
グロース市場改革。小粒上場は消える?
グロース市場改革の全貌:維持基準厳格化で「覚醒」する企業と変わるスタートアップ戦略
東京証券取引所(東証)によるグロース市場の維持基準厳格化は、スタートアップエコシステムに大きな波紋を広げた。上場からわずか5年で時価総額100億円という新基準は、既存の上場企業や未上場のスタートアップにとって何を意味するのか。グロースキャピタル社長の嶺井政人氏への取材から、この改革の具体的な内容、市場の受け止め方の変化、そして今後の戦略について深掘りする。

Q. グロース市場改革の具体的な内容は何か?
グロース市場の上場維持基準が「上場10年経過後、時価総額40億円以上」から「上場5年経過後、時価総額100億円以上」へと大幅に見直される方針が決定した。この新基準は、2030年3月1日以降に適用される見込みだ。現在、この方針に関するパブリックコメントの募集が行われ、12月には規則として施行される予定である。東証はこの改革によって、名実ともに高い成長を実現する企業が集中する市場を目指す。

Q. 当初悲観的だった改革案がなぜポジティブに受け止められ始めたのか?
当初、この改革案が発表された際、特に未上場のスタートアップ業界では上場ハードルの引き上げへの懸念から「お通夜状態」と評されるほどの悲観論が広がった。しかし、この半年で状況は一変したと言える。東証が「新規上場基準まで引き上げるわけではない」「小型で上場しても高い成長を目指す企業は歓迎する」というメッセージを発信したことで、市場の混乱は収束に向かった。
また、VC(ベンチャーキャピタル)の投資意欲も回復しつつあり、市場全体の悲観的なムードは緩和された。これは、改革が市場の新陳代謝を促し、企業成長を加速させるための前向きな変化として捉えられ始めた結果と言えるだろう。現時点ではこの方針が覆る可能性は極めて低いと見られている。
Q. 多くの既存上場企業が基準未達でも上場廃止は避けていけるのか?
現在のグロース市場上場企業約600社のうち、時価総額100億円未満の企業は約400社(7割)に及ぶ。単純に考えると、これらの多くが上場廃止のリスクに直面するが、峯井氏は「実際にそうなるとは考えにくい」と分析する。その背景には、経営者のマインドの変化がある。多くの企業がオーガニックな成長だけでは新基準の達成が難しいと認識し、M&Aなどの非連続な成長戦略を積極的に模索し始めたからである。
例えば、株式上場後の「わかる」がTBSホールディングスグループに、AI開発の「アイデミー」がアクセンチュアグループに入るなど、短期間で具体的なM&A事例も出始めている。企業は自社が「買い手」として成長を加速するだけでなく、「売り手」として大企業グループに参画する選択肢も視野に入れているのだ。これによりM&A市場が活性化し、企業は生き残りと成長のための多様な道を歩み始めている。また、グロース市場での達成が難しい企業はスタンダード市場へ鞍替えし、上場企業としてのチャレンジを続けることも可能である。

Q. 未上場のスタートアップは上場に関してどのような戦略を取るべきか?
これまでのスタートアップは「VCから資金調達し、IPOを目指す」という一本道が一般的であった。しかし、この改革により、その戦略は大きく多様化するだろう。IPOにこだわらずM&Aでのイグジットを目指すスタートアップや、エクイティファイナンスに頼らず、中長期的に自己資金で堅実に成長するモデルも出てくることが予想される。スタートアップは自社のビジョンと成長モデルに合致する最適な資金調達・成長戦略を練る必要があり、より「選択と集中」が求められる。
VC側も、以前よりも投資先の選別を厳格化し、大きなリターンが見込める「ホームラン型」の企業に資金を集中させる傾向にある。これにより、スタートアップは自らのビジネスモデルがどのタイプに当てはまるのか、明確な自己認識と戦略がこれまで以上に重要となる。
Q. 時価総額の低い「小粒上場」は今後も維持されるべきか?
東証のデータによると、小型で上場した企業ほど上場後の成長率が高い傾向にある。これは、投資家にとって小型上場はより高い投資リターンを得られる可能性を秘めていることを示唆する。小型上場企業は未上場時の評価が難しく資金調達に苦労するケースも多いが、上場によって適切な評価と資金を得て大きく飛躍する事例が少なくない。

例えば「ノート」や「プログリット」のような企業は、未上場時よりも低い時価総額での上場(ダウンラウンド上場)を選択したが、上場後に市場で高く評価され、成長を加速させている。特にディープテックやバイオといった、未上場市場でその真価が評価されにくいセクターにとって、早期上場は重要な成長経路となる。
したがって、問題は上場時の規模の大小ではなく、その企業が上場後どれだけ高い成長意欲を持ち、具体的な戦略でそれを実現できるかに焦点を当てるべきだ。東証も小型上場を完全に否定しているわけではなく、高い成長を目指す企業であれば歓迎する姿勢を示している。
Q. 上場企業の経営者は投資家とどのように向き合うべきか?
東証が実施したヒアリング調査からは、経営者と投資家の間に深い認識のギャップが存在することが明らかになった。経営者が「売上や利益は成長しているのに株価が反映されない」と感じる一方で、投資家は「その成長が持続可能か、最終的にどこに向かうのかといった長期的なビジョンが見えない」ため投資に踏み切れないという乖離である。

また、増資は株式の希薄化を招き株価に悪影響を与えると考えて増資を躊躇する経営者が多いが、投資家は増資そのものが問題なのではないと指摘する。重要なのは、調達資金を何に使い、どれだけの期間でどのような成長を実現するのか、という明確な「エクイティストーリー」を示すことだ。
未上場時には熱いビジョンを語っていた経営者も、上場後は四半期ごとの評価に晒されることで、一度の未達を恐れ、保守的になりがちである。この改革は、そのような「ぬるま湯」から脱却し、経営者が本来持つ挑戦心を呼び覚まし、明確な成長戦略とコミュニケーションで投資家と向き合うことを強く求める転換点となる。今後は機関投資家だけでなく、個人投資家との対話を通じたIR活動の強化も重要性を増すだろう。

Q. 今回の改革は日本全体のスタートアップエコシステムにどのような影響をもたらすか?
この改革によって、各市場の役割がより明確になる。プライム市場は「グローバルに存在感を示す日本代表企業」、グロース市場は「高い成長を目指す企業」という位置づけが強まるだろう。その一方で、スタンダード市場は両市場に属さない企業の「受け皿」となる可能性が高く、その独自のキャラクターを再定義する必要があるという新たな課題も浮上する。次の改革の焦点はスタンダード市場に移ると言える。
上場基準が厳しくなることによって起業家が減るという懸念もあるが、峯井氏は「起業は自己実現のアクションであり、出口戦略が多様化してもその本質は変わらない」と語る。むしろIPO一辺倒ではない、M&Aや自己資本での堅実な成長など、多様なスタートアップの形が定着することで、日本のスタートアップエコシステムは新たな次元に進化し、成熟していくことが期待される。最終的には、日本全体のイノベーション創出につながるポジティブな変革となるだろう。