PIVOT TALK LIFE
【俵万智の「言葉」論】子育てと「生きる言葉」
(486)
7,373回視聴
2025年9月21日

スマホで常時SNSに接続し、AIが自在に言葉を生み出す現代。私たちはどのように「言葉」に向き合えば良いのか。また「言葉」と向き合う価値とは何なのか。歌人の俵万智氏に、言葉の時代の生き方について聞いた。 ▼ゲスト 俵万智|歌人 1962年大阪府生まれ。歌人。早稲田大学第一文学部卒業。1988年に現代...
歌人・俵万智が語る「子育て」と「生きる言葉」
Q. 歌を作ることが人生にもたらす変化とは?
言葉と向き合う時間を持つことは、慌ただしい日常の中で貴重な瞬間となる。歌人の俵万智は「自分の心と向き合ったり、言葉を探す楽しさを持てることが、歌を作っていて一番良いこと」と語る。
かつて多忙を極めていた時期に「短歌を作る仕事だけは断ってはいけない」と師から言われた経験を持つ俵。その理由について「短歌のおかげでこういう状況になっているのに、短歌が作れなくなったら本末転倒」と振り返る。

締切があることで心のアンテナが立ち、立ち止まる時間を無理にでも作ることができる。「あの頃は無理やりにでも作らないと流されてしまいそうだった」と当時を回想する俵の言葉からは、創作活動が心の余白を守る重要性が伝わってくる。
Q. 言葉への目覚めはどのように訪れたのか?
俵が言葉に対する意識を強く持ったのは、14歳で大阪から福井に引っ越した経験がきっかけだった。「大阪弁を話していることに初めて気がついた」と語る俵。それまでは周りも全員大阪弁で話していたため、自分の言葉遣いを意識することはなかった。
福井に移り住むと、英語の授業で英文を読んだときに「大阪臭い英語だ」と言われるなど、自分の話し方が目立つことに気づいた。一方で福井弁の「おっとりした可愛らしさ」に魅力を感じ、真似をするようになる。すると周囲から「うまくなった」と喜ばれ、「言葉を覚えることが人と仲良くなる手段になる」と実感したという。
「その土地の良さは、旅人やよそ者が発見しやすい」と俵は言う。言語環境の変化が、言葉への感度を高めるきっかけとなったのだ。
Q. 短歌との出会いと、その後の創作活動は?
大学時代、俵は「美しい日本語を研究する」アナウンス研究会に所属し、高田馬場駅のアナウンスや六大学野球の場内アナウンス、選挙のウグイス嬢など声のアルバイトを経験した。大学2年生の時に短歌の授業で佐々木幸綱氏と出会い、本格的に短歌を作り始めた。

「それまでは古めかしいものだと思っていたけれど、現代短歌はこんなに表現できる手段なんだと気づいた」と当時を振り返る。卒業後は高校教員となり、教壇に立ちながら短歌を作り続けた。「もう一人自分がいたら続けなかったかもしれないくらい楽しい仕事だった」と教員時代を懐かしむ。
Q. 子育てで移住した石垣島での生活はどのようなものだったか?
子育てを始めた俵は、都会で子育てをする難しさを実感していた。「自然の中で子供同士がのほほんと遊ぶことや、地域のコミュニティで子供をみんなで育てることが難しい」と感じていたという。
そんな時、友人が移住していた石垣島を訪れ、「ここにはそれが全部ある」と思い、移住を決意。ゲーム好きだった息子は島での生活で「毎日自然の中で遊ぶのが楽しくなった」という。滝壺に飛び込んだり、魚釣りをしたり、サトウキビ畑で鬼ごっこをしたりする日々。
ある時、息子に「最近ゲームしなくなったね」と言うと、「だってお母さん、俺が今マリオなんだよ」と返ってきた。この言葉に感銘を受けた俵は、歌集のタイトルを『俺がマリオ』とした。
Q. 宮崎の全寮制学校で息子と離れて暮らす中で、どのようなコミュニケーションを取っていたか?
息子の中学入学を機に、俵と息子は宮崎に移住。息子は全寮制の中高一貫校に入学することになった。「興味本位で見学に行っただけだったが、息子が気に入ってしまった」と俵は語る。

全寮制の学校に入った息子はホームシックになり、俵自身も大学生時代にホームシックを経験したことを思い出し、「毎日はがきを書いてやろう」と決めた。「届けば『お前のことは忘れてないよ、母ちゃんはここにおるよ』という合図になる」と考えたのだ。
書き続けるうちに「恥ずかしくなって、やめようか」と息子に尋ねると、「やめなくていい、みんなも楽しみにしている」という思いがけない返事が。クラスメイトたちに「お前の母ちゃんの手紙はほっこりする」と言われていたという。
Q. 子育てを通して変わった価値観はあるか?
「子育てするまでは、人に迷惑をかけないことが生きる上で大事だと思っていた」と俵。40歳で出産するまでは東京で一人暮らし、経済的にも自立し「誰にも迷惑かけていない」と思っていたという。

しかし子供が生まれて「人に迷惑かけずに生きるなんて無理だとつくづく分かった」と気づく。そして「人に迷惑をかけないで生きていけるように」とは教えず、「こいつだったら目をかけられてもしょうがないと思われる人になってほしい」と考えるようになった。
「迷惑かけずに一人立ちするのが生きる力ではなく、目をかけてでも関係性を作って生きていける方が本当の生きる力だ」と俵は価値観の変化を語る。
Q. 子供との関わりの中で、言葉をどう伝えていくべきか?
日々の出来事を通して少しずつ伝えていくことが大切だと俵は考える。例えば、子供が迷子になって誰かに助けてもらった時には「今日あなたはこういうことをして、おじさんにここまで連れてきてもらった。おじさんは本当はやることがあったけど、連れてきてくれたんだよ。ありがたいね」と伝え、「今度もしそういう人がいたら、自分も時間を割いてでも小さい子を助けられたら嬉しいね」と話すという。
俵は「伝わっていないことの方が多いかもしれないけれど、親がそういうつもりで子育てをしていれば、だんだん伝わるだろう」と語る。
石垣島での生活や宮崎の全寮制学校での経験を通して、息子は成長し、時には母である俵を諭すこともあるという。震災時の「ゆで卵のエピソード」を息子に振り返られ「おかん、周り見えてなさすぎだろう」と指摘されるなど、親子の関係性も変化している。
Q. 言葉と向き合う意義や楽しさとは?
「言葉と無縁で生きている人はいない」と俵は言う。「言葉は自分が生きていく上での相棒であり、頼もしい相棒だと思う」と語る。
自分の気持ちを伝えるために、言葉は「ないよりあった方がずっといい」もの。「言葉を大事に扱ってやると、言葉の方も機嫌良くなってこちらに寄り添ってくれるような感覚がある」と表現する俵。
「言葉と仲良くなって、人生の相棒として育てていくことは、誰にとっても大事なこと」であり、「生きる力に直結する」と力強く締めくくった。