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アラビア太郎から現代人が学べること
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2025年9月2日

アラビアの石油を初めて掘り当てた日本人として知られる、山下太郎。戦前に満州で巨大ビジネスを築いた男は、戦後、「アラビア石油」という当時の法人所得トップの企業を作り上げた。その生涯を描いた『ヤマ師』の著者である深澤献氏に「山下太郎とは何者か?」を聞いた。 ▼参考書籍 『ヤマ師 裸一貫から一代でトヨタ...
「アラビア太郎」山下太郎に学ぶ、リミッターを外した経営者の本質
「一発で石油を掘り当てた」「70歳近くでもサウジアラビアに単身乗り込んだ」――日本の石油開発の先駆者として知られる山下太郎。彼の生涯から現代の経営者が学べることとは何か。ダイヤモンド編集部論説委員の深澤献氏に聞いた。
「アラビア太郎」は国際情勢を読み解いた計算高い経営者だった
Q. 山下太郎とはどのような人物だったのでしょうか?
山下太郎は「アラビア太郎」の異名を持つ、日本の石油開発の先駆者です。彼が中東で石油権益を獲得できた背景には、彼の力量だけでなく、当時の国際情勢の変化も大きく影響していました。ちょうど太郎たちがサウジアラビアに石油輸出権を取りに行った頃は、中東諸国が欧米列強からの脱却を模索していた時期でした。
当初、中東の油田開発は英米の石油メジャーがなければ不可能でした。技術力も資金もサウジアラビア自身には十分ではなかったからです。しかし、太郎たちが訪れた頃には状況が変わり始めていました。中東諸国も豊かになり、アメリカだけでなく他国とも関係を築きたいという気運が高まっていたのです。

さらに、当時の中東では日本の評判が比較的良かったことも追い風になりました。日本は中東で大きな紛争を起こしていなかったことや、日露戦争でロシアに勝ったことが好意的に受け止められていたようです。このように、中東の石油を巡るパワーバランスが変化しつつあるタイミングで山下たちが交渉に乗り出したことが成功の一因だったと考えられます。
「計算されたヤマ師」—無鉄砲に見えて実は緻密な戦略家
Q. 山下太郎は「ヤマ師」と呼ばれていましたが、実際はどんな経営スタイルだったのでしょうか?
山下と聞くと、無鉄砲にリスクを恐れずに突っ込んでいくイメージがありますが、実は全く違います。彼は若い頃から綿密に調査をし、見込みがないと判断すれば諦めも非常に早い人でした。無謀な挑戦者というよりも、むしろ「計算されたヤマ師」と言えるでしょう。

事前の徹底的な調査により、どのプロジェクトに将来性があるかを見極める能力に長けていました。そのため、他人から見れば「まだチャンスがあるのでは?」と思えるような状況でも、すっと引く決断の早さを持っていたのです。
もちろん、初めての中東進出では前例がなかったため、通常の調査力だけでは対応できない部分もありました。それでも彼がアラビアでの交渉を成功させたのは、この緻密な調査能力と強靭な精神力の組み合わせがあったからこそでしょう。
69歳で中東に住み込み、若者以上に働いた驚異のスタミナ
Q. 山下太郎が中東に行ったときの年齢はいくつだったのですか?
驚くべきことに、山下太郎が初めて中東に渡ったのは69歳のときでした。現地に住み込んで事業を進めたわけですが、当時はエアコンもない環境です。70歳近いお年寄りが、そのような厳しい環境で仕事をするというのは並大抵のことではありません。
もちろん若いスタッフも同行していましたが、記録によれば誰よりも熱心に働いていたのは山下自身だったようです。そのような姿を見せていたからこそ、周囲のスタッフも彼についていくことができたのでしょう。
容姿は意外にも小柄で色白、動きは「しなやかで女性的」だったと言われています。想像するような大柄で強面の実業家ではなく、むしろ「あの人があんな大きなことをやるとは思えない」と周囲に言われるような外見だったようです。
一発で石油を掘り当てた背景にあった苦難と緻密な準備
Q. 石油掘削のプロジェクトはどのようなものだったのですか?
山下太郎が石油掘削権を獲得した後も、実際に石油を掘り当てるまでには大きな障害がありました。当時の大蔵大臣が山下を全く信用せず、銀行団が資金を出そうとしても「あの人にお金を出すのはどうか」と公言するほどの妨害があったのです。その結果、集まった資金は最小限でした。
さらに掘削作業には毎日300万円(当時の金額)もの費用がかかりました。何もせずに待機しているだけでもこれだけの金額が必要だったのです。また、どこを掘っても必ず石油が出るわけではなく、失敗すれば次の場所を探す必要がありました。
そんな中、銀行からは「一発で石油を出せなければ資金は出さない」という厳しい条件が出されていました。当時の常識からすれば無理難題ともいえる要求でしたが、山下の率いるチームは見事に一発で石油を掘り当てることに成功したのです。
この背景には、山下の徹底した調査があります。海底油田を探査する際、通常の何十倍もの細かい調査を行い、ピンポイントで掘削場所を特定したのです。
アラビア石油の衰退とその教訓
Q. その後、アラビア石油はどうなったのですか?
山下太郎の成功により、アラビア石油は一気に日本を代表する大企業となりました。1958年にプロジェクトを開始し、わずか3年後の1961年には株式上場を果たしています。しかし、山下自身は1964年に石油を掘り当てた数年後に心臓発作を起こして入院し、1967年に亡くなりました。彼自身は会社の大発展を十分に見届けることができなかったのです。
山下の死後、1976年に創業メンバーの水野総平が社長を退任した後は、通産省(現在の経済産業省)の官僚が社長に就任するという慣例が生まれました。いわゆる「天下り先」になってしまったのです。当時は十分に儲かっている会社だったため、リスクを取らない経営でも問題はなかったのかもしれません。
しかし、このような体制では山下のような大胆な発想や行動力を持つ人材が育たず、結果として2000年にはサウジアラビアとの契約延長に失敗、2003年にはクウェートとの契約延長にも失敗しました。こうして日本は中東での油田権益を手放すことになり、2012年には石油開発事業からも撤退。現在では会社自体が存在しなくなっています。
現代の経営者に必要な「リミッターを外す」発想
Q. 山下太郎から現代の経営者は何を学ぶべきでしょうか?
一言でいえば「リミッターを外す」発想が必要だということです。自分ができることを精一杯やるのは大切ですが、多くの人は自分の想定範囲内でしか考えていません。山下のように「国を動かして、アラビアまで石油を掘りに行く」という発想をしてもいいのです。そしてそのような発想をした時に何をすべきかまで想像力を働かせれば、案外実現できるかもしれません。
このような大きな視座を持つためには、過去に同じようなことを成し遂げた人物の存在を知ることが重要です。現代の若い経営者は同世代の中でしか自分を比較していないかもしれませんが、50年前、100年前の同年代の人間が何をしていたかを知れば、もっと大きなことに挑戦しようという意欲が湧くはずです。
また、山下太郎は56歳で終戦を迎え、それまでの財産のほとんどを失いました。多くの人ならそこで人生を諦めてもおかしくないところ、69歳になってサウジアラビアでの石油開発という大事業に挑みました。これは年齢に関係なく新しいことに挑戦できるという希望を与えてくれます。
国を巻き込むビジネスの可能性
Q. 現代において「国を巻き込む」ビジネスの可能性はありますか?
現代でもイーロン・マスクがアメリカ政府を動かしてロケット開発を行っているように、国を巻き込むことでビジネスのスケールを大きくすることは可能です。ただ、単なるナショナリズムとは一線を画す視点が必要でしょう。
自分のビジネスの先にある、国をどう発展させるかという視点を持つことで、より大きな構想が可能になります。その先には「世界をどうするか」「地球をどうするか」という視座もあります。ただし、その過程で「日本人としてどうするか」という視点も重要です。

山下太郎の成功は、世界情勢の動きを的確に捉えたことにもありました。第一次世界大戦の際には、ヨーロッパ諸国が戦争で生産できなくなった隙間を埋めるビジネスで成功しています。現代でも世界が激動する中で、そこに生まれるチャンスを読み取る能力は非常に重要です。
これからの時代、インドや他の新興国との関係を深め、「インド太郎」のように現地に入り込んで活躍する日本人が出てくることを期待したいものです。
物事を大きな視点で捉え、部分最適を超える
Q. 山下太郎のような視点を持つには何が必要でしょうか?
山下太郎に共通するのは、物事を大きなブロックで捉える視点です。細かいことにこだわりすぎると部分最適しか得られません。国単位、世界単位で物事を考えられる人材が今後ますます必要になるでしょう。

特に若い経営者は、昭和の経営者に比べると少し「コツ分(骨太)」に欠けるところがあります。これは少子化の影響もあるかもしれませんが、比較対象が少ないことも一因でしょう。同世代の中だけで比較すれば「自分はうまくやっている」と思えるかもしれませんが、60年前、100年前の同年代が成し遂げたことと比較すれば、もっと大きなことに挑戦したくなるはずです。
また、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての日本の資本主義勃興期は、戦争の陰に隠れて物語として十分に語られていません。しかし、この時期にも経済は動いており、戦時中ならではの経済活動もありました。山下太郎のように、当時の経済人の記録をもっと残すべきでしょう。
「一度下がらないと高く飛べない」という言葉があるように、挫折や困難を乗り越えた経験は人を大きく成長させます。現代の日本では、そのような「バネ」を作りにくい環境かもしれませんが、東南アジアやアフリカなど、急速に変化している地域に出ていけば、当時の日本と同じような変化率を体験できるかもしれません。
世界各地に「タロウ」と呼ばれる日本人経営者が誕生し、山下太郎のような大きな視点と行動力で新たな時代を切り開いていくことを期待したいものです。