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「あの戦争」の教訓:戦争を防ぐことは可能だったのか?
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2025年8月9日

戦後80年を迎えた今、「あの戦争」をどう振り返るべきなのか?「あの戦争」の教訓とは何か?日本はどんな「新たな物語」を紡ぐべきなのか?評論家で『「あの戦争」は何だったのか』の著者である、辻田真佐憲氏に聞いた。 <ゲスト> 辻田真佐憲|評論家 慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。 政治と文...
歴史は皆さんのもの―辻田真佐憲が語る「あの戦争」の教訓と物語
歴史をどう捉えるかで、我々の将来も変わる。「あの戦争」から学ぶべき教訓とは?

Q. 日本の歴史観はどのように分類できますか?
現代の日本では歴史、特に「あの戦争」をめぐる歴史観は大きく3つに分けられます。
1つ目は左翼側の歴史観です。満州事変、日中戦争、大東亜戦争の3つの戦争をアジアや世界に対する一貫した侵略と捉え、日本を加害者として位置づけます。いわゆる「十五年戦争史観」と呼ばれるものです。
2つ目は右翼的な保守系の歴史観です。日本は近代以降、欧米列強から侵略されそうになっていたという視点から、大東亜戦争もその反撃の自衛戦争だったとします。100年単位で歴史を見れば、日本はヨーロッパやアメリカの植民地主義に対抗していたという、日本を被害者として見る「東亜百年戦争史観」です。
3つ目は、最近強くなってきた史料に基づいて細かく分析すべきと主張する実証主義的な歴史観です。しかし、これは専門家とマニア以外には分かりにくい面があります。
この3つの歴史観はそれぞれの時代背景とともに変化してきました。1番目の左翼的な歴史観は戦後すぐから高度経済成長期まで強く、2番目の右翼的な歴史観は日本が経済大国として自信を取り戻した時期から強まり、3番目の実証主義は冷戦崩壊後に台頭してきました。
Q. 歴史観のバランスはどう変化していますか?
現在、かつて強かった左翼的な歴史観はだんだん弱くなってきています。今勢いがあるのは右翼的な歴史観でしょう。それに対して、実証主義的な方法論は大切ですが、専門家やマニア以外には届きにくい問題があります。
重要なのは、歴史は皆さんのものだということです。我々は歴史から教訓を得たり、生きる糧を得たりします。そのためには小説や映画、アニメなどを通じて歴史を学ぶことも大切です。
私は左翼的な歴史観と右翼的な歴史観のどちらかに偏らず、それらを融合させた新しい物語を作るべきだと考えています。実証的な研究を踏まえつつも、より大きな物語を描くことが必要です。
Q. 辻田さんの考える「物語」とは何ですか?
私の考える物語は「過去の可能性を取り戻す」というものです。日本がヨーロッパやアメリカの植民地主義に対して反撃し、アジアを解放しようとした面はあったと思います。日本はその戦線に立っていた側面があります。
ただし、実際には日本も植民地支配をし、差別をし、アジアに様々な迷惑をかけました。これは認めなければなりません。しかし、日本が元々持っていた精神自体は悪いものではなかったのです。
日本は近代においてもっと別のやり方をしていれば、今頃は世界的に尊敬される素晴らしい国になっていた可能性があります。過去を否定するのではなく、「こうやったらうまくいったのに」という可能性を考え、それを今後の日本にどう活かすかを考えることが大切です。
日本は東洋と西洋の中間に位置し、橋渡しをする国としてのアイデンティティを持っています。近代においては、西洋に近づこうとする「脱亜」と、アジアの一員としての「アジア主義」の間で揺れ動きました。そのバランスを失ったときに戦争で敗北することになったのです。
Q. 第一次世界大戦の影響はどうだったのでしょうか?
第一次世界大戦は日本の歴史において大きな転換点でした。この戦争は総力戦の時代の到来を示し、国家の総力(人口や資源など)をぶつけ合わなければ勝てないことを明らかにしました。
当時の日本の軍人や政治家もそれを理解していました。しかし、自国を振り返ると国力が低いことに気づき、それをどうにかしようとしました。その解決策として、領土拡大や国家改造が議論されるようになります。そうした試行錯誤の中で様々な失敗があり、結果的に破滅的な戦争へと突き進んでいったのです。

また、昭和の初期までは欧米との協調外交を進めていましたが、大恐慌後にブロック経済が形成されると、欧米諸国は自国優先の政策を取りました。日本は「結局ヨーロッパは自分たちの国しか考えない」と不信感を強め、協調外交よりも自力での発展を目指すようになりました。
これは現代にも通じる問題です。グローバリズムの時代が終わりを迎え、各国がブロック化している今、日本もリージョナリズムの方向に進んでいます。歴史は現代からの解釈であり、時代によって「大東亜共栄圏」などの概念の見方も変わっていくのです。
Q. 戦前日本の統治構造の問題点は何でしたか?
戦前の日本は非常に無責任な国家体制だったと言えます。大日本帝国憲法では各大臣や軍の権限がバラバラで、天皇だけがそれをコントロールする仕組みでした。しかし、天皇自身は立憲君主として政治に直接介入しませんでした。
明治時代は伊藤博文や山県有朋といった元老たちが、公式な制度とは別に集まって重要事項を決定していました。制度上はバラバラでも、維新の苦難を共に乗り越えた同志として意思疎通ができていたのです。
しかし、元老がいなくなった後は、単に憲法や法律に書かれた通りに行動する官僚エリートが指導者となりました。その結果、陸軍と海軍、首相と軍部といった間で意見調整ができず、足の引っ張り合いのような状態になってしまいました。
「あの戦争」がなぜ起きたのかというと、東条英機や昭和天皇といった個人が全ての責任を負うわけではなく、みんなが自分たちの利益やプライドをかけて争っているうちに、ズルズルと悪い方向へ進んでしまったという側面があります。

現代の日本では、首相に権限を集中させることを「独裁だ」と批判する声もありますが、それは戦前の教訓を活かしていません。責任の所在を明確にし、一元的な指揮系統を持つことは、むしろ先人の教訓を活かした統治構造と言えるのです。
Q. 民主主義と表現の自由は平和を保障するのでしょうか?
民主主義や表現の自由があれば平和が保障されるという考えは、あまりにも楽観的な見方です。歴史を見ると、民衆は必ずしも戦争に反対するわけではなく、むしろ「行け行け」と後押しすることもあります。
当時の日本人にとって「戦争」といえば、日露戦争での栄光や、乃木希典、東郷平八郎といった英雄が連想されました。教科書でも戦争によって日本が偉大な国になったと教えられていたため、戦争に対する抵抗感はあまりありませんでした。
また、新聞などのメディアも戦争報道で部数を伸ばし、利益を得ていました。政府はプロパガンダを流し、民衆はエンターテイメントとして戦争を消費する—このように利益共同体ができあがると、誰も戦争を止められなくなってしまうのです。
現代においても同様の危険性があります。SNSの影響でポピュリズムが台頭し、大衆政治家が増える中で、どうやって長期的な視点を持つことができるでしょうか。短期的な利益ばかりを追求するのではなく、歴史に恥ずかしい記録を残したくないという価値観を持つことが重要です。
インターネット時代では、過去の言動は永久に記録されます。ドイツがナチスの歴史から逃れられないように、一時的な熱狂の結果は長期的に国のイメージを損なう可能性があります。そのことを意識して行動することが大切なのです。
Q. 表現の自由をどう考えるべきですか?
表現の自由を抑制する議論はやりにくいものです。しかし、問題のある表現に対抗するには、より良い物語を提示することが重要です。歴史においても、とんでもない主張が多く存在しますが、それに対して研究者だけで対抗するのは難しいでしょう。
代わりに「こちらの物語の方が良くないですか」「この方が日本が評価されますよ」「我々はより豊かな社会になりますよ」という物語を提示することが大切です。表現の自由を否定せず、良いものをより多く出していくことで健全な競争を促すべきです。

陰謀論のような問題に対しても同様です。陰謀論はどんな内容でも人を洗脳できるわけではなく、人々の心の中に潜在的にある不満や欲求に応えたときに効果を発揮します。だからこそ、陰謀論より良質で明るくなるような物語を作って対抗していくことが重要なのです。
歴史から我々が学ぶべきことは、過去を全否定するのではなく、「こうやったらうまくいったのに」という可能性を探り、それを今後にどう活かすかを考えることです。戦後も長い時間が経ち、私たちが今戻るべき日本の姿を考え直す時期に来ているのではないでしょうか。