
2022/10/26
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ベルフェイスは2015年に創業したスタートアップで、オンライン営業システム「bellFace(ベルフェイス)」を提供しています。5期連続で200%成長をして、86億円の資金調達をしたのに時代の変化に完敗するなど、さまざまな「ハードシングス」がありました。その過程や乗り越え方をお話ししていきます。
まずは、少し特殊な私のキャリアストーリーを紹介します。

私は福岡県の出身で、地元の中学校に通っていました。早熟な子供で、中学生のころから哲学書やビジネス書を読んでおり、将来どんな生き方をしたいか考えていました。特に影響を受けた書籍は『金持ち父さん貧乏父さん』です。
本では、世の中には給料をいただいて働く人と、ビジネスオーナー、自営業、投資家の4分類があると紹介されていました。当時、「投資家はカッコよくて、楽そうだな」と思い、投資家になりたいと考えました。究極の投資家は、ゼロからビジネスを作り、そのビジネスに投資させたいと他人に思わせることができる人だと書いてありました。
一般的に、株式や証券、不動産に投資するのが投資家です。起業家はアイデアを考え人を募り、そこに資本金を入れる。すると、100万円でつくった会社も1000億や1兆円の価値になる。ある種、究極の投資家というわけです。
投資家の究極形が起業家、事業家であるということを知り、高校1年生の1学期で、起業家を目指し、高校を中退しました。親や先生に作文を書き、提出したのを今でも覚えていますし、その作文は残っています。

母親は「志を立てるのは良いけれど、高校を卒業してからでもいいのではないか」と反対。父親は「人に迷惑をかけないのであれば、自分が後悔しないよう思った通りにやりなさい。それぐらい信用している」と話してもらい、自分の決定を貫きました。
測量会社が正社員を募集しており、そこに応募して、雑用でよければOKとのことで、15歳で働き始めたのがキャリアのスタートでした。その後、キックボクシングをアマチュアでやって試合に出たり、ダイビングのライセンスを取得して宮古島で潜ったり、バイクに乗って九州一周したり……やりたいことに挑戦しながら楽しく過ごしていました。
19歳のときには、バックパッカーとして世界一周しました。当時、孫正義氏について書かれている本を読んでいました。有名なエピソードですが、孫氏は米国に留学しているとき、1日5分で特許を取るアイデアを考え計250以上ものアイデアを持っており、その1つを大企業に販売したそうです。
これを知った私は、バックパッカーをしながら1日2時間ほどかけて、毎日毎日ビジネスプランを考え紙に書きました。アイデアのみを書くのではなく、顧客のペルソナや社会的背景、必要な資金、競合など、事業計画を作成し、7〜8カ月かけて200案ほど作成し帰国しました。

21歳で1社目を企業するのですが、選んだのは「携帯向けのホラーコンテンツ配信サービス」でした。当時、docomoのiモードが流行っており、着メロや着うたが1曲100円でダウンロードできました。そこにホラーコンテンツを出し、1話100円でダウンロードできるサービスを提供しました。
近くの公民館を1時間300円ほどで借りて、特殊な音響技術の機材を使い、セミの鳴き声や登下校中の小学生の声が入ってしまうのと戦いながら、コンテンツを作っていました。しかし、全くうまくいかなかった。
その後も、いくつもビジネスプランを試しましたが、何もうまくいきませんでした。創業して半年ほど、売り上げゼロ。プールの監視員などをしながら食いつなぐ日々でした。
本を読んでもうまくいきませんし、自信もなくしていました。なぜうまくいかないんだろう。世の中の成功している社長から勉強しようと思い、社長にインタビューする「社長.tv」というサイトを作りました。
初めは、福岡の社長.tvというサイトで、私が会いたいと思った福岡にある会社の社長に連絡しました。費用をいただかず、取材という名目でさまざまな人に会い人脈を作り、経営や起業について私自身が学ぶためのフリーメディアでした。
1時間半ほど取材をして、その中で特に印象的だったシーンを5〜6分ほどにまとめ、テロップを入れたり、BGMをつけたりしてアップするのです。
コンテンツを出したとき、一番感動してくださったのはその社長さんでした。短い動画かつ無料でしたが、クオリティは高く保っていたので、「動画から採用につながった」「お互い動画を見て、普段知り合えない社長とつながるきっかけができた」といった話をいただくことができました。
そして、100社ほど掲載したころ、企業側から掲載したいとお声がけいただけるようになりました。
どうすれば成功できるのか、自分の勉強のためにやっていたメディアだったのですが、声がけをきっかけにビジネスになることに気付き、有料化させました。1社につき掲載費2万円をいただき、月に600万円、年間7000万円ほどの売り上げが立ち、創業して2、3年で食べていけるようになりました。

その後、東京の社長.tv、広島の社長.tv、沖縄の社長.tvといった具合に、社長.tvをフランチャイズモデルとして、全国各地に代理店や加盟店を作りました。各地で社長.tvというメディアを育ててもらうようにし、最終的には全国で掲載数6000社、年商も10数億円、社員数150人ほどになりました。
しかし、紆余曲折あり解任されることになります。第2話では社長.tv解任と、2社目の企業「ベルフェイス」についてお話しします。