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新・世界秩序の中で、日本はどう生き残るのか?
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2025年10月1日

米国の変調により、グローバル化の後退により、世界秩序が大きく変わりつつある。今後の世界秩序の4つのシナリオとともに、小国でも大国でもない日本の戦略を、田所昌幸・慶應義塾大学名誉教授に聞いた。 <ゲスト> 田所昌幸|国際大学 特任教授 法学博士。慶應義塾大学名誉教授。専門は国際政治学。著書に『国連財...
「国家の弱体化とエニホエアとサムホエア」が分ける未来世界
混沌とした世界秩序の中で日本はどう生き残るべきか。国際大学特任教授の田所昌幸氏が語る「無数の世界」シナリオから見える将来像と日本の取るべき道。
Q. 世界秩序の変化により、「無数の世界」という混沌としたシナリオが生まれるとのことですが、その状況はどのようなものですか?
これは国家という概念自体が揺らいでいく最も混沌としたシナリオです。私たちは国家があるのが当たり前という前提で物事を見てしまいますが、現在のようにカチッとした国家という概念は歴史的に見ればそれほど古くはありません。

現在の世界では、多くの国がナショナリズムを強めています。「自国第一」を掲げ、国境におけるコントロールを強化しようとしています。物の流れは関税などでコントロールし、移民も制限しようとしています。中国のように情報までコントロールする国もあります。
しかし、国家が国境をコントロールしようとしても、実際にはそれが困難になる技術的条件が増えています。ミサイルは国境を越えて飛んできますし、感染症も国境を超えます。サイバー攻撃も防ぎきれません。物理的な鎖国さえ、北朝鮮以外ではほぼ不可能です。
結果として、国家はあっても、その力が弱まった世界が生まれます。そこでは各地域に様々なプレイヤーが現れます。例えば多国籍企業や超富裕層などが大きな力を持つことになるでしょう。テスラのイーロン・マスクのような人物は、特定の国に縛られず「テスラ帝国」とも言えるような影響力を持っています。
Q. 国家の力が弱まると、私たちの生活や安全はどのように変わっていくのでしょうか?
国家の力が弱まると、特に「国家による暴力の独占」という機能が低下します。例えば日本では犯罪があれば警察を呼ぶのが当たり前ですが、警察が機能しなくなったらどうするでしょうか。
そういう状況では、地域の暴力を制御している勢力、日本流に言えば暴力団や、地域の有力者、宗教的な寺や教会などの影響力が増します。人々はそうした存在に保護を求めるようになります。
これは中世的な秩序の再来とも言えます。中央集権的な国家が確立する前の時代には、中央政府が弱く、各地域には小さな暴力があちこちに存在していました。そこでは人々は有力者の庇護を受け、宗教施設や地域の自警団、現代で言えばセキュリティサービスを提供する民間企業などに依存することになります。
こうした状況は、現在の「グローバルサウス」(発展途上国)の多くですでに起きていることです。それがより多くの地域、アメリカを含めた先進国でも起こる可能性があります。
Q. 「エニホエア」と「サムホエア」という新たな分断について教えてください。これは今後の世界を理解する上で重要な概念なのでしょうか?
国家が弱くなった時に重要になる新しい分断として、「エニホエア」(Anywhere)と「サムホエア」(Somewhere)という概念があります。これは特に重要だと考えています。

「エニホエア派」とは、「どこでも」という意味で、国境を自由に超えられる人々です。彼らは特定の国に縛られず、別の国でも生きていけるスキルや資源を持っています。例えば大谷翔平選手のようなグローバルに活躍できるスポーツ選手、芸術家、企業家などがこれにあたります。中国やロシアの富裕層の中にも、いざとなれば自国を出ていける人々がいます。
一方、「サムホエア派」は「どこか特定の場所」という意味で、自分の国でしか生きていけない、あるいは生きていきたいと考える人々です。彼らは先祖も自分も子供もここで生きてきた、自分の運命はこの国と一体だと考えています。
重要なのは、エニホエア派は必ずしも富裕層だけではないということです。難民や移民もエニホエア派の一種です。彼らは自国では生きていけないため、活動の場を海外に求めています。日本も1960年代までは移民の輩出国でした。海外に出ていった日本人たちも、リスクを取って新しい場所で生きようとした「エニホエア派」だったのです。
現代の技術的条件からすると、国境を超えて生きていくスキルは今後ますます身につけやすくなっていくでしょう。自動翻訳技術や安い航空運賃などにより、国境を越える障壁は低くなっています。
Q. いわゆる「エレファントカーブ」が示す所得格差の拡大と、エニホエア・サムホエアの分断はどのように関係していますか?
エレファントカーブは世界における所得分布の変化を表すグラフで、特に先進国の中間層が相対的に困難な状況に陥っていることを示しています。
アメリカの場合、所得の格差による社会的分断が特に強く表れています。G7諸国の中間層は豊かな国の民主主義を支えてきた人々です。彼らは社会保障や医療保険などの制度によって中間層としての地位を保ち、「この国の運命と自分の運命は一致している」と考えてきました。
しかし、グローバル化によって、先進国の中間層は相対的に最も困難な状況に置かれています。特にアメリカでは、超富裕層が出現し、所得格差が大きくなっています。同時に、格差を是正するための制度も弱いのです。

これに文化的・人種的な分断も加わっています。トランプ支持者の多くは、置き去りにされたと感じている白人の人々です。彼らは「自分たちがこの国を支えてきたのに、エリートたちは環境問題やマイノリティのことばかり考えて、私たちのことは考えてくれない」と感じています。
この社会的分断は、エニホエア派とサムホエア派の対立とも重なります。グローバル化の恩恵を受けた国境を超えられる人々と、自分の国でしか生きられない人々の間の格差と対立が、今後の世界秩序を形作る大きな要因になるでしょう。
Q. 現在考えられる世界秩序のシナリオの中で、「無数の世界」はどの程度可能性が高いと考えていますか?
私は4つのシナリオを考えています。最初のシナリオはグローバル化の継続ですが、これは多分ないでしょう。グローバル化の時代が終わっているというのがこの本の前提です。
2つ目のシナリオは「アメリカによる覇権の再構築」ですが、最近のアメリカは同盟国をあまり重視しない態度になっていますので、これも可能性は低いと思います。
3つ目のシナリオは「多極化する世界」で、これが標準シナリオと考えています。ただし、これは危険な世界でもあります。国家がより強化されようとしても、それに失敗する国家が多く出てくる可能性があります。
4つ目のシナリオが「無数の世界」で、やや突飛なシナリオですが、一部の地域では実現する可能性があります。全ての国が同じような状態になるわけではなく、ガバナンスが良い国と悪い国が混在する世界になるでしょう。
いずれにせよ、80年間続いてきた世界秩序が今後も続くとは考えにくいです。若い世代は変化に備える必要があります。
Q. 日本はこのような世界秩序の変化の中で、どのように生き残っていくべきでしょうか?
日本では「リベラル」と言われる人々は国家に対して否定的なイメージを持っていることが多いですが、国家も人間が作った制度の一つであり、支えていかなければなくなります。日本は「サムホエア派」が圧倒的に多い国です。多くの人は日本に不満があっても移民しようとは考えません。

もし日本という国が存続した方が良いと思うなら、どうやって生き延びていくかを考える必要があります。基本に立ち返ると、以下のような単純だが重要な点があります:
1. 同志国との連帯強化:日本と同じように考える国々(カナダ、オーストラリア、G7のアメリカ以外の国々など)との連携を深めることが重要です。
2. 仲間を増やす:グローバルサウスの国々との関係も大切です。日本の援助は現地の民生部門を良くしたいという思いでやってきたため、比較的良い評価を得ています。ラテンアメリカなど、これまであまり関係を深めてこなかった地域との連携も考えるべきです。
3. 敵を作らない:中国やロシア、北朝鮮が日本の仲間になる可能性は低いですが、外交的には可能性を排除せず、何らかの関係は維持する必要があります。
4. 生き残りの覚悟:国際社会では最終的に自分で自分の身を守る必要があります。警察のように電話すれば来てくれる存在はありません。平和が一番望ましいですが、領土を侵害されたり、日本の船舶が襲われたりした場合、どう対応するかを真剣に考える必要があります。
Q. 「物語としての民族」というメッセージには、どのような意味が込められているのでしょうか?
日本人というアイデンティティは、多くの日本人にとってあまりに当たり前すぎて考えたことがないかもしれません。しかし、これからの日本でも「エニホエア派」は増えていくでしょう。日本でも移民は増えており、現在では約300万人が日本に住んでいます。

こうした状況の中で、日本人という意識をどのように維持し、再生産していくかが課題となります。日本にいる外国人や外国に忠誠を持つ人々と共に、どのように「日本人」としてのアイデンティティを形成していくのかを考える必要があります。
実は「日本人」という意識が強く持たれるようになったのは比較的最近のことです。江戸時代には、人々は武士や商人といった身分でアイデンティティを持っていました。近代日本は非常に成功した国民国家となり、それが日本の近代化成功の大きな理由の一つでした。
しかし、これからの世界では、意識的に努力しなければ「日本人」というアイデンティティは維持できないかもしれません。「物語としての民族」というのは、同じ肌の色や顔立ちという生物学的な特徴ではなく、「同じ日本人」という気持ちの持ち方の問題です。社会を共に作り、負担を分かち合い、危険も共有するという意識が必要になります。
こうしたアイデンティティは自然に存在するものではなく、意識的に再生産していく必要があります。この80年間の延長線上で考えるのではなく、新しい時代に適応した「日本人」のあり方を模索する必要があるのです。