
リベラル・リテラシーがないとどうなるか 話していいことと悪いこと
構成/三谷弘美
橘玲氏自身の体験から語る「リベラル・リテラシー」の話。「自分らしく生きたい」人たちの利害が衝突するリベラルな社会で、何を話せばよくて、何を話してはいけないか。
――第3話では、橘さんがリベラル化する社会の生きづらさを考えるうえで、Web3.0やメタバースに期待するという話を聞きました。仮想世界では、どんな制度でも自由に実験でき、そのなかで成功したものを現実に取り入れることで社会が変わる可能性があると。どんな実験をするといいんでしょうか。
欧米先進国がポピュリズムに翻弄されるなかで、一人一票の民主選挙で大事なことを決める制度は本当に正しいのだろうかという疑問が生まれています。
イェール大学准教授の成田悠輔さんは、著書『22世紀の民主主義』(SB新書)で、民主主義はもう破綻しているとして、「無意識データ民主主義」という代替案を唱えていますよね。

とはいえ、成田さんが「政治家はネコでもできる」と言っても、強固な既得権がある以上、首相や大臣の席を簡単にネコに譲ろうとは思わないでしょう。
ところがWeb3.0なら、ブロックチェーン技術を使って、一人一票ではない様々な投票システムや、そもそも投票を必要としない政治的意思決定の仕組みをつくって、実際に使ってみることができる。
それがリアル社会よりよほどうまくいけば、「こっちのほうがいいじゃないか」という声が高まっていくでしょう。
――バーチャルで実験してよかったことをリアルに持ち込むんですね。選挙制度以外ではどんな可能性があるでしょうか。
教育制度では実際にこうしたことが起きています。LINEでは好きな「友だち」とつながり、嫌いな友だちはブロックすることができますが、現実の学校では、本人に意思とは関係なしに40人ほどの同い年の子どもが集まるクラスに放り込まれ、そこで友達をつくることを強制されます。
SNSに親しんだ子どもは、なぜそんなことをしなくてはならないのか、そもそも理解することすらできないでしょう。これが不登校が増えている理由で、時間はかかるでしょうが、子どもを学校に適応させるのではなく、学校制度がいまの子どもの常識に合わせて変わっていくのだろうと思います。
メタバースでは、最終的には、一人一つの世界をつくることもできます。いずれはそこで誰もが理想のアバターになり、「自分らしく生きられる」ようになって、リベラルな社会が完成するのではないでしょうか。
これはSF的な話ではなく、テクノロジーというのは人間の欲望を実現するようにしか進化できません。そしてこれまで述べてきたように、わたしたちの根源的な欲望というのは「自分らしく生きる」です。
リベラル・リテラシーの難しさ
――現実社会で、今のビジネスパーソンが、もっとリベラルな社会のことを知らないと、と思うことはありますか。
ますますリベラル化する社会では、「自分らしく生きたい」という人たちの利害が衝突して、人間関係がますます複雑化しています。こうして、ポリティカル・コレクトネスやキャンセル・カルチャーが大きな関心を持たれるようになってきました。
第1話で少しお話した、東京五輪の女子ウェイトリフティングでは、トランスジェンダーの選手が初めて自認している性で出場しました。誰もが自分らしさを追求できるリベラルな社会では、生まれた性と自認する性が一致しないなら後者が優先されるべきですが、男と女では骨格や筋肉のつき方が異なるので、「不公平ではないか」との抗議の声が女子選手から出てきます。

アメリカの女子水泳競技でも同様の問題が起きていますが、これなどはリベラル化する社会の困難を象徴する事例でしょう。
これまでフェミニズムは、男社会のマイノリティである女性の権利のために闘ってきたわけですが、トランスジェンダーとの関係では(生物学的な性と自認する性が一致する)シスジェンダーとして、「差別するマジョリティ」の側に入れられてしまう。
こうした複雑な状況のなかで、どのように振る舞えばいいのかを決めるのがポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)で、リベラル化された社会での共通コードのようなものです。「リベラル・リテラシー」といってもいいでしょう。
――橘さんがリベラル・リテラシーについて体験したことは何かありますか。
かなり前の話ですが、シンガポールからタイのプーケットまで周遊する3泊4日のクルーズに参加したときのことです。グループで移動するミニツアーで、フランス人のお金持ち夫婦と、アメリカの田舎から来た中年男性4人組と一緒になりました。
フランス人の男性はインドで日本資本の会社の社長をしていると自己紹介したうえで、「(当時首相だった)小泉純一郎に会ったことはあるか?」と聞いてきました。
私は編集者時代に小泉さんにインタビューしたことがあるのですが、「うっとうしい奴だな」と思ったので、「そんなわけないですよ」と答えておきました。
すると今度は、フランス人カップルの女性の方が、スーツケースが行方不明になったと延々と文句を言いはじめました。「本当に無能なポーターたちだ」と自分の不運を訴えるのですが、そのうちだんだんアメリカ人グループの顔色が変わってきて、ひとりが「君の発言は侮辱(insult)なんじゃないか」と指摘しました。
普通は面と向かって相手にいう言葉ではないので、びっくりしました。
フランス人女性が「そんなつもりじゃない」と慌てて弁解し、夫が「よくあることだよ」とフォローして、そのあとは何事もなかったかのように雑談が続いたのですが、一体何が起きたのかずっと気になっていて、その日の夜になってようやく気づきました。
シンガポールのクルーズ船で働いているポーターは、みんなインド系です。インドで日本人と一緒に仕事をしているフランス人は、インド人の悪口を言っても日本人が気にしないことを知っていました。実際、「不愉快な女だな」とは思いましたが、人種差別とは思いませんでしたし。
ところがこうした事情を知らない(田舎の)アメリカ人は、私もポーターも同じ「アジア系」なので、黒人のゲストがいるパーティで、白人が黒人の召使の悪口を言っているような居心地の悪さを感じて、怒り出したのです。
この経験から、リベラルな社会で「ポリコレ」がなぜこれほど大きな影響力をもつようになったのか分かりました。グローバル化する世界では、人種や国籍、宗教、文化が異なる人たちが同じ空間を共有することが増えてきます。
このとき、何を言ってよくて、何を言ってはならないのかのルールを決めておかないと、思わぬひと言が論争を引き起こし、それが罵詈雑言の応酬になって収拾がつかなくなってしまうのです。
――確かに。ルールがあるとしたら、政治の話はしない、などでしょうか。
無難なのは仕事か趣味の話、高齢者なら病気の話で、現地ツアーで初対面の外国人同士が集まると、たいてい「何の仕事をしていますか」と聞かれます。
ところがそこに日本人の専業主婦がいて「House Wife」と答えると、今や欧米では共働きが当たり前なので、「どこか身体が悪いのか」「なぜ働かないのか」などと聞かれて、よけい面倒なことになる。
一方、政治の話はまったくダメかというとそんなこともありません。
これはナイル川クルーズに参加したときですが、アメリカ人のグループと一緒に食事をすることになりました。ちょうどトランプが共和党の大統領予備選に出馬した頃だったので、「日本のテレビではトランプが大きく報じられているけど、本当はどうなの?」と聞いてみました。
すると政治好きな男性がいて、他の共和党の候補とトランプの違いを熱心に説明してくれました。
アメリカでは、共和党支持か民主党支持かでアイデンティティをめぐる闘争になっていますが、特定の政治的立場のない外部の人間が好奇心からその国の政治状況について聞くのは、リベラル・リテラシーのルールには抵触しません。
そこから政治の話が盛り上がるかなと思ったのですが、彼の話が終わるとすぐに当たり障りのない会話に戻ったので、アメリカ人同士はやっぱり政治の話はしないだなと思いました。
――何を話してよくて、何を話してはいけないのかを知らないと怖くて話ができないですね。もはや語学の問題ではない。日本のビジネスシーンではどうでしょうか。
リベラルな社会では、ポリコレのルールを無視して「差別」と見なされる言動をすると、SNSなどでキャンセル(社会的排除)の標的にされてしまいます。具体的な問題について話します。
※第5話は2022年9月29日公開。