精神的基盤のことである。他者の評価や「老害」という言葉に惑わされ、自分の価値観がぐらついてしまうのは避けなければならない。自分の内にある価値を信じることが、次の一歩を踏み出す力となるのだ。
Q. 豊かな「人生の午後」を築くための具体的な行動指針とは?
年齢の呪縛から解放される一つの鍵は「主観的年齢」を意識することだ。実年齢が何歳であろうと、「自分が何歳だと感じるか」が、その後の行動や幸福感を大きく左右すると研究で明らかになっている。主観的年齢を若く保つことで、活動的になり、学習意欲や新しいことへの挑戦心が生まれる。これは年齢という単なる符号に振り回されず、自己の可能性を広げる強力なツールである。

そして「愛をケチるな」という指針を持つことが大切である。自分らしさに固執せず、少しの「リタ心」を持って他者を認め、必要とすることで、自分自身の存在価値も高まる。「やってみたいと思ったことはやる」「会いたいと思ったら会いに行く」など、シンプルだが主体的な行動が人生を豊かにする。年齢を理由に躊躇せず、自分を信じて新たな「生き直し」の一歩を踏み出せば、その活動範囲や可能性は無限に広がるだろう。