PIVOT TALK BUSINESS
量子コンピュータの脅威
(451)
8,364回視聴
2025年9月1日

量子コンピュータの進化で、暗号が“突破”される日が近づいているという懸念が広がる。私たちの通信、銀行口座、金融システムは大丈夫なのか?今知っておきたい現状と今後の展望を、 NTTデータ経営研究所・大野博堂氏に聞いた。 <ゲスト> 大野博堂|NTTデータ経営研究所 マネージングディレクター 大蔵省(...
量子コンピューターが金融システムを破る日 ―暗号解読の脅威と対策―
私たちが日常的に利用するインターネットの安全は「暗号」によって守られている。しかし、この暗号が量子コンピューターによって破られる日が来るかもしれない。金融庁はすでに対策に動き出しており、10年後には現在の暗号システムが危機に瀕する可能性がある。この未知の脅威に私たちはどう備えるべきか。NTTデータ経営研究所の大野博堂氏に話を聞いた。

Q. 私たちの生活の中で暗号はどのように使われているのですか?
普段はあまり意識していないかもしれないが、私たちの生活は暗号技術に支えられている。職場でサーバーに接続して共有ファイルを確認する際、SNSやLINEでメッセージをやり取りする時、ネットショッピングで決済する時など、情報が安全に送受信されるためにTLS(Transport Layer Security)という仕組みが使われている。
TLSサーバーには大きく3つの機能がある。安全にデータを送受信する機能、双方向で確認し合って送り合う機能、そして安全を確保するために部分的に暗号化して相手に送り、それを復号して読む機能だ。これらの機能により、私たちの情報は第三者に盗み見られることなく、安全にやり取りされている。
Q. 暗号にはどのような種類があるのですか?
暗号には主に「共通鍵暗号」と「公開鍵暗号」の2種類がある。

共通鍵暗号は、秘密の鍵を当事者間だけで共有して使う方式だ。例えるなら、金庫と鍵のようなもので、その鍵を持っている人だけが金庫を開けることができる。この方式はシンプルだが、鍵をどうやって安全に相手に渡すかという問題がある。
一方、公開鍵暗号は、暗号化と復号に異なる鍵を使う。インターネットで通信する際、完全に秘密にできない公衆回線を通すため、この方式が必要になる。RSA暗号や楕円曲線暗号がこれに当たり、一般的には共通鍵暗号と公開鍵暗号を組み合わせた二段構えで使われることが多い。
ちなみに、暗号資産(仮想通貨)も同様の暗号技術を利用している。データとして保管・処理される資産が他人に取引されたり盗まれたりしないよう、共通鍵と公開鍵の二重の仕組みで保護されている。
Q. 現在の暗号技術はどのくらい安全なのですか?
現在広く使われているRSA暗号は、素因数分解という数学的問題の難しさを利用している。RSAという名前は開発者3人の頭文字から来ている。
この暗号技術の安全性は桁数に依存しており、桁数が大きくなるほど解読が難しくなる。例えば、5桁程度の暗号なら比較的簡単に解けるが、20桁になると現在のコンピューターでは解読に7000年以上かかると言われている。そのため、現状では十分に安全とされている。
ただし、コンピューターの処理能力は年々向上しており、以前は解読不可能と思われていた桁数の暗号も、今では解ける可能性が出てきている。だからこそ、より高度な暗号技術の開発が進められているのだ。
Q. 量子コンピューターが暗号を破る仕組みとは?
量子コンピューターには従来のコンピューター(古典コンピューター)にない2つの特性がある。
1つ目は「量子もつれ」と呼ばれる性質だ。これは、相関関係の高い処理を同時に並行して行える機能で、一方で処理をすると瞬時にもう一方にも結果が反映される。言わば、自分のコピーがいて倍速で仕事ができるようなものだ。
2つ目は「量子重ね合わせ」という性質。従来のコンピューターは0と1の2つの状態(ビット)で情報を処理するが、量子コンピューターでは複数の状態を同時に処理できる。例えば、8ビットの従来型コンピューターは256通りの表現ができるが、量子コンピューターはその上にさらに256通りを重ねることができる。これをN個分積み重ねていくと、処理能力は飛躍的に向上する。
この2つの特性により、量子コンピューターは現在の暗号を破る可能性を持っている。何千年もかかると言われる暗号解読が、量子コンピューターでは非常に短時間で可能になるかもしれないのだ。
Q. 暗号が破られるとどのような問題が起きるのですか?
暗号解読能力を持つ量子コンピューター(CRQC: Cryptographically Relevant Quantum Computer)によって暗号が破られると、様々な問題が生じる。

例えば、インターネットバンキングにアクセスする際のデジタル署名が偽装されれば、第三者が自分の口座から勝手に資金を移動させることも可能になる。現在の不正アクセスは、利用者自身が騙されてIDやパスワードを入力してしまうというケースが多いが、量子コンピューターが実用化されれば、そうした「騙し」の手間すら不要になる可能性がある。
また、現在のサイバー攻撃では、外部から暗号を突破するか、内部者から情報を漏洩させるかという手段が取られているが、量子コンピューターによって外部からの攻撃がさらに容易になるおそれがある。特に国家間のスパイ活動や軍事機密の漏洩など、国家安全保障に関わる深刻な問題も起こりうる。
さらに、企業活動においては「サードパーティーリスク」も大きな問題となる。例えば、インフラ企業が自社のセキュリティ対策を完璧に行っても、取引先や連携先の企業のセキュリティ意識が低ければ、そこから攻撃を受ける可能性がある。企業規模が大きくなるほど連携先は多様化・複雑化するため、このリスクは無視できない。
Q. 量子コンピューターの脅威はいつ現実のものになるのですか?
現時点では、暗号を破るほどの能力を持つ量子コンピューターは実用化されていない。金融庁も「今すぐではない」と明言している。しかし、「10年後はわからない」とも言っており、その時に備えて今から準備を始めるよう要請している。
現在の量子コンピューターは研究開発段階にあり、テスト環境として限定的に利用されているに過ぎない。既存のスーパーコンピューターと接続したハイブリッド型のものが多く、純粋な量子コンピューターの性能を発揮するには至っていない。
ただし、技術の進歩は予測困難であり、特に国家レベルで開発が進められれば、想定よりも早く実用化される可能性もある。そのため、日々リスクは高まりつつあると考えるべきだろう。
Q. 日本政府はどのような対策を講じているのですか?
日本政府は「経済安全保障」の枠組みの中で対策を進めている。特に重要なインフラ業種14分野については、サイバーセキュリティ対策の強化が義務付けられている。これには金融機能も含まれる。
また、2023年10月4日には金融庁が「サードパーティーリスク」対策を含むサイバーセキュリティガイドラインを公表し、連携先企業も含めたセキュリティ対策の強化を促している。
さらに、セキュリティクリアランス制度も導入された。これは、安全な人物を特定し、その人との間でのみ機密情報をやり取りするという仕組みだ。アメリカでは数十万人以上がこの制度の対象となっているが、日本では特定秘密保護法の対象者が2万数千人程度と、まだ大きな差がある。
Q. 私たちは何に備えればいいのですか?
個人レベルでは、マイナンバーカードの公的個人認証と生体情報を組み合わせた認証方法が、将来的に最も安全な選択肢になる可能性がある。これにより、複数のパスワードを覚える必要がなくなり、かつ高いセキュリティレベルを維持できるだろう。

企業や組織レベルでは、量子コンピューターでも解読困難な暗号技術(耐量子暗号)の開発と導入を進めることが重要だ。また、サードパーティーリスクへの対応として、取引先や連携先のセキュリティレベルも含めた総合的な対策が求められる。
国家レベルでは、国際的な情報共有ネットワークへの参加を通じて、最新の脅威情報や対策技術を入手することが不可欠だ。そのためには、セキュリティクリアランス制度の対象者を拡大し、実績を積み上げていく必要がある。
量子コンピューターの開発と暗号技術の強化は、いわばイタチごっこの関係にある。どちらが先に実用化されるかは不確定だが、備えあれば憂いなしの精神で、今から対策を講じておくことが重要だ。