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日産の経営危機。ゴーンの責任は7割
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2024年12月13日

経営危機に陥っている日産。ゴーンの責任はどの程度大きいのか?現在の経営陣に改革はできるのか?今後、ホンダは日産を救済するのか?日産取材歴26年のジャーナリスト、井上久男氏に聞いた。
日産はなぜ2度目の危機に直面しているのか?26年間取材してきたジャーナリストが語る「ゴーン時代の功罪」と再建への道
日産自動車が再び経営危機に直面している。カルロス・ゴーン氏が来日する前の1990年代後半にも経営危機があったが、現在の危機はそれよりも深刻だという。なぜ日産は再び苦境に立たされているのか?ジャーナリストの井上久男氏に話を聞いた。

Q. 前回の危機と今回の危機、どちらがより深刻なのでしょうか?
現在の方が深刻な危機だと感じている。ゴーン氏が来る直前の日産はまだ技術力があり、有能な人材も多く在籍していた。それを当時の経営陣が活用できていなかっただけだ。ゴーン氏は外科手術的な改革で再生させた。
しかし今回は技術力も人材も著しく減少している。簡単な手術では再生が難しい状況だ。
Q. 人材流出の原因は何でしょうか?
ゴーン時代の経営の負の側面が大きい。日本人というだけで評価されなかった部分があった。特に外国人というだけで優遇されるような環境の中で、優秀な日本人人材が流出していった。
特許の数もトヨタやホンダに比べて少なくなっている。自動車業界は人の出入りが激しいが、日産の場合は優秀な人材が他社に引き抜かれたり、コンサルタントになるといった傾向が強かった。
Q. ゴーン氏の功績はどのようなものだったのでしょうか?
1999年に来日したゴーン氏は、日産が抱えていた「3つの過剰」の問題に対処した。設備過剰、債務過剰、人員過剰という典型的な問題を抱えていた日産を、リバイバルプランを実行することで再生させた。
当時の日産も構造改革計画を打ち出していたが、実行できていなかった。ゴーン氏はそれを「責任を持って実行する」と宣言し、実現した点が大きい。
また、人材の起用も効果的だった。人材発掘委員会を設置し、年齢や性別、国籍を問わない人材起用を行った。これらが功績として挙げられる。
Q. ゴーン氏はいつ頃から変わり始めたのでしょうか?
2010年頃から明確な変化が見え始めた。ある役員が報告に行った際、ゴーン氏が居眠りをしていたというエピソードがある。その頃、ゴーン氏は「自分の子供たちからも引退を勧められている」と話していたが、突如として残ることになった。
この時期はキャロルさんと再婚した時期と重なる。新しい配偶者ができたことで、もう少し働く必要が出てきたのかもしれない。
2013年には業績も落ち始め、これまでゴーン氏は業績が落ちると責任者に責任を取らせていたが、自分自身は責任を取らず、当時のCOOだった志賀氏に辞任してもらった。「若返り」と説明したが、後任の斉川氏とは年齢差が1歳しかなかった。
Q. ゴーン氏の戦略的な最大のミスは何でしたか?
無謀な拡大路線だ。2016年に三菱自動車に34%出資し、日産・ルノー・三菱で世界最大の自動車グループを目指した。世界各地に工場を建設し、新興国市場を攻略しようとした。
しかし同時に、商品力の低い車を量産するという戦略を取った。結果として日産車は魅力に欠け、売れなくなった。工場を稼働させるために値引き販売せざるを得なくなり、「バーゲン車」というイメージが定着してしまった。
ゴーン氏には名誉欲が強く、世界一の自動車メーカーのトップという地位を欲していたのだろう。その先にレバノン大統領などの政治的地位を狙っていたという噂もある。
Q. なぜ品質と商品力を高める方向に進まなかったのでしょうか?
ゴーン氏は「コストカッター」と呼ばれるように、コスト削減を最優先にしていた。予算を絞るため、魅力的な車の開発が難しかった。
ただし、市場の流れを見る目は鋭く、2010年に量産EVの「リーフ」を世界に先駆けて発売した。しかしEV一辺倒ではなく、ハイブリッド車など顧客ニーズに合わせた多様な車種を提供することが重要だった。
ハイブリッド車については、トヨタの強い領域であったため、あえて「ハイブリッド」という言葉を使わない戦略を取っていた。これは「ハイブリッド」を推進するとトヨタのブランディングに利することになるという考えからだった。
Q. 内田社長の責任はどの程度あるのでしょうか?
内田社長は2019年12月から約5年間社長を務めているが、商品戦略を変えるスピード感がなかった。内田社長には2つの問題があった。
まず、性格的に決断が苦手なタイプである。部下からも「何も決めない」と評されていた。
第二に、日産の企業体質として、ゴーン氏が一人で重要決定をする環境が長く続いていたため、役員の中に「指示待ち族」が多かった。判断を内田社長に委ねることで意思決定が遅れるという負の循環が生じていた。

Q. なぜ内田氏が社長に選ばれたのでしょうか?
これはルノーの画策だったと思われる。ゴーン事件後、日産は指名委員会設置会社となり、社外取締役が過半数を占めるようになった。当時の社外取締役6人のうち、内田氏を推薦したのは0人だった。
3人が関氏(後に日本電産へ)、2人がアシュワニ・グプタ氏(当時三菱自動車のナンバー2)、1人が山内氏(暫定CEO)を推していた。過半数に達しなかったため再検討となった際、ルノーの会長だったスナール氏が関氏に強硬に反対し、内田氏を推したのだ。
スナール氏にとって内田氏は「扱いやすい人物」だったのだろう。もし関氏が社長になっていれば、状況はかなり変わっていたかもしれない。ゴーン事件後の構造改革案「日産ネクスト」も関氏のチームがほぼ作成していた。
Q. 関氏はなぜ選ばれなかったのでしょうか?
関氏は防衛大学出身であることから「国粋主義者」と言われたという話があるが、それは表向きの理由に過ぎない。本当は「手ごわい」と思われたからだろう。
関氏は全体を見渡す力が強く、会社に横串を通して新しいことを実行する能力があった。前社長の斉川氏も関氏を後任として推していた。決断力のある人材が社長になれなかったのは日産にとって大きな損失だ。
Q. 日産の再生は可能なのでしょうか?
今回発表された9000人のリストラや生産開発日数の短縮など、改革プランを実行すれば再生の可能性はある。一時的な出血は伴うが、このリストラを実施しなければ本当の意味での再生はないだろう。